[284]今日は12月8日 日米開戦から79年目

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ブログ管理人より
朝日新聞が「戦後75年 戦争体験者の証言」を連載しています。今日は真珠湾攻撃に参加した艦載機の元搭乗員の証言を掲載しています。
1941年当時は1937年にはじめた日中戦争が泥沼化し、日本軍は資源を求めてインドシナ半島に「転戦」していました。日本にたいしてアメリカは石油やくず鉄などの全面禁輸などの経済措置をとり日米関係は緊迫していました。そのような状況の中で軍部は日米開戦を「御前会議」で秘密裏に決めたのです。

 1941年11月18日に大分県佐伯湾を出港した日本海軍の空母「蒼龍」に乗って、真珠湾攻撃に参加した艦載機の元搭乗員の吉岡さんが体験を語っています。

行先を知らされずに出港した吉岡政光さんは11月22日に上官からハワイで奇襲攻撃を行うことを知らされました。上官は「十年兵ヲ養フは只一日之ヲ用ヒンガ為ナルヲ想起シ」といって攻撃計画を伝えたのだといいます。その話を聞いた吉岡さんはそのとき次のように感じました。

「そのくだりを聞き、頭の上から足のつま先まですべての血がデッキに吸い取られるような感覚になりました。10年も兵を養うのは、たった1日使うためだと。アメリカの方が飛行機や軍艦も多いし、これは俺の死に場所だなって思いましたが、非常にうれしかった。たくさんいる中から選ばれ、こういう大戦争に行けるということは本当に幸せだなと。」

真珠湾攻撃の後、戦況はきびしく、多くの搭乗員は戦闘で命を落としていった。······そして終戦
玉音放送を聞いた吉岡さんは「最初に浮かんだのは戦死した人たちのことですよね。たくさんの親しい人たちが戦死して、そのことを思い出したら涙が出てきてですね。」といいます。

いま102歳になった吉岡さんは戦後ずっと戦争体験は語ってきませんでしたが、約2年前に自分の「戦争の記憶を残しておけば、死んだ人たちのためにもなる」と思い講演するようになりました。インタビューの終わりは次のように結ばれています。

「頭のいい人たちがなぜもう少し早くね、ひどくなる前に戦争をやめさせなかったのかなと思ってね。戦死した人たちが気の毒で、私みたいにのうのうと100歳過ぎまで生きていて、悪いなと思っていますよ。
今でもいつ戦争になるか、そんな気がしますからね。よっぽど外交をしっかりやらないと。国民がしっかりして、みんなと仲良くするよう努力しなくちゃいけないと思いますね。」
多くの大切なことを含み言われていると思います。

昨今、尖閣列島問題や北朝鮮の動きがメディアを通して「国益を守る」という観点から伝えられています。私はいま、1941年の「アメリカ」が「中国」「北朝鮮」に置き換えられているだけのような気がしています。
自衛隊を軍隊として憲法9条に明文化したり、緊急事態条項を憲法に新設したりしようとする安倍後継の菅政権は、昔の戦争の今日版を準備しているようにしか思えないのです。緊急事態条項はヒットラーが合法的に独裁政治を可能にした「全権委任法」と同じ性格なのです。

中国や北朝鮮政府と日米政府の角逐は、私たちが戦争をしてはいけないという立場にたって考え、批判の声を上げていかなければならないと思います。

新型コロナ危機のなかで社会全体に不安が広がっています。私たちは感染拡大の非常時下で暮らし、不安定な気持になっています。
こういう時だからこそ理性的に考え行動することが大切だと私は自分に言い聞かせています。