[559](投稿)いっときの「原発景気」ーー驕る平家は久しからず

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<核のごみどこへ 国策の果て>4 市民と「対話」形だけ

 「地層処分の安全性について、理解を深めていただきます」。昨年12月、横浜市中心部の雑居ビルの会議室。経済産業省原子力発電環境整備機構(NUMO)の担当者3人が車座で机を囲む市民3人にこう切り出し、原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場を巡る2時間の「対話」が始まった。
 経産省とNUMOの担当者は、核のごみを地中深くに埋める地層処分の安全性を説明する動画を流した後、市民の質問に応じた。
 「なぜ処分施設は全国で1カ所なのか。多数ならリスクを分散できるのでは」という問いには「1カ所に集中させた方が経済的なスケールメリットがある」と答え、「地震津波も多い日本で地層処分は難しいのでは」との懸念には「地上より地下の方が安全で、テロや戦争の危険もない」と回答。国やNUMOにとってはいずれも想定内の質問で、担当者は「公式見解」を淡々と伝えていく。

■その場を収め 
 市民が安全性に納得できない様子でいると、「地層処分は数万年先まで人間の生活に影響を与えない技術。コミュニケーションを取りながら、どうすれば安心してもらえるかを考えていきたい」と「対話」を前面に出してその場を収めた。
 国とNUMOは2017年以降、「対話型全国説明会」と呼ぶこの会合を全国各地で約130回開いてきた。ホームページや新聞広告で開催地を告知して参加者を募集し、「たとえ1人でも開く」(NUMO広報)。コロナ禍で半年の中断もあったが、27日にはオンラインで再開した。開催のあり方は変われど資料も進行方法もマニュアル化され、ほぼ国とNUMOのシナリオ通りに進む。 核のごみの最終処分場選定に向けた文献調査が進む後志管内寿都町神恵内村で4月14、15日にそれぞれ初めて開かれたNUMOと住民の「対話の場」もこうした蓄積の下で開かれた。

寿都では紛糾 
 町議全9人を含む20人が委員となった寿都町の初会合では、NUMOが示した「地層処分への町民の理解を深めていただく」という会則案の文言が「地層処分ありきだ」(幸坂順子町議)と批判され、紛糾した。 NUMOは「対話の場は何かを決める議会のような場ではない。そこが勘違いされている」(広報)と困惑しつつ、伊藤真一理事は「次につながる議論ができた」と強調。5月26日には次回会合に向け、会則案を「地層処分への賛否にかかわらず、自由で率直な議論を深めていただく」と修正すると各委員に伝え、粛々と会合を重ねる構えだ。

■「実績づくり」
 国やNUMOにとって対話の場は、悲願だった初の文献調査を次の概要調査に進展させたり、さらなる調査地を獲得したりするための実績づくりの意味が強く、反対論は織り込み済みだ。「『対話』と言いながら、とりあえず話し合ったというパフォーマンスにすぎない」と反発する住民もいるが、経産省幹部は「『対話』という言葉が気に入らないなら別の表現にすればいい。地層処分の安全性を説明する場なんだから」と気にとめない。 
 「処分場ができるまでは核のごみを増やさないため、せめて原発再稼働はやめるべきだ」―。対話型全国説明会では、処分場がないまま核のごみを増やし続ける国策の矛盾を突く問いがたびたび出されるが、国とNUMOは「再稼働と処分場の問題は切り離して考えて」とはぐらかすばかり。対話の場でも住民の疑問に正面から向き合わず、「説明した」という事実だけを積み重ねるのだろうか。(2021・5・31北海道新聞デジタルより)


※※※ 骨川筋衛門のコメント:
 まさ記事に書かれているとおり、経済産業省原子力発電環境整備機構(NUMO)は、「対話の場」と命名していますが、「対話の場」という名の「住民を懐柔」する「場」として位置づけ、日本全国に「核のごみ=高レベル放射性廃棄物」の廃棄場所として、過疎地でお金に困っている地区で、できれば地層処分に手を挙げてくれる町村が、10億円を餌にして「核のごみ」を受け入れると言ってくれるように「アピールすること」にとりあえずは「専念」する「姿勢」だけでも見せる場として「対話の場」を運営しているのです。

