[1592]軍事費が増加

軍事費が上がり続けています。

 国家間の利害対立が深くなっていることを意味していると同時に、経済の軍事化が進んでいるということです。

 ウクライナは米国などから軍事援助を受けており、援助を合わせるとロシアの軍事費の約91%に達したそうです。ウクライナはやはり東西対立の白熱点となっているのです。各国の軍事産業は武器を生産し、ウクライナとロシアの労働者階級は戦場で武器を消費させられています。そして消費した武器を補填するために死の商人が武器をつくり売って儲けるという悪無限。

 武器の生産と消費の悪無限は資本家階級の政府によっては断ち切れません。

朝日新聞デジタルから引用します。

世界の軍事費約378兆円、過去最高に

ウクライナは前年比51%増 4/22(月) 20:33配信

 スウェーデンストックホルム国際平和研究所(SIPRI)は22日、2023年の世界の軍事費(一部推計)が前年比で実質6.8%増加し、総額2兆4430億ドル(約378兆円)だったと発表した。世界の軍事費は9年連続で増加し、統計を取り始めた1988年以降で過去最高となった。

 報告書によると、上位は米国、中国、ロシア、インド、サウジアラビアで、5カ国の合計が世界全体の61%を占めた。上位10カ国はいずれも前年から増加しているという。 欧州、アジア・オセアニア、中東で特に大幅な増加があったとし、ウクライナは前年比51%増の648億ドルで前年の11位から8位となった。

■「中国の脅威により日本も大幅強化」と分析

 ウクライナ単独の軍事費はロシアの軍事費(1090億ドル)の59%だったが、米国を中心に少なくとも350億ドルの軍事援助を受けており、これを合わせるとロシアの軍事費の約91%に達した。

 イスラエルは、2023年10月のイスラム組織ハマスの奇襲に端を発したパレスチナ自治区ガザへの大規模な攻撃が主に支出を促し、24%増の275億ドル。

 日本は11%増の502億ドルで前年の9位から10位となった。報告書は台湾でも11%増えたことなどに触れ、「中国の脅威によって日本や台湾は軍事力を大幅に強化し、この傾向は今後数年でさらに加速するだろう」と指摘した。 SIPRIは「前例のない軍事費の増加は平和と安全保障環境の悪化を反映している」と分析した。

以上

 「前例のない軍事費の増加は平和と安全保障環境の悪化を反映している」のは間違いないが、他人事のように言っている場合じゃない、メディアは警鐘を強く鳴らさなければならない時だと思います。日本政府も武器生産と輸出の規制を緩和し急速に軍事大国化しています。

[1591]哲学や思想は、このどうしようもない現実を変えることができるのか――。斎藤幸平×高橋哲哉でおくる「危機の時代と人文学」−2

 対談で、なんのために哲学するのか、ということを二人は問いかけています。

高橋 三年前に國分さんと対話したときに聞かれたんです。自分も高橋さんもフランス現代思想を読んできましたが、原発についてフランス現代思想は何と語ったでしょう。何もないじゃないですか、と。フランスという原発大国にあって、フーコーデリダドゥルーズ、その他綺羅星のごときフランス現代思想家たちが批判をしていたか。斎藤さんはご存知ですか?

斎藤 していないんじゃないでしょうか。

高橋 そうですね。そうすると、哲学思想って何なんだろうと。だから、我々が学ぶような哲学者、思想家といった重要な存在は、いろんなヒントを与えてはくれるんだけれども、それを絶対化することはできないし、そこに必ず答えがあるとも限らない。現代はグローバルな世界なわけですから、本当の意味でのダイバーシティアーレント的に言うと多様性複数性ですが、市民社会の中からいろんな動きが出てきて、それが思想化されていく形ももっと重視する必要がある。大学で学ぶ古典、現代の古典も含めた代表的な哲学者、思想家の議論だけにとらわれる必要はないと思うんよ。そこに欠けているものも当然ある。

斎藤 それで言うと、最近ちくま新書から出た『現代フランス哲学』という本があって、その中で私がいいなと思ったのが、カストリアディスという哲学者にスペースが割かれていたんですね。実はカストリアディスという人は、まさに原発のような問題についても盛んに議論をしていて、脱成長というようなことも書いている。フランスの伝統をさかのぼると、今の日本ではほとんど読まれませんが、例えばアンドレ・ゴルツやフランソワーズ・ドボンヌといった思想家たちもいます。しかし彼らは90年代になると忘れられていった。でも彼らを今こそ読み返すべきだと思います。私も「どうして今更マルクスを読んでるんだ」とよく言われるんですが、マルクスの思想も1つではないわけです。マルクス自身も考えが変わっていくし、マルクスが言っている内容をどう広げていくか、どこに着目するかというのは、読み手によって全然違う。 

 それこそ廣松渉さんの時代なんかは、スターリン主義批判として出てきた科学主義、社会的科学主義、科学的社会主義があって、それに対してヒューマニストの人たちが批判していた。しかし、廣松さんたちはそれでも駄目だ、疎外論では駄目で物象化論なんだという論を展開していた。

