[182](投稿)幌延の二の舞を演じるな

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核ごみ 議論避ける幌延 賛否二分 80年代に貯蔵施設誘致 研究延長、寿都調査検討 問題再燃くすぶる疑念
09/10 10:48 更新
 【幌延】1980~90年代、原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)貯蔵施設の誘致問題で揺れた宗谷管内幌延町。最後は「核抜き」の研究施設設置に着地したが、町内は推進派と反対派に分断され、周辺地域ともしこりを残した。その苦い記憶から人口約2300人の町内は今、表立った議論を避ける空気が漂う。ただ本年度にも終わるはずだった研究は延長され、後志管内寿都町で核のごみ処分場選定調査応募論議が浮上。幌延も処分場候補地にならないか、地元では今も疑念が残る。

■争点にならず

 「幌延町も処分場にならないか不安だ」。8月下旬の町議補選に出馬した元職の鷲見悟さん(66)は寿都町が核のごみの処分場選定調査の応募を検討していることに触れ、こう訴えた。

 欠員2人に3人が出馬。核のごみの処分技術を研究する日本原子力研究開発機構幌延深地層研究センターが将来の処分場につながりかねないと主張したのは鷲見さんだけだが、落選し、「核のごみ問題への町民の関心は薄れ、争点にならなかった」と嘆いた。

 核のごみ施設の誘致問題で町内が二分された経験から、町民の口は今も重たい。50代男性は「推進派と反対派で互いに口をきかず、顔も合わせなかった。前のようにぎすぎすしたくない」と語り、80代女性は「センターが核のごみの処分場にならないか心配する人はいるが、表立っては言いにくい。小さな町では黙っている方が利口」と漏らす。

■手厚い交付金

 町は国から毎年約1億5千万円の電源立地地域対策交付金を支給され、診療所や保育所の運営に充てる。近隣6町村への交付額合計を上回る手厚さで、一般会計は人口が多い宗谷管内豊富町浜頓別町など4町村と大差ない約50億円、2018年度末の基金残高は数倍の約50億円。「研究施設で町が潤っている」(93歳女性)と歓迎する町民もおり、野々村仁町長(65)は「研究だけならいいという意見が大勢だ」と言う。

 ただ、幌延町が核のごみ施設の誘致に動いた80年代から反対している近隣町村の住民には、幌延が核のごみの処分場になることへの警戒感が色濃く残る。

■近隣と分断も

 原子力機構の前身の動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が86年8月、機動隊数百人の力を借り、貯蔵施設建設の調査を強行した際には近隣住民も抗議に駆け付け道路を封鎖。機動隊ともみ合い、怒号が飛んだ現場にいた浜頓別町の元酪農家鈴木芳孝さん(76)は「機動隊に押し返され、民主主義って一体何だろうと思った」と振り返る。

 90年11月には、豊富町議会で幌延への誘致推進決議を主導した町議2人の解職請求が住民投票で成立。近隣町村の反対論を勢いづかせた。請求をけん引し、翌年町議となった鎌倉和雄さん(71)は「当時の幌延町の動きは近隣町村との分断も招いた」と指摘。研究センターの計画が28年度ごろまで延長され、「国の本音は埋め戻さず処分場にすることでは」といぶかる。

 野々村町長は調査応募も処分場誘致も「ない」と断言するが、「周辺首長から冗談交じりに『本当に処分場にしないのか』と聞かれることがある」と明かす。

 14年には原子力機構理事が研究用坑道を「(埋め戻すのは)もったいない」と発言。89年に兵庫から豊富町に移住して以来、反対運動を続ける酪農家久世薫嗣さん(76)は言う。「幌延寿都の問題は根底でつながっている。住民が声を上げていかないと、処分場問題が降ってきかねない」

■知事反対で研究施設に

 幌延町の核のごみの歴史は40年前、当時の町長が原発誘致に動いた1980年までさかのぼる。原発は地盤が悪くて断念したが、82年、代わりに目指したのが低レベル放射性廃棄物貯蔵施設の誘致で、当時の科学技術庁長官、故・中川一郎氏が持ち掛けたとされる。

 この誘致は近隣町村の反対や中川氏の急死などでしぼんだが、84年、町が高レベル放射性廃棄物貯蔵施設を誘致していたことが表面化。動燃は同8月、高レベル放射性廃棄物貯蔵・研究施設の建設計画を公表した。

 計画には横路孝弘知事(在任83~95年)も反対し、反対運動は全道に広がった。動燃は建設に向けた調査を強行した時期もあるが、続く堀達也知事(同95~2003年)も反対し、計画は撤回に追い込まれた。

 高速増殖原型炉もんじゅの事故隠しで廃止された動燃を引き継いだ旧核燃料サイクル開発機構(核燃機構)は核のごみの最終処分技術研究を優先する計画に転換。2000年、「放射性廃棄物を持ち込まない」とした協定を道と幌延町との3者で結び、01年に深地層研究センターを開設。20年度ごろまでとされた研究は今年1月、28年度ごろまでに延長された。(内藤景太)


※※※

 研究施設が「核のごみ処分施設」に変わるのは目に見えていますね。国策ですから、原発が稼働している限り、核の廃棄物は増える一方で、どこかに「埋め立てるしかない」と政府、電気産業界等は考えているはずです。このあおりを食らって、町内の分断が、高知県の東洋町でも起こり、この詳細は、8月25日に「138」

の(投稿) 「核のゴミ問題 高知の戦いの教訓」に詳しく出ています。

 同じ、核のごみを受け入れるという村が出ていました。泊原発のすぐ近くにある「神恵内村(かもえないむら)」にも生じたのです。

 経産相経産省としては「うれしい」ニュースでしょうね。「貧すれば鈍す」ということが連鎖反応を起こしていますね。新型コロナ問題の最中に古くて新しい「高レベル放射能廃棄物」の「廃棄場所」を提供してくれるところが複数手を上げてもらえることが望ましいと言っていたわけですから。

 このままでは、日本全体が「核のごみ」で埋まる日も遠くはないでしょうね。人は消えても「高レベル放射線物質の廃棄物・核のごみ」は「地球が滅びるまで残る」でしょうね。

 読者の皆様はどのように思われますか?

 

◆◆◆ 手を上げて金入れば言うことなし



◆◆◆ 人は消え残る核のごみ神恵内

          批評禍 骨川筋衛門 作


                
■「参考文献」:

① 『放射能汚染の現実を超えて』 小出裕章 著 河出書房新社 

② 『東海村臨界事故  被ばく治療83日間の記録』 NHK取材班 岩波書店 2002年