[516](寄稿)二度目のワクチン接種を終えました

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ペンギンドクターより その1

皆様 5月7日(金)予定通り二度目のワクチン
接種をしました。
 今日はその話と先日紹介した本の話などの「とりとめのない話」、最後にCOVID‐19のついてのMRIC情報の紹介をお送りします。
 まず、私のワクチン接種の副反応ですが、二度目といっても大きな変化はありませんでした。一度目と同じく、注射部位(私は一度目と同じ左肩にしてもらいました。)の左肩の痛みが翌日ひどくなりましたが、翌々日である今日はほとんど痛みはありません。ただ、一度目と違って、左の腋窩(左わき)の痛みが軽度出現しましたが、今日は何ともありません。何となく「倦怠感」があるような感じもしましたが、ワクチンを接種してビクビク気にしていなければ、気づかない程度でした。注射当日はインフルエンザワクチンの場合と同じく、入浴もしました。ただし、インフルエンザの場合と同じく注射部位をこするようなことはしていません。
 なお余談ですが、一度目は、記入していた問診表を渡したうえで、医師のチェックが入り、簡単に医師と話した後、注射も医師でしたが、二度目は注射をナースがしてくれました。これは全国的な傾向です。自衛隊医官や看護師を動員して1000人規模の集団ワクチン接種をするという案が出ているようですが、問診も注射も医師である必要はありません。要するに、現場に医師と医療補助員がアナフィラキシーに対してすぐ対応できる体制が整っていればいいということだと思います。問診表のチェックは事務的なものです。アレルギー体質(例えば花粉症の人など膨大な人数です)だからといって、ワクチン接種をしないわけにはいかないでしょう。稀な「食物アレルギー」などがあれば、それは当然接種するばあい、十分な見守りのもとで行なうことになります。さらに言えば、ワクチン接種により、不測の事態が起こり、死亡したり、重篤な後遺症を遺した場合は、それなりの補償をすればいいことです。それがワクチンによるものか因果関係がはっきりしないとか議論の前に、怪しいものは補償するという方針をはっきりさせていれば、すむことです。100万人接種すれば、絶対に重篤な副反応は出ます。その副反応があったから、ワクチン接種をすべて中止するということにはならないでしょう。
 新型コロナ感染症(COVID‐19)によるパンデミックを機会にワクチンというものをもっと科学的・理性的に考えていく良いチャンスだと思います。
 ということで、私の場合は結局のところ「注射部位の痛み」だけと言っていいと思います。発熱もなく、「これで十分抗体ができるのか」などと疑いたくなる状況です。先行したイスラエルのワクチン接種により95%感染制御可能というデータを疑うわけではありませんが、私自身は秋頃までは、「巣ごもり生活」を続けようと思っています。要するに、日本国民のワクチン接種が7-8割以上にならなければ、安心はできないでしょうし、そうなった場合でも、私としても今のような日本の状況で、敢えて感染しそうな場所に出ていく気がしません。以下はそんなエピソードをお話します。
 女房の仲のよい友人の旦那の話です。同級生ですから今年71歳で、したがってその旦那は70代前半のようです。非常勤ですが、校長ないし校長代行をしていて、その学校の若い教員が、コロナに陽性となったのです。電話ないしメールでそのことを報告すればいいのに、あろうことか、その教員は、校長室にわざわざやってきて「自分は陽性になったので、お休みをもらいたい」とのこと。律義というか、知的レベルの低さというか、要するに日本人のコロナ意識の低さをうかがうことができます。おかげで、その旦那の校長は濃厚接触者ということになって自宅待機になったとのこと。  
 某政治家が「感染が少ないのは、日本人の民度・・・・・・」などというコメント不可能な談話を発したことがありましたが、「民度」という意味不明の言葉より、当時は、自分自身も含めて「知識不足」だったが、「運が良かった」と言うべきなのでしょう。
 いずれにしても、コロナについては、日本の「一部の若い人」の意識はコロナが世界中に蔓延していても、そのことを知らないか、知っていても自分とは別の世界のものと考えている可能性があります。
 したがって、緊急事態宣言を再三再四繰り返しても、効果があるかどうかは疑問に思います。

 斎藤幸平『人新世の「資本論」』について前回ちょっと触れました。この本が駅ビルの書店にあるのは、だいぶ以前から気づいていました。買うきっかけになったのは、大澤真幸『新世紀のコミュニズムへ 資本主義の内からの脱出』を読み出してからです。先日触れた佐藤優池上彰については皆様もよくご存じと思います。今日は大澤真幸について述べます。
 大澤真幸:1958年長野県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。社会学博士。千葉大学助教授、京都大学教授を歴任。なぜか任期がまだ残っているのに、教授を辞めています。私が読んだ彼の本を列挙します。
 大澤真幸『戦後の思想空間』(ちくま新書)、橋爪大三郎大澤真幸『ゆかいな仏教』『続・ゆかいな仏教』(サンガ新書)、橋爪大三郎大澤真幸宮台真司『おどろきの中国』(講談社現代新書)、橋爪大三郎大澤真幸『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)です。  大澤真幸『新世紀のコミュニズムへ』は、明らかに斎藤幸平の『人新世の「資本論」』に触発されて書いた本です。大澤真幸マルクス主義者ではありません。それどころか、左、右と敢えて分ければ右寄りとも言えるでしょう。博覧強記の社会学者ですが、宗教に強い社会学者のように思います。そもそも社会学者というのは、信じられないくらい広い範囲の知識を必要とするようです。橋爪大三郎もそうです。そして彼らは、ある意味で変人の碩学小室直樹」の弟子にあたる人のようです。
 そういうことで、私の話もとりとめのない無駄話になるので、やめますが、そのような大澤真幸氏が、『新世紀のコミュニズムへ』という本を書いたので、私は驚いたのです。彼は、この本を新型コロナウイルス感染症(COVID‐19)をきっかけとして書いたと言っています。間違いなく、コロナがなければ、また斎藤幸平の登場がなければ、上記の本を書いていないでしょう。
 私が、マルクス資本論コミュニズムに違和感がなくなってきているというのは、アメリカやヨーロッパで「資本主義以後」が、広範な広がりを示している現実があると聞いたからです。NHKBS放送や総合テレビでも、今後の資本主義についての特集が組まれています。今後、世界がどう動いていくか、興味深い時代です。
つづく