 そんなふうに、人によって時代によって、政治的な関心によって読み方はどんどん変わっていくわけです。私がやったように、資本主義が唯一となった時代にもう一回そうではない社会を描こうとしたときに、気候変動が一つの軸になるのではないか思ってマルクスの今まで読まれてこなかったノートに焦点を当てると、また違う思想が蘇ってくる。                  

 私自身も、思想を勉強すれば何か社会が自動的に変わっていくのかと言えば、現実を見たらそうは言えないと思います。戦争やジェノサイドというべきものが現在進行形で起きていて、人を殺すなとか、地球環境を守ろうとか当たり前の話すら成り立たない世界で、哲学者たちがどれだけ有意義なことを言えるのかを考えると、私たちは単に論文を書いてさえいればいいとは到底思えない。どういう発言をするのか、どういう思想を使ってどういう未来を描いていくのか、どういう現実を批判していくのかというのが本当に大事だと思います。

 それは容易ではないと感じる一方で、環境保護の問題や高橋さんが取り組んでこられた戦後責任の問題などに対して、それらは単に個人の問題ではなくて社会的な問題なんだ、政治的な問題なんだと展開していくには、私はやはり思想や哲学なしにそういったことはできないんじゃないかと思いますし、そこに責務も感じています。

高橋 じつに頼もしいですね。

以上

 私も斎藤は頼もしいと思います。しかし次のような意見に斎藤の越えなければならない壁が露顕していると思います。

「人によって時代によって、政治的な関心によって読み方はどんどん変わっていくわけです。私がやったように、資本主義が唯一となった時代にもう一回そうではない社会を描こうとしたときに、気候変動が一つの軸になるのではないか思ってマルクスの今まで読まれてこなかったノートに焦点を当てると、また違う思想が蘇ってくる。」

 マルクス思想にたいして哲学的に、経済学的に、あるいは革命論的になどアプローチの視角を変えて読むことは必要です。しかしマルクスの既成の「読み方」を批判的に吟味する必要がありはしないか。

 マルクス思想の本質を、読み方の違いによって歪めてはいけないと思います。

 マルクス主義の把握の仕方は確かに人によって時代によって、政治的な関心によって変わっていきました。スターリン主義の破綻はロシア革命が世界的に孤立したという時代背景の中で、スターリン的読み方によってマルクス世界革命論を一国革命主義的に歪めたことに淵源しているのです。スターリンは政策的にではなくマルクスの理論•哲学の本質を壊しました。              

[1590]哲学や思想は、このどうしようもない現実を変えることができるのか――。斎藤幸平×高橋哲哉

斎藤幸平と高橋哲哉の対談を「現代ビジネス」が紹介しています。

 この二人は2024年現代世界の戦乱と混沌の中で、今日の文化理論の頽落をのりこえていくために苦闘しています。二人の思想家の対談を読ませてもらいました。

 1991年のソ連邦の自己崩壊がマルクス主義の破綻として喧伝されるなかで、ロシア革命が目指した社会変革の試みの蹉跌を理論的にも実践的にも越えることが問われています。

 歴史の瓦礫の中から変革の萌芽が出はじめたのかもしれません。その萌芽の仔細を見極め学び発展させることが必要です。

以下現代ビジネスが対談の紹介しています。

 昨年、これまでの自身の研究の集大成として『マルクス解体』を上梓した斎藤幸平さん。今年一月、斎藤さんが多大な影響を受けたという哲学者・高橋哲哉さんとの対談イベントが、代官山蔦屋書店にて開催されました。前編に引き続き、この豪華対談の中身を大ボリュームでご紹介いたします。

 

まず「出来事」がなくては――

斎藤 現実の問題に対して哲学や思想をどうすれば実践的に使えるのか。そのような意識を高橋さんの本から私は感じとっていたのですが、高橋さんもやはりそのようなことを意識されていたのでしょうか。

高橋  はい、そうですね。

斎藤  そうすると、高橋さんは学生時代、思想としてはノンポリだったのでしょうか? 当時、活動家になろうと思ったりはされなかったのでしょうか?

高橋 ノンポリでしたね。私はかなり早くから人文系の研究者を目指していました。それは今で言う「紙の」本が好きだったからで、哲学だけじゃなく、文学や歴史など全般的に好きでした。なので、本を読んで暮らせればいいなと思ったのが、大学に入るときの最初の目的でした。私が入ったときにはもう学生運動は終息しかけていたので、近づく必要もなかった。でも、政治的な関心は、当然ありました。私の世代は生まれてしばらく、まだ戦後のにおいを嗅いでいた世代なんです。戦後のにおいというか、敗戦国としての日本のにおいみたいなものが、私は福島出身ですが、福島のような地方でも感じられたんですよ。

 だから90年代になって植民地支配や戦争の記憶の問題が出てきたときに、これは避けられないと思いましたし、今でもそう思っているのは、そういう世代であることが大きいと思います。戦後日本とは何なのか、戦前から戦後へ日本はどう変わったのかというような問題意識から、政治的な関心は常にあったんですが、それを自分の仕事にするとか、実践的な活動に入っていくつもりはなかったですね。だから大学院でも、特にやっていたのはフッサールでした。ばりばりの超越論的観念論。

