[221]6人の任命拒否の理由を問われた菅首相、またはぐらかし。言えないなら撤回を❗️

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労働組合員より

菅首相は、学術会議任命問題で安倍と同様の独断と開きなおりぶりを披瀝しました。「着実に全体主義への階段上る」という学術会議前会長山極氏の危惧に象徴される声は無視し、野党が何を言おうがどこ吹く風、ご機嫌な表情で東南アジア歴訪の旅へでかけました。21日菅首相インドネシアで行われた記者会見で改めて学術会議6名の任命拒否の理由を問われ、「推薦された方々がそのまま任命されてきた前例踏襲をしてよいのか考えた結果だ」、年間10億円使っている学術会議は「国民に理解される存在であるべき」と答えました。任命拒否という行動の理由には答えず、学術会議が国民に理解されるかどうかは自分が決めるというわけです。安保政策などで政府に批判的な人が存在する学術会議は国民に理解されないと、国民を盾にして自説を押し通す。そういうことを言っても日本国民は怒って反政府運動に立ち上がることはないとたかをくくっているのです。

 ■タイではコロナ危機で今年度GDPは-7%と予想され国民生活は危機的になっています。王室への反発や政府のスキャンダルにたいして反政府運動が盛り上がり、緊急事態宣言にもめげず連日デモが行われています。香港で反政府闘争をたたかう若者がタイの闘いとの「同盟」を宣言しているとメディアは伝えています。タイや香港の民衆は圧政にたいする怒りをばねとして政府にたいしてさまざまの要求を掲げて立ち上がっています。

 ■日本の社会はどうでしょうか。何があっても総体としては動かずどんよりしています。朝日新聞に経済気象台というコラムがあります。21日付で次のように述べています。一部を引用します。私はなるほどと感じるところがあります。

 「これだけ政治が劣化しているのに、今や感覚がまひしてしまったのか国民は問題にしない。どうも世の中全体に『自分の見たいものだけを見る』という風潮が蔓延しているようだ。
 ソーシャルメディアの発達で起こったことは、多様な意見の流通・交換ではなく、自分と似た意見ばかりが集まりエコーのように共鳴しあう閉鎖空間ができる、という現象だ。多くの人々は視野狭窄になり、見たいものだけを見て、真実よりも自分の信じたいものを信じる『居心地の良さ』にふけるようになってはいないか。
 国民は自分の民度を超える政治家をもつことはない、と言われる。政治、政治家の劣化が何を反映しているのか。われわれ国民自身が問うてみなければなるまい。(呉田)」

■確かに、呉田氏の問いかけをうけとめる必要がありはしないかと思うのです。異論・異端を排除し、自分と似た意見ばかりが集まりエコーのように共鳴しあう閉鎖空間ができ、そこでのおしゃべり的交流に自分の存在価値を見出す、ということが日常化している、そのように仕向けられていはしないかと思うのです。新型コロナ危機で政府や資本家によって犠牲にされた多くの非正規雇用労働者、雇用によらない働き方をしている個人事業主フリーランスの方々、にたいして労働運動は低迷しています。原発の核のゴミ処分場問題でメディアは報道しても反対運動は全く盛り上がらないというのがありのままの現実です。このまま手をこまねいていると、弱いもの、貧しいものはますます貧しく、生命をも危険にさらし、富める者は貧しいものの犠牲の上にますます肥え太るという社会にさらに変貌してしまいます。

■批判をうけとめる社会をつくっていかなければなりません。批判と反批判を通じた対立の止揚こそが変革の推動力なのです。批判者は排除する、それが学者の世界でも労働運動・反対運動の根底にもはびこってしまっているのです。私たちは批判を生かしていくだけの現実変革的な立場に立つこと、そして批判・反批判を規定する哲学的・科学的基準を自分のなかにつくっていくことが問われていると思います。