 日本列島は大陸から分かれて出来上がった歴史があり、その歴史も地層も「オンカロ」に比べるとまことに貧弱そのものです。フィンランドの「オンカロ」でさえ、反対運動が起きていることは先に言いましたが、「オンカロパラドックス」という言葉があります。それはオンカロの処分場が順調に進めば進むほど「あんな核のごみを埋葬するのに18億年もの昔の分厚い岩盤がはたして日本にあるだろうか?世界の他の地域にもあるだろうか?という疑問がわいてくる」という「パラドックス」です。
 
 寿都町神恵内村は海に面しています。なぜ海の傍に核のごみを埋めるのかといえば、核のごみの発熱を水冷方式にしたいからだと思います。空冷ならば六ヶ所村の工場でやっていますが、高レベル放射性廃棄物を「ガラス固化体」として作る挙げることに何度も失敗し、今もなお再稼働させることができないという痛い経験があるからです。地層処分も研究中であり、幌延(ほろのべ)で研究機関が延長を重ねているだけです。延長に延長を重ねて行って、その先のことは成り行き任せということです。確たる研究というよりも、ダメでもともとで「経験を積み重ねる」だけということです。地下水が溢れ続けるなら途中で頓挫することになります。その他の要因で、脆弱な地層だと分かっても頓挫します。しかし、やって行かないと全国の原発の高レベル放射性廃棄物は、原発の再稼働によってますます増えるばかりで、核のウンコを投げる場所がなくなって原発の稼働にも支障が出るから、無駄でも「やっている感」を経産省&NUMOは漂わせたいだけです。自己保身のために。決して町村の為ではありません。逆に、町村にとっては為にならないと思います。

 福島の原発事故のその後を時々報道されますが、原発事故から10年以上を経ている今まで、一つでも良いことがあったでしょうか?帰還しない住民から、居住費を取り上げてしまいました。放射能汚染された元の住居の放射線量は住むに堪えない放射線量が残存しているのにもかかわらず、補償を打ち切ってしまったのです。しかも、その放射線量は「安全である」という「ふれこみ」ですが、これは「嘘(うそ)」です(その根拠についてはまた別稿で書きたいと思います)。

 一時の「繁栄」は「平家の没落と同じく」、「驕(おごる)る平家は久しからず」で、いずれ痛い目に遭います。住み慣れた土地から、先人が苦労に苦労を重ねてやっと食いつないできた土地と海からもぎとられ・放される悲しみはいかばかりでしょうか?放射能汚染された土地には「半永久的に」帰れません。政府はそんなことも考えないで、オリンピックをやります。人々が新型コロナの強毒・感染力が強いインド株や英国株に感染しようと、多数の死者が出ようとも全く無頓着です。それから類推しても分かると思います。

 この「新型コロナ危機の中で」の「551」(6月16日)の記事の中に「重要土地規正法」の成立の意味とその危険性について書かれていますが、再度読んでみてください。とりわけ、北海道寿都町神恵内村の方々は、もし、核のごみの文献調査などで縛られると、今後、この法律で縛られる可能性が高くなると思います。表向きは自衛隊施設や米軍基地、原発など重要インフラの周囲約1キロや国境離島を「注視区域」にし、所有者の調査や、電波妨害などの施設の機能を妨害する行為家の中止勧告、命令を可能にするようですが、細部はまだこれから国が決めて、国家に不都合なあるいは逆に国家に都合が良い地域を決めていき、核のごみ捨て場を強行に指定していく可能性があります。
 今秋の寿都町長選挙で核のごみの文献調査などで10億円与えた国家はもう後に引かないで、地層を掘って調査をし、むりやり核のごみの処分地にする可能性があります。これは泊原発のすぐ近くの神恵内村は当然にも「重要土地規制法」の対象と自然になる可能性が高まることになるでしょう。

 このようなことも考えに入れて、後に続く子供たちの未来を考えて核のごみの文献調査の受け入れの可否を決めなければならないと思います。現時点では、核のごみの地層処分に反対することが唯一の冷静沈着に考えられる道筋だと思います。みんなで、核のごみの地層処分ならびに原発の稼働・再稼働に反対の声を上げて行きましょう!!