斎藤  たしかにフッサールは政治的なことは一番出てこないですね。

高橋  ほとんど出てこない。それをうまく使ったのはサルトルやメルロポンティですが、それらもやはり哲学的に読んでいた。ただ、政治的な関心はあったので、いわゆる哲学研究にだんだん物足りなさを感じ始めました。大学院が終わるくらいの時期ですね。デリダなどに軸足を移していく中で、フランス現代思想が持っている政治的な性格などを受け止めていくようになりました。今でこそ社会問題や政治問題に対して発言する哲学者はいたるところにいますよね。いても全然おかしくない。

 でも当時は、ほとんどいませんでした。私が学生の頃、哲学の世界で社会問題や政治問題について発言するといったら、それこそ党派的な意味でのマルクス主義の人たちだけでした。彼らを除けば、政治的なものに対して一種馬鹿にしているところがありましたね。哲学の世界の閉鎖性、私はそれにだんだん耐えられなくなってきたんです。そして90年代に入って、哲学の非政治性、哲学が排除しているものに少しずつ照準を当てるようになって、最初にまとめたのが『記憶のエチカ』という本でした。 

 そこで最初に私が宣言しているのは、「出来事」に晒されることなしに哲学するのはむなしいということ。これは私の気持ちであり、当時からの私の基本的なスタンスです。斎藤さんから先ほど尋ねられた意識の問題はここに関係してくると思います。私の場合、少なくとも今はっきりと言えるのは、残りの人生を形而上学に捧げようとは思わないわけです。デカルト形而上学、コギト・エルゴ・スムから始めた。形而上学を哲学の根っことすれば、幹に自然学があって、そこから枝が出て機械学や医学などいろんなものが実を結ぶわけです。

 だから形而上学が一番大事だと言っているんですが、形而上学にそんなに時間を使う必要はない。彼は数学者なので、数学を自然に適用するという現実的な関心がやはり強かったんじゃないかと思います。

 私も同じで、哲学を研究する以上、形而上学存在論的な議論に関心はあるけれど、そればっかりをやるつもりはないし、そこから始めるつもりもなくて、やっぱりまず「出来事」なんですよ。自分にとって、これは見逃せない、回避できないと思う「出来事」があったときに、そこから始まるというのが私の思考で、基本的なスタンスなんです。

斎藤  いいですね。この「出来事」というのは、現代思想においてどのように説明すると良いのかちょっと難しいのですが、まさに今までの枠組みを偶然的に変えてしまうような転機としての「出来事」という意味で、福島の原発事故は、私にとっての「出来事」なんです。自分の前提としてきた生活があって、もちろん原発には色んな危険があることは知ってはいたけれど、その問題に向き合わずに来てしまった。

 実は、私がそもそもマルクスに向き合うようになったきっかけは、大学に入って感じたある気づきにあります。それまでは東京の私立の中高一貫に通っていて、そうすると周りも同じようなバックグラウンドを持っている人が多い。それが大学に入ると、もちろん地方から来る人もいるし、都内から来ていても全然違う家庭環境で育った人もいる。35歳ぐらいで理科三類に入り直した同級生もいたりして、そういう人たちに会って話を聞いたりすると、自分が前提としてきた枠組みからは見えなくなっているものがある。それはしょうがないことでもありますが、見なくていいっていうのは一つの特権性でもあるし、気にしなくても生きていける。でもそれによって様々な抑圧に自分が加担してしまっていることに気がついたのが、マルクスに向き合うようになった最初の一つの「出来事」だったんですね。これに対して、自分がどう応答するべきなんだろうか。自分はただのうのうと資本主義の中で、恵まれた環境を最大限自分のために使っていくみたいな生き方をするのか、あるいは、そこに向き合っていくのかということを大学に入った頃に迫られて。

 90年代に入って「慰安婦」サバイバーの方々が出てきたことで、戦後責任の問題がより問われるようになったときに、それにどう応答していくのか。人文学の話というのは、実はそうやって身近なところにまで持ってきて考えることができるものだと思うんです。哲学は一見すると抽象的に思えますが、私たちの生活にまで下ろして考えると、極めて身近なものになってくる。福島の問題もそうですが、今日まだ話してないお話として、例えば沖縄の基地の問題もそうです。高橋さんは沖縄の問題について、いわゆる左派的な人やリベラルな人たちでもなかなかしない提案である、基地を本土で引き受けるべきだという議論を展開されています。

 先ほど高橋さんは社会問題に声をあげる哲学者が今はわりとたくさんいるとおっしゃっていましたが、確かに國分功一郎さんや私を含め、駒場にもそういう先生は何人かいらっしゃいますが、全体としてはそうでもないかもしれません。大学の中では、例えば研究者が気候変動の問題に対して発言をしても、それは直接論文にはならないので学術的には評価されません。そういう活動にエネルギーや時間を使うよりも、論文を書いて国際ランキングを上げようとか、研究費を取れるようにしようみたいな圧力が高まっているように感じます。

