[506](寄稿)医療あれこれ(その57)

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ペンギンドクターより
 
 私が勤務している病院のクラスターは収束して、ほぼ通常の病院機能が回復しました。PCR検査を繰り返して、費用は掛かりましたが、つくづく、自前でのPCR検査の効果を感じます。要するにPCR検査を何度も繰り返すしかないのです。私は昨年「数が増えれば500円ぐらいでやればいいのだ」とクリニックで話してみんなに呆れられましたが、国策としてそれぐらいで出来るようにしていたら、結果的に何兆円もの節約になったのではないかとすら思います。

 今回は、医療あれこれ(その57)を送ります。
 今回は、いや今回もまたと言っていいでしょう、私のまとまりのないよもやま話です。  
 
 先日、書庫を整理していたら、1994年5月19日第1刷発行『シネ・スクリプト 「カサブランカ」』(マガジンハウス刊行)を見つけたので、久し振りに読んでみました。読み始めたら夢中になり一気に読んでしまいました。内容は、皆様もご存知の映画「カサブランカ」(ハンフリー・ボガードイングリッド・バーグマン主演)の台詞の対訳本です。読んでいるうちに、映画の場面が浮かんできて、懐かしいというか切ないというか、まだ自分にもこういう気分が蘇ってくるのかと、奇妙な感じでした。
 この映画は、1942年に封切られています。日本に入ってきたのは戦後のはずですが、私はもちろん、この映画を映画館で見たわけではなく、ビデオでみました。それで、すっかりボガードとバーグマンのファンになり、二人のビデオを何本か集めました。・・・・・・ と書いていくときりがありません。バーグマンの乳がんの話をするつもりなのですが、もう一冊書庫にあった写真集『イングリッド・バーグマン 生きて恋して演技して』(1977年2月15日第1刷発行、1991年9月5日第11刷発行、芳賀書店刊行)も読んで、彼女の出演した映画のうち、何本のビデオを見た記憶があるか調べてみたら、9本のビデオを見ていました。現在手元にあるのはDVDが3本です。実は彼女は乳がんで亡くなっています。60歳で乳がんになり、7年間の闘病生活を送っています。そして、最後まで演技の仕事を続けています。1915年8月29日生まれで1982年8月29日死去、享年67歳です。どのような治療を受けたのかは知りません。しかし、乳がんなら樹木希林さんの例を挙げるまでもなく、がん細胞の増殖は比較的ゆっくりしていますので、体力・知力特に知力は最後まで保たれるケースが多いと言えます。しかし、がんですから、必ず死は訪れます。日本人である樹木希林さんやスウェーデン人であるバーグマンが、どんな思いで仕事を続けていたのか、私には想像もできませんが、見事な職業人だったことは間違いないでしょう。

