[426](投稿)生活保護引下げは、裁量権乱用

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① 社説:生活保護費訴訟 国の手法に疑義示した
 
国が生活保護費を大幅に引き下げたのは生存権を侵害し違憲だと大阪府の受給者らが訴えた裁判で、大阪地裁が引き下げ処分を取り消す判決を下した。
 違憲判断は示さなかったが、厚生労働相の判断過程に「過誤や欠落がある」として裁量権の逸脱や乱用があったと認め、引き下げは違法と断じた。
 一連の集団訴訟で初の処分取り消しであり、国の政策決定のあり方に疑義を突き付けた判断だ。今後生活保護制度の信頼性も問われる可能性がある。
 国は保護費について算定の経緯を検証し、合理的な手続きにのっとった見直しを検討するべきだ。
 国が対象としたのは、生活保護費のうち食費などの生活扶助費の基準額。デフレによる物価の下落率を考慮するなどして2013~15年に平均6・5%引き下げた。
 この大幅減額を、原告側は異例の計算手法による恣意(しい)的な措置だと批判した。引き下げが厚労相裁量権の範囲内と言えるかどうかが裁判の争点となった。
 国は物価の下落率を算定する起点を原油高騰などで物価が上昇した08年としたが、判決は「その後の下落率が大きくなるのは明らか」で不合理だと指摘した。
 生活保護受給世帯が頻繁には購入しないテレビやパソコンなどの下落率を反映した独自の指数を採用した点についても、「専門的知見との整合性を欠く」とした。
 都合の良い数値を利用した厚労省の不誠実な姿勢を浮き彫りにしたと言える。原告側が「物価偽装」と非難したのはもっともだ。
 生活保護水準の原則1割カットを公約に掲げ、12年に政権復帰した自民党の意向を背景に、無理を通そうとした疑いがぬぐえない。
 生活保護制度は、憲法25条が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」の土台だ。
 しかも生活保護の基準は、個人住民税の非課税限度額や最低賃金など多くの制度と連動する。
 だからこそ基準を設定する際には、客観的な数値を用い、専門家の知見に耳を傾け、丁寧な検討を重ねなければならない。
 コロナ禍で多くの人が仕事や収入を失い、生活保護の重要性が増す中ではなおさらだ。
 同様の訴訟は札幌を含む全国の地裁で起こされており、約900人の原告が引き下げによる困窮を訴えている。
 国は判決を重く受け止め、ただすべきゆがみはただし、確かな安全網を構築しなければならない。

 ② 卓上四季: 生存する憲法
02/24 05:00
憲法25条の生存権を提案したのは日本社会党の森戸辰男議員であった。帝国議会の小委員会で憲法改正案の審議が行われていた1946年夏のことである▼芦田均委員長は改正案12条(現13条)の幸福追求権に基づく立法措置で十分ではないかとただしたが、森戸は「日本では實行をなかなかやらないから、生存できない者が非常に澤山ある」と主張。議論を重ねる中で日本自由党の委員からも賛同の声があがり、明示されることになった▼この追加修正は今も大きな意味を持つ。幸福追求権は個人の自由権にすぎないが、生存権の規定により国家は社会保障に対する義務を負ったからだ。生活保護政策はその典型例といえる▼生活保護費の受給者が減額の取り消しなどを求めた訴訟で、大阪地裁が画期的な判決を出した。国は物価下落などを理由に生活扶助を最大10%引き下げたが、物価の上昇時を起点に下落率を算出したり、受給世帯では支出割合が少ないパソコンなどの価格を考慮したりした減額は違法と断じた▼同種訴訟は全国で係争中だ。けがや病気で働けない人もいる。教育の格差による貧困の連鎖も続く。個人の努力では補えないほど著しい格差を埋めるのは国の責務だろう▼すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。敗戦直後の悲惨な混乱期にあって、先達が条項に込めたであろう願いに応える判決だった。202(北海道新聞デジタル版2021・2・24 「社説」並びに「卓上四季」より引用)



※※※ 真田幸村のコメント

 同日の北海道新聞に「社説」と「卓上四季」に「生活保護」に関する記事が掲載されました。これに関する報道は先行して出ていますが、社説と卓上四季に同時に出る「記事」は少ないと思います。

 それはともかく、卓上四季に生存権に関する歴史が書かれています。1946年夏に憲法25条の生存権を提案したのは日本社会党の森戸辰男議員でした。芦田均委員長は改正案12条(現13条)の幸福追求権に基づく立法措置で十分ではないかと質(ただ)しましたが、森戸は「日本では實行をなかなかやらないから、生存できない者が非常に澤山ある」と主張。議論を重ねる中で日本自由党の委員からも賛同の声があがり、明示されることになりました。

 この追加修正は今も大きな意味を持つと卓上四季の筆者は強調します。「幸福追求権は個人の自由権にすぎないが、生存権の規定により国家は社会保障に対する義務を負ったからだ」とその意義をきっちりと説明してくれています。そして「生活保護政策はその典型例」であるといいます。

 生活保護費の受給者が減額の取り消しなどを求めた訴訟で、大阪地裁が画期的な判決を出しました。

「国は物価下落などを理由に生活扶助を最大10%引き下げましたが、物価の上昇時を起点に下落率を算出したり、受給世帯では支出割合が少ないパソコンなどの価格を考慮したりした減額」は「違法であると」断じたことです。

 同種の訴訟は全国で係争中で、「けがや病気で働けない人もいる。教育の格差による貧困の連鎖も続く。個人の努力では補えないほど著しい格差を埋めるのは国の責務である」と断じています。

 私たちは良い先達を持ちました。このことを忘れず、現在にある人たちにも、未来の人たちにも伝え、同時に「現代のカジノ資本主義国家の経済的・社会的構造の歪み、一党独裁政権の政治的歪み等」も正していこうではありませんか!!