 また、若手の人たちにとって就職が困難だったりする状況では、とにかく業績を上げよう、業績を上げるためにはまず論文を書こう、そのためには論文を書きやすいテーマを選ぼう、みたいになりがちです。その流れがどんどん自分たちの内面的な規律になってきてしまっていて、社会問題について声をあげる先生が本当に少なくなっているように感じます。それをちょっとでも何とか食い止めたいなと思って、私は意識的に発言するようにしています。色んなテーマに対して、自分の専門を超えて社会に対して発言をしていく。これはサイードが『知識人とは何か』という本の中で、アマチュアリズム、つまり象牙の塔にこもるのではなく、社会に対してコミットしていくということを言っていて、自分もそうありたいなと思っています。

高橋  昨日だったと思いますが、関東大震災100周年に合わせ、当時の朝鮮人や中国人に対する虐殺について、政府や東京都がそのような事実があたかもなかったかのような、あるいは無視するような態度を続けていることに対して、東京大学の研究員や名誉教授も含めた教職員で署名を出そうというメールが回ってきまして。呼びかけ人に斎藤さんのお名前もありました。

 本当にそうすべきだと思います。政権や行政が、あの事件の公的な記録がないと言うような、歴史修正主義なり否定論のようなことを官房長官が言う状況になっている。日本を代表するアカデミアの教職員がこういう声明を出すというのは、私としては「待ってました」という感じです。期待されるところだと思うので、ぜひ頑張っていただきたいと思います。

 先ほど「出来事」と言ったときに現代思想ではという話が出ましたが、それだけで斎藤さんがフランスのものもよく読んでいることがわかります。応答可能性としての責任というテーマで言うと、『マルクス解体』は学術的な内容ですが、『人新世の「資本論」』を読むと、脱成長はグローバルサウスからの呼びかけなんだということが後ろの方で繰り返し出てきます。その声に応答しなくていいのかと。ここはもう完全に我が意を得たりでした。

斎藤 もちろん意識しています。

引用以上

 高橋は「『出来事』に晒されることなしに哲学するのはむなしいということ。これは私の気持ちであり、当時からの私の基本的なスタンスです。」と言います。斎藤幸平はこの高橋の立場に魅かれ、現実問題に対決しつつマルクス主義の研究をはじめたと言います。

 

つづく

[1589]結局、ロシアの凍結資産没収の動き

 

 

 欧米帝国主義諸国はウクライナ戦争に介入して自国資本家階級の利益を守ろうとしたものの、ここにきてうまくいかず、引きはじめました。しかしついに制裁で凍結したロシアの資産3000億ドル(46兆円)の利子をウクライナ戦争支援に充てようとしています。

 米議会でウクライナ支援予算が決議できず支援も止まっています(今入った速報ニュースによると支援予算が米議会を通過したとのこと)。ウクライナ戦争の戦局がウクライナ劣勢となっているなかで、NATO諸国がロシアの資本家階級の凍結資産を奪って戦争につぎ込む道に活路を求めること自体が末期的です。

日経新聞を抜粋します。

【ロンドン=江渕智弘、ワシントン=高見浩輔】主要7カ国(G7)は凍結したロシア資産をウクライナ支援に使う議論を急ぐ。資産の利子を活用する欧州連合EU)の計画から上積みを模索する。国際法の壁が高い没収にかわり、将来の利子収入を担保にした融資などが浮上している。

17~19日にイタリアのカプリ島で開く外相会合と、17日に米ワシントンで開催する財務相中央銀行総裁会議でそれぞれ協議する。

以上

 ロシアの資産はロシア資本家階級がロシア労働者階級から搾取したり収奪したりしたカネの集積です。EUは銀行に預けられたその資産をウクライナの資本家階級の政府に横流しするというわけです。

 侵略するロシアもロシアですが、預金をネコババするEUEUです。背広や軍服を着た盗賊たちのふるまいを尻押するウクライナのゼレンスキー政権も同じ穴のムジナだと言わざるをえない。戦争で斃れる労働者を背後に残して延命しようとしているのです。

 世界の労働者が団結することだけが戦争を止め将来を切り拓く力です。

 

[1588]ウクライナ動員法改悪

 東西資本主義の新冷戦下、2022年2月24日ロシアの越境侵略をもって開始されたウクライナ戦争は多くの犠牲を背後に残してなお続けられています。西側諸国の長期に渡る支援にもかかわらず、ウクライナは軍事的後退を余儀なくされ国家として継戦が困難になってきました。

 ゼレンスキーの「国民の奉仕者」政権は兵士が不足し動員法の改定を行いました。

 