 さて、今クリニックの患者さんに60歳代の「乳がん未治療」の患者さんがいます。以前皆様にもちょっとお話したことがあります。息子二人?がO 市で仕事しているということで、O に引っ越してきて、現在一人暮らしです。旦那さんとの関係がどうだったのかは、聞いていません。
 約5年前に左乳がんの診断を受けたものの、手術を含む一切の治療を拒否して対症療法のみの患者さんです。腫瘍は5センチ以上の大きさになり、左腋窩リンパ節の転移も大きくなっています。脊椎の圧迫骨折の腰痛で整骨院にかかっていたのですが、たまたまクリニックの初診の外来が私でした。痛み止めなどの処方希望でしたが、初診の際に彼女から「乳がん未治療」という話が出て、その後私の外来に来るようになりました。腫瘍マーカーが徐々に異常を示しており、腰痛も「骨への転移の可能性が高い」と数か月前から、話しています。・・・・・・。
 つまり、乳がんの具体的な経過、転移のこと、痛みのこと、亡くなる場合の死因(肺転移による呼吸不全が多い)などについて、理解してほしいと思うので、来院のたびに少しずつ話していました。本人も痛みなどを軽減する投薬治療は拒否していませんから、「最期は大体、麻薬を使って苦痛を軽くする」という話や、「ある閾値を超えると一気にがんが暴れ出すことが多い」「最期は病院ではなく在宅で迎えたいと思うのでしょうから、その準備をした方がいい」ということまで、話しました。一方、同時に「手術をして抗がん剤投与をしていても、5年目に再発してくる人は結構いるから、その意味では、あなたが治療しなかったことが悪いとは言えない」という話もしています。
 要するに、治療を拒否するような人への対応は極めて難しいのです。彼女は彼女なりに情報を収集していますから、知識はあります。しかし、「乳がんで死ぬ」ことの具体的なイメージがあるとは言えません。医者であっても専門分野が違えば、具体的な「がんによる死亡」のイメージがない人はいます。まして一般人ならなおさらです。もっとはっきり言えば「自分が死ぬということ」を理解している人は、この日本の「平和な時代」では少ないのではないでしょうか。今の私の役目はそれを少しずつ具体的に分かってもらうことだと言えるかもしれません。   
 さて、3月に入って、それまで月に一度来院していたのが、腰痛がひどくなってきたせいか、痛み止めや他のビタミン剤などを希望して毎週来院するようになっていました。私もそのたびに本人の希望通りに処方を変更したり追加したりしていました。ただ、患者さんが多めで忙しい時は彼女にだけ時間を割くのは難しく、いつもの20-30分の診察を10分足らずで切り上げることも多い日がありました。そしてその後、2週続けて来院しない日があり、今度は「ひょっとして痛み止めの副作用で胃潰瘍が出来て血でも吐いて自宅で死んではいないだろうか」と心配することになり、事務員に朝「今日来院しなかったら携帯に電話してみよう」と話していました。事務員は「あの人はいつも11時過ぎてから来院するから・・・・・・」とのこと。実際に事務員の言う通り、11時過ぎに彼女はびっこを引きながら、来院して私はホッとする始末でした。それが4月初めで、その日は、具体的に「訪問医療」「訪問看護」などについて、ナースに話してもらいました。「詳しい在宅医療の話は息子と一緒に聞きたい、しかし今仕事が忙しいので、連休明けにお願いしたい」と言っています。ナースの話では、住民票を移していないので、「介護保険の申請にはこちらに移す必要があり、急いでそれをしてください」と伝えたということでした。    
 私の外来に受診しているとは言っても、死ぬまで面倒をみるのは、私ではありません。一般には体調が急変すれば、病院に紹介する形になります。しかし、この女性の場合は、治療するわけではないので、今すべきことは、在宅医療への準備です。意外にこれが時間がかかります。私がいろいろ気を遣うのはそれが分かっているからです。死亡診断書を書くのは院長をはじめとする常勤の医師です。院長には昨年すでにこの患者のことは話してあります。院長は小児心臓外科の出身ですが、よく理解しています。
 私が病院に勤務していたころは、こういう苦労は勿論ありませんでした。要するに死ぬまで私が面倒をみることができました。死亡診断書を書くのは若い医師にしても私がそばにいることが可能でした。パートの医師の辛いところですが、実は死ぬまで面倒をみることをしないで済むから、私は常勤医をやめてパートの医師になったとも言えるでしょう。
 乳がんについては、この患者さんもそうですが、一気に衰弱するわけではないので、なかなか本人に「死ぬという実感」「衰えたという実感」がなくて、私のように「様々な死」を見てきたものとしては、「がん患者の急死」もあり得るので、心配してしまいます。これ以上続けると、愚痴っぽくなるので、この話はこのへんで。
 いずれにしても、外来をしていて、波長が合い、持続的に来院してくれるのは、医者冥利に尽きるという人もいますが、私は一般外来をしている限り、完全には平静な気分にはなれません。患者さんは必ず急変すること、特に老人は頻度的に急変することが多いものです。予測できないことも多いけれども、後で振り返ってみて、「予測すべきだった」と言えるケースもあります。そのことが私を神経質にしています。その点、検診業務はパターン化可能で、精神的には楽ですので、引き受けているのが今の私です。

 最後にこの10日間で読んだ本および今読んでいる本の紹介をします。
 池上彰佐藤優『ニッポン未完の民主主義 世界が驚く、日本の知られざる無意識と弱点』(2021年4月10日初版、中公新書ラクレ)、大澤真幸『新世紀のコミュニズムへ 資本主義の内からの脱出』(2021年4月10日第1刷発行、NHK出版新書)、斎藤幸平『人新世の「資本論」』(2020年9月22日第1刷発行、2021年3月6日第9刷発行、集英社新書)です。特に3つ目の斎藤幸平の新書は「新書大賞」受賞とか、駅ビルの書店に平積みになっています。こういう本が平積みというのは凄い。それだけ読まれているわけです。

 池上彰佐藤優大澤真幸の本は沢山読みましたが、斎藤幸平という人は、初めて知りました。1987年生まれですから、まだ33歳、こういう人が出てくるのは日本にもまだまだ希望があります。東大の理科Ⅱ類に入学したものの3ヶ月で退学してアメリカに渡り哲学を勉強して、ドイツ・ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。世界5か国で彼の著書が刊行されているようです。今大阪市立大学の経済学研究科准教授です。そして大澤真幸もこの斎藤幸平のこの本を引用しています。要するにコロナ後の世界は、今までの資本主義が変わらざるを得ないということです。新型コロナウイルスが終息しても、同じようなウイルスは必ず出現します。世界は極めて狭くなっています。そして地球はもうアップアップです。「コミュニズム」「マルクス」「資本論」という言葉に違和感がなくなりつつあるように感じます。私もヨタヨタですが、何とか頑張るつもりです。では。