[51]福岡伸一 「コロナ禍で見えた本質」

生物学者福岡伸一さんが朝日新聞に「コロナ禍で見えた本質」というタイトルで寄稿し、新型コロナ問題を「人もウイルスも制御できぬ自然」という観点から考えています。また彼は文藝春秋デジタル版でも「ウイルスとは共存するしかない」という特別寄稿を書いています。

福岡さんは「私たちの最も身近にある自然とは自分の身体です。生命としての身体は、自分自身の所有物に見えて、決してこれらを自らの制御下に置くことはできない。」といっています。確かに私たちは生まれたくて生まれたわけでもなく、いつどんな病気になるかもしれずいつ死ぬかもわかりません。「生命としての身体」を福岡さんはギリシャ語でいう自然を意味するピュシスと呼び「脳が作り出した自然」をロゴスと呼びます。ロゴスとは言葉や論理のことです。


小生は考えます。

新型コロナ感染症の広がりは現代資本主義社会にはかり知れない影響を与えつづけています。1991年ソ連邦が自己崩壊しスターリン主義は破産しました。資本家階級はスターリン主義の破産をマルクス主義の破綻として宣伝し資本主義の勝利を謳歌したのです。脱イデオロギー化した労働運動を体制内へと組みこみつつ、リーマンショックによる経済危機の犠牲を労働者階級に転嫁し何とか生き延びてきました。しかしカジノ化した資本主義は経済的格差を広げ『資本主義の終焉と歴史の危機』(2014年 水野和夫著)という題の本がベストセラーになるほどでした。トランプの登場は直接的にはアメリカ資本主義の、媒介的には「グローバル資本主義」の危機の端的な表現にほかなりません。

そして今、新型コロナウイルスの広がりは米―中・露の対立と抗争を軸として揺れ動く現代資本主義を震撼とさせているのです。


 福岡さんは次のように言います。

 「そんなピュシスの顕れを、不意打ちに近いかたちで、私たちの目前に見せてくれたのが、今回のウイルス禍ではなかったか。」「ウイルスが伝えようとしていることはシンプルである。医療は結局、自ら助かるものを助けているということ……である。」「一方、新型コロナウイルスの方も、やがて新型ではなくなり、常在的な風邪ウイルスと化してしまうだろう。宿主の側が免疫を獲得するにつれ、ほどほどに宿主と均衡をとるウイルスだけが選択されて残るからだ……長い時間軸を持って、リスクを受容しつつウイルスとの動的平衡をめざすしかない」という。

 そして終わりのパラグラフで「私は、ウイルスを、AIやデータサイエンス、つまりもっとも端的なロゴスによって、アンダー・コントロールに置こうとするすべての試みに反対する」と宣言しています。文藝春秋では同様のことを次のようにいいます。「コロナ禍を奇貨とし、AIやデータサイエンスの支配が進展し、私たちの基本的な自由(集会、移動、言論、教育など)がアルゴリズム的な規制を受ける未来も恐ろしい。ウイルスを含めた私たち生命は、本来的にコントロール下に置くことができない。いつ生まれいつ死ぬか、生命は動的平衡の流れの中にある。その諦観とともに私たちは長い時間軸を持って、ウイルスとの共存を模索するしかない。」
例えば 感染を避けるために外出をしないことを自粛と呼び、標語化し、外出した人を標語を守らない人とみなして非難・排除するといった風潮が上からも下からもつくられています。これはおそろしいことです。福岡さんは、この社会の為政者が基本的自由の規制をするような感染症対策をするであろうことを恐れるあまり、おかしなことはしてほしくない、ウイルスと共存する他ないのだと諦めているかに見える。
資本家の利益が優先される資本主義社会における感染症対策の実現の過程は、失業をはじめ労働者の犠牲をうみだしたり、集会の自由の規制を強化する過程となるのです。この矛盾を根本的に解決することを模索していきましょう。諦めないで。