ウクライナ大統領、兵士動員の改正法案に署名 4/17(水) 12:42 Yahoo!ニュース

 ウクライナのゼレンスキー大統領は16日、兵士の動員を強化する改正法案に署名した。

 法案は先週、議会で可決されていた。 新法は18~60歳の男性全員に軍への登録と、登録書類の常時携行を義務付ける内容。政府は兵力補充の効率と透明性を高めるのが目的としている。 海外にいる対象年齢の男性は、最新の登録書類を提示しなければ、領事館でパスポートの更新ができなくなる。 長期にわたって戦闘に参加した兵士の動員を解除する条項は盛り込まれなかった。議会ではこの数カ月、動員期間の長い兵士を交代で一時帰宅させるかどうか、ロシアが再び攻勢を強めるなか、疲弊した兵士の休養は認められるかどうかなどをめぐる議論が続いていた。 法案は最初に提示されてから4000回以上も修正された。議会は最終的に、できるだけ多くの兵士を前線に配置しておくため、動員を3年間で解除するとの規定を削除した。 法案が議会を通過した後、兵士の妻や親族数十人が議事堂の前に集まって抗議し、動員期限を盛り込むよう要求した。

 ゼレンスキー氏が率いる与党「国民の奉仕者」は昨年末、軍が50万人の追加動員を求めていると述べたが、軍のシルスキー総司令官は最近、兵士を増員するとしても少人数にとどまるとの見通しを示した。 東部戦線の司令官は先日、ロシア軍の兵員がウクライナ軍の10倍にも上ると指摘していた。

以上

 家族の反対は当然だと思います。国内の厭戦反戦の運動の高まりにゼレンスキーはさらに強権を発動すると思われます。

 プーチンは日本のメディアで描かれているほどには国際的に孤立してはいないようです。世界中で私たち労働者階級が戦争反対の声をあげなければ戦争を終わらせることは困難です。東西対立の谷間で、露ウの両国家権力によって戦線に送られる労働者民衆の犠牲をこれ以上出し続けることを許してはならないと思います。

[1587]ヘーゲル精神現象学の序論

 私も本棚からヘーゲルの『精神現象学』を探して久しぶりに「序論」を読みました。30代半ば、当時の勉強会で私の活動レポートを読んだ先生から「あんたはヘーゲル主義だ、ヘーゲルが泣くけど」と言われ、ヘーゲルなんかほとんど読んだことないのにヘーゲル主義とはなんだ!と思って少し読みました。

 ヘーゲルは概念が現実をうみだすと言っているようだ、ということはなんとなく理解できましたが、途中まで読んで挫折しました。その後認識論を考えるようになって、唯物論における裏返しのヘーゲル主義などについて学びましたが、ヘーゲルの著書は不勉強のままです。

 一つだけいまだに記憶に残っているフレーズがあります。今、手元に平凡社の『精神現象学』(樫山欽四郎訳)があるので「序論」「学的認識について」の当該箇所を引用します。

「哲学的著作の眼目は、その目的と帰結以外のどこにより多く言い表されうるのか、••••••事柄は目的の中でくみつくされるものではなく、その実現のなかでくみつくされるものだからであり、また結果は、現実の全体ではなく、全体の生成と一緒になるとき、現実の全体であるからである。目的はそれだけでは生命のない一般者である。それは、傾向がただの活動にすぎず、いまだ現実性を欠いているのと同じである。そしてむき出しの結果は、傾向を捨て去った屍である。」

 うまく説明できませんが、事柄を学的に認識するということは、その目的の中にくみつくされるものではなく、事柄が生成される必然性とその中に定立された目的とそれの実現過程を主体的に認識することだということでしょうか。

なんとなくわかりますが難解です。

 当時私がこのフレーズに触れたのは梯明秀の労作『ヘーゲル哲学と資本論』でした。私は梯先生の哲学に共鳴し勉強しました。

 けれども梯による引用文は樫山訳とは違うものでした。何だかもっとなるほどと思わせるような訳だったような気がします。一番気に入ったのは「むき出しの結果は、傾向を背後に残した屍である。」という一文だったと思います。

 探してみます。

 ありました。

ヘーゲル哲学と資本論』(梯明秀 18頁〜19頁)より

「或る哲学的著作の核心は、その諸々の目的および結果におけるよりも、より以上に如何なる点において言明されるべきか。

 この問題にふくまれる事柄は、その目的のうちに尽くされているのではなくて、その実現のうちに尽くされており、結果もまた、現実的なる全体ではなくして、その成立過程を併せて現実的な全体であるからである。傾向がいまだ現実を欠ける単なる生長であると同じように、目的はそれだけでは生命なき一般者であり、そして、むき出しの結果は傾向を背後にのこした屍である。註2」

(註2 ヘーゲル精神現象学』「序文」岩波版上巻3頁)

 どうでしょうか。こちらの訳が私は分りいいです。ヘーゲルの文は動的だと思います。

 パラフレーズすれば、哲学的著作の核心は、その目的や結果のうちにあるのではなくその目的の実現のうちに尽くされている。結果もその成立過程をあわせて認識して現実的な全体として把握されなければならない。結果は過程なくして実現されない。目的の実現過程は結果にとって傾向でありいまだ現実を欠ける単なる生長である。過程の傾向と同じように、実現過程におかれない目的は生命のない一般者に過ぎない。目的が現実化される過程の「傾向」が畳みこまれ止揚され結果となる。結果はその中に畳まれた「傾向」の終局であり、結果には、その前駆体としての動きを失った死んだ「傾向」が堆積しているがその痕跡は消えて見ることができない。それが「むき出しの結果は傾向を背後に残した屍である」というまとめの謂いです。

