[450](投稿)防潮堤

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そびえる防潮堤 家並みはまばら 釜石鵜住居・片岸地区 東日本大震災10年

 2011年3月11日の東日本大震災から間もなく10年。沿岸部一帯に津波が押し寄せた岩手県を2月下旬、上空から見た。巨大な防潮堤や水門が造られ、かさ上げして整地された土地に建物が建つ。国が30兆円に及ぶ巨費を投じた復興事業により、基盤整備は着実に進む一方、空き地の多さが目立つ。人口減は加速し、厳しい現実に直面している。
 震災から2日後、本社ヘリで故郷の岩手県釜石市に飛んだ。北部の入り江に面する鵜住居(うのすまい)・片岸地区の海辺は津波の爪痕が生々しかった。建物が無残に破壊され、一面が泥とがれきの山に。避難住民が多数亡くなった鵜住居地区防災センターなどが残るだけで、山林からは無数の白煙が立ち上っていた。
 震災10年を前に、同じ空から見た同地区には、高さ14・5メートル、延長820メートルの防潮堤が築かれ、河口には大水門がそびえる。校舎が津波を受けたものの、児童生徒に犠牲者が出ず、「釜石の奇跡」と称された市立の鵜住居小と釜石東中は高台に移った。跡地には19年ラグビーW杯日本大会の試合会場となった復興スタジアムが建てられていた。
 そそり立つ防潮堤に真新しい建物。被災地に共通する風景だが、どこも家並みはまばらだ。人口減に加えて高齢化が進み、地域社会の維持や生業の再建も難しさを増す。被災自治体には、復興事業で整備した施設の維持管理の負担も重くのしかかってくる。
(中川大介)(2021/3/7 北海道新聞デジタルより引用)

※※※ 武田心玄のコメント
 
北海道新聞は、この間、「東日本大震災 10年」というタイトルで、東日本の「現在(いま)」を長期に連載しています。ここに転載させていただいたのは、その中の一つの記事です。
 どの記事も、工事をしてかさ上げをして、「臨時の住居を建設」するとか、「聳える防潮堤」とかの「工事」を軸にして、町の復興をさせるという「手段」が多いのです。
 そこで失われていったのが、もともとあった時の「隣近所の付き合い」だと、このシリーズの中心になる「問題」の発見です。

 もともとの地にあった街・町の復興を願って、仮住まいから中心部にあった地に新たに住居や公共施設を作りましたが、再度、新しくできた街に人は、戻って来ないという実情が分かって、「もっとみんなの意見を聞くべきだった」という反省をしているのが地元の「役所の職員」さんです。

 また、時間がたつにつれ、多くの人は新しい職を求めて新しい土地に移住するということや、それに伴って家族で移住し、ご高齢の方は隣近所で話ができた時と違う顔ぶれが「抽選」で、仮住まいがあたり、会話をするのもためらいがちになるという事象も生じ、「心寂しい生活」を送らねばならなくなり、ストレスや持病も重なって他界される方も増え、人口減が急速に進みました。

 新しく立てた公共施設はほとんど使われないまま、補強工事だけを続けていくという事態も生じています。
 
「そびえる防潮堤」は立派ですが、「屋並みばらばら」で、「残念ながら人の交流・賑やかな街作りには向いていなかった」という「皮肉」が込められています。

 こうした検証もなされなければ、福島第1原発の地にも同じことが継続され、正確な人々の心の機微を把握しないと、ただの「放射性物質を含んだ残土の置き場」・「汚染水の置き場」になってしまったままのな所になるだけではないでしょうか?