 ヘーゲル精神現象学』を精神的労働の論理としてとらえかえしたといわれているマルクス的論理ーー私の理解するそれーーから解釈しかえしてみましたがまちがっているかもしれません。

 それはともかく、私も勉強します。

[1586][寄稿]医療あれこれ(その106)ー3紅麹の件

 

ペンギンドクターより
その3
●さて次は最近大きな問題になっている。「紅麹」の件です。消費者庁による「保健機能食品に対する各制度の比較」があります。ざっとまとめます。 
 
特定保健用食品(個別許可制)】  
 消費者庁長官の許可を得て特定の 
 保健の用途に適する旨が表示され 
 た食品。国が有効性と安全性を審 
 査。
 疾病リスク低減表示:可能
 許可について個別に諮問が必要
 有効性の科学的根拠:最終製品を 
 用いたヒト試験が必須
 許可・届出件数:1055件
【機能性表示食品(届出制)】
 疾病に罹患していない者が対象
 販売60日前までに、科学的根拠に裏打ちされた安全性・機能性に関する資料等を消費者庁長官に届け出ることにより特定の保健の目的(疾病リスクの低減に係るものを除く)が期待できる旨の提示が可能。
 安全性・機能性の科学的根拠について国の審査は行われず、その合理性の挙証責任はあくまでも届出者。 
 疾病リスク低減表示:不可最終製品を用いたヒト試験または文献調査(システマティック・レビュー)
 許可・届出件数:6789件
【栄養機能食品(自己認証制)】
 ビタミン、ミネラルといった20の栄養成分について、食品表示法に基づく規格基準で定められた機能に関する定型文の表示を行う食品。「カルシウムは骨や歯の形成に必要な栄養素です」など。
 これは特に問題となることはない。(ペンギンドクター)
 私の記憶では安倍内閣の時に、「機能性表示食品」のしばりがゆるくなったように記憶していますが、古いことで確かではありません。とにかく膨大な数の「機能性表示食品」が販売されているのがおわかりと思います。これがアメリカでのサプリメントと言えるのでしょう。日本では、主として販売対象はわれわれ団塊の世代前後でしょう。わかりやすく言えば、世代として、団塊の世代およびその前後世代(それ以降の世代と比較してということですが)は「勝ち逃げ」(高度成長期で退職金も貰えた世代)でお金を持っているので、それを消費させる必要がある・・・・・・ということで、しばりがゆるくなったと当時ひねくれていた私は考えました。
 というのは、当時、内科一般外来を担当していた私に患者さんがいわゆる「サプリメント」を食べたり飲んでいいかとよく質問されたからです。私は「よく知らないし、まあ害はないと思うから、ダメとは言いません。しかし私は買いません。お金に余裕があれば買ってあげたらどうですか。国は医療保険にお金がかかるから、サプリメントを使ってほしいのですよ。それでお金が回りますしね」と笑って患者さんに答えていました。しかし、クローズアップ現代プラスでも専門家がコメントしていましたが、食品と言っても有効成分の濃縮をするから、もし有毒物質があればそれも濃縮されることになる・・・・・・。確かにそうですね。
 私たち夫婦はもちろんサプリメントは一切食べたり飲んだりしていません。そして、その「サプリメント」を宣伝して暴利(?)をむさぼっていると思える、サントリーなどの大手企業に反感を持っています。でもそこら中の企業が「健康食品」を売り出している現実があります。反感は、私たち自身の身体的な問題を実に見事についた宣伝にある意味で感心させられるからでもあります。私たちはもちろん医薬品は内服していますが、降圧薬など最小限にしています。では。 
 
 MRICメールマガジン Vol. 240592024年04月01日MRIC by 医療ガバナンス学会 発行http://medg.jp
 
ボストン・ウェルネス通信その7:そのサプリメント大丈夫!?
米国ボストン在住内科医師大西睦子 
 
小林製薬」の「紅麹」の成分を含むサプリメントによる健康被害が問題になっています。3月28日の集計では、5人が亡くなり、114人が入院、さらに食品メーカー各社で商品の自主回収など波紋が大きく広かっています。厚生労働省の専門家による調査会によると、サプリメントには「プベルル酸」という青カビからつくられる物質が含まれていたそうです。今後、その毒性や製品に混入した経路、それ以外の物質の混入などを調べるとのこと。
 
ところで、サプリメントを利用する多くの人は、サプリメントが無害で健康に効果があると信じています。ただし、サプリメントの利点は大きく宣伝されていますが、医薬品と違い、もしリスクがあっても消費者に知らせる義務はありません。なぜでしょう?
 
サプリ大国の米国の状況を参考にながら、サプリメントや日本の機能性表示食品について考え直しましょう。
 
●米国、サプリメントの副作用で年間平均約23,000件の救急外来受診
 
多くの米国人にとってサプリメントは必需品です。米疾病予防管理センター(CDC)の報告(2023年)によると、米国では、0~19歳の小児・青年の34.8%、20歳以上の成人の58.5%が、サプリメントを利用しています(1)。
 
たしかに有効性が裏付けされたサプリメントはあります。例えば、妊婦は葉酸が欠乏しやすく、胎児の先天性欠損症の原因となりますが、予防には葉酸サプリメントが効果的です。
 
一方、米国では専門家を中心に、サプリメントの必要性の有無や安全性の議論が続いています。2015年のニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン(NEJM)の報告では、年間平均約23,000件の救急外来受診の原因は、サプリメントの副作用であることが判明しました(2)。
 
救急外来を受診した人の4分の1以上が20歳から34歳であり、その半数は減量や精力増強のために販売されたサプリメントが原因で、胸痛、動悸、不整脈などの症状を引き起こしました。ただし影響を受けたのは若者だけでありません。 4歳未満の子供の多くは、監督なしで誤ってビタミンを摂取し、アレルギー反応や消化器症状(吐き気、嘔吐、腹痛)を経験しました。 65歳以上の人は、大きな錠剤サイズのビタミンや微量栄養素を摂取した後、嚥下障害を引き起こしました。
 
このような状況は米政府としても無視できず、現在では米食品医薬品局(FDA)のウェブサイトには、サプリメントの副作用、重金属の混入、未申告のアレルゲンや微生物汚染などの問題が頻繁に報告されています(3)(4)。
 
●薬でも食品でもないサプリメント
 
米国は訴訟大国。サプリメント業者に対する問題で、さまざまな訴訟が起きています。最近の例では、テキサス州の会社が偽ブランドサプリメントの流通の有罪を認め、450万ドルの罰金刑に同意しました。このサプリメントには、栄養成分として誤って表示された成分や、製品ラベルに記載されていない成分が含まれていました(5)。
米国はこんな状況になってしまった背景には、1994年に米国で成立した「栄養補助食品教育法(DSHEA)」があります。同法は、政治資金的にもサプリメント業界と強固な関係をもつ元共和党上院議員の後援により成立しました。この法律によって、サプリメントに対するFDAの規制は大幅に制限されています。
 
サプリメントは販売前にFDAの承認を必要としません。つまり、安全性や有効性、科学的根拠に基づくことを、証拠をもってFDAに証明する必要はありません。さらに、含まれる成分が副作用を引き起こすことが知られていても、製造業者は副作用について消費者に通知する必要はありません。こうしてサプリメントは、薬でも食品でもない位置付けとなりました。サプリメントのラベル表示の内容が正確かつ真実であること、安全であることは、製造業者や販売代理店の言うことを信じるしかないのです。
 
「この製品は栄養不足を助け、健康をサポートします」とか、「健康上の問題のリスクを低減します」などと表示することも、何の規制も受けずに可能です。ただし、同時に、「これはFDAによって評価されたものではありません。また、この製品は疾病の診断、治療、治癒、予防を目的としたものではありません」という「断り書き」は表示しなければなりません。また、仮に「特定の疾患または状態の治療、予防または治癒」などと表示すると、そのサプリメントは未承認薬ということになるので違法です。もちろん、安全でないことをFDAが発見した場合は、FDAは業者に警告を発するか、市場から製品を排除するなどの行動を取ることができます。しかし、これはあくまでも事後対応です。
一方米国では、1990年に成立した「栄養表示教育法」により、企業からの申請に基づき、FDAが認めたものについて食品全般を対象として健康強調表示が可能となりました。ただし、これはFDAの厳格な審査により、明確な科学的な根拠に基づいて専門家の間で合意が得られ、食品や栄養素を摂取したことで病気のリスクを軽減する可能性が認められた場合に限定されます。例えば、カルシウムの多い食品、脂肪の少ない食品や食物繊維の多い食品など、生活習慣病の予防に効果が報告されている食品です。その後、法律の緩和はあるものの、今日まで、食品の表示に関しては、サプリメントとは違って、FDAにより厳しく規制されています。
 
ちなみに、日本の「機能性表示食品」の新制度は、実は1994年に米国で成立した「栄養補助食品教育法」におけるサプリメントの表示制度を参考にしています。さらに、日本の機能性表示食品の対象は、サプリメントだけでなく、加工食品や生鮮食品まで含まれます。
 
日本にも、米国の「栄養表示教育法」と同種の制度、「トクホ」の名称で知られる「特定保健用食品」があります。これは国の審査が必要です。この表示許可を得るには、臨床試験データをはじめ膨大な量の書類を厚生労働省に提出しなければならず、その審査も厳密に行われます。つまり費用や時間の面で企業側の負担が大きくなります。
サプリメントの詐欺に騙されないための6つのヒント
 
さてFDAは、「病気や健康に効果があるように誤って宣伝しているにもかかわらず、安全性と有効性が科学的に証明されていない場合、その健康食品は詐欺行為となります」「リスクを冒す価値はない」と警告し、詐欺をみつけるための6つのヒントを紹介しています(6)。日本の消費者も参考になります。
 
1:ひとつの健康食品ですべてが解決する
さまざまな病気を治すと謳う健康食品は怪しい。FDAは、偽の万能薬を販売する企業に対し、警告状を送り続け、必要に応じて強制措置を取っています。これらの奇跡的な治療法は存在せず、インチキであり、これらの企業が売っているのは偽りの希望だけです。
 
2:個人の「成功」体験談
「糖尿病が治った」「COVID-19感染がすぐに止まった」といった成功談は、簡単に作り話ができ、科学的証拠の代わりにはなりません。
 
3:即効性のある治療法
医薬品であっても、すぐに治る病気や症状はほとんどありません。「30日で30キロ痩せる」「ウイルス感染から守る」「数日で皮膚がんをなくす」といった言葉には注意しましょう。
 
4:「すべて自然な」治療や処置「すべて自然な」といった表現に騙されてはならない。このような言葉は、製品が従来の治療法よりも安全であることを示唆するために、注目を集めるために健康詐欺でよく使われます。こうした言葉は、必ずしも安全性と一致するわけではありません。自然界に存在する植物(毒キノコなど)の中には、食べると有害であったり、死に至るものもあります。さらにFDAは、「オールナチュラル」の治療薬や治療法として宣伝されている製品の中に、隠れて危険なほど高用量の処方薬成分やその他の医薬品有効成分が含まれているものが数多くあります。
 
5:奇跡の治療法
「新発見」「結果保証」「秘密の成分」といった類いの謳い文句を目にしたら、注意を促すべきです。もし深刻な病気に対する本当の治療法がFDAの認可を受けたものであれば、医療専門家によって処方されるはずです。
 
6:陰謀論
「これは政府や大手製薬会社が知らせたくない治療法」というような主張は、一般常識的な疑問から消費者の目をそらすために使われます。
 
以上、サプリメントに関するお話です。すべてのサプリメントが無害で健康に効果があるわけはないこと、誇大に宣伝される可能性があること、そして、国の審査が必要ないので、安全性や有効性は事業者を信用するしかないことを忘れないでください。また、現在サプリメントを利用している方、これからサプリメントの利用を考えている方、ぜひその必要性を医師に相談してください。
サプリメントの詐欺に騙されないための6つのヒント
 
さてFDAは、「病気や健康に効果があるように誤って宣伝しているにもかかわらず、安全性と有効性が科学的に証明されていない場合、その健康食品は詐欺行為となります」「リスクを冒す価値はない」と警告し、詐欺をみつけるための6つのヒントを紹介しています(6)。日本の消費者も参考になります。
 
1:ひとつの健康食品ですべてが解決する
さまざまな病気を治すと謳う健康食品は怪しい。FDAは、偽の万能薬を販売する企業に対し、警告状を送り続け、必要に応じて強制措置を取っています。これらの奇跡的な治療法は存在せず、インチキであり、これらの企業が売っているのは偽りの希望だけです。
 
2:個人の「成功」体験談
「糖尿病が治った」「COVID-19感染がすぐに止まった」といった成功談は、簡単に作り話ができ、科学的証拠の代わりにはなりません。
 
3:即効性のある治療法
医薬品であっても、すぐに治る病気や症状はほとんどありません。「30日で30キロ痩せる」「ウイルス感染から守る」「数日で皮膚がんをなくす」といった言葉には注意しましょう。
 
4:「すべて自然な」治療や処置「すべて自然な」といった表現に騙されてはならない。このような言葉は、製品が従来の治療法よりも安全であることを示唆するために、注目を集めるために健康詐欺でよく使われます。こうした言葉は、必ずしも安全性と一致するわけではありません。自然界に存在する植物(毒キノコなど)の中には、食べると有害であったり、死に至るものもあります。さらにFDAは、「オールナチュラル」の治療薬や治療法として宣伝されている製品の中に、隠れて危険なほど高用量の処方薬成分やその他の医薬品有効成分が含まれているものが数多くあります。
 
5:奇跡の治療法
「新発見」「結果保証」「秘密の成分」といった類いの謳い文句を目にしたら、注意を促すべきです。もし深刻な病気に対する本当の治療法がFDAの認可を受けたものであれば、医療専門家によって処方されるはずです。
 
6:陰謀論
「これは政府や大手製薬会社が知らせたくない治療法」というような主張は、一般常識的な疑問から消費者の目をそらすために使われます。
 
以上、サプリメントに関するお話です。すべてのサプリメントが無害で健康に効果があるわけはないこと、誇大に宣伝される可能性があること、そして、国の審査が必要ないので、安全性や有効性は事業者を信用するしかないことを忘れないでください。また、現在サプリメントを利用している方、これからサプリメントの利用を考えている方、ぜひその必要性を医師に相談してください。
 
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