[583](投稿)追いつめて地元に誘致させる・政府の手口

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<シリーズ評論 核のごみどこへ>29 過疎地追い込み「服従
 東京工業大教授・中島岳志氏(46)
(2021・6・3北海道新聞デジタルより引用)

 原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場のように誰もが受け入れたくない施設を過疎地が自ら引き受けようとするケースがある。これは国がその選択肢しかない状況にまで地方を追い込み、手を挙げさせているという構造が背景にある。国が自治体を主体的に従属させる構造で、私は「自発的服従」と呼んでいる。核のごみの最終処分場選定の文献調査に手を挙げた後志管内寿都町神恵内村はこれに当てはまる。▼ 北大で教員をしていた5年前まで、道内各地に出向いて自治体職員らの話を聞いた。過疎に悩み、「もう手だてがない」と言って刑務所やごみ処理場を誘致して雇用を生もうと考える様子を見てきた。その体験から、迷惑施設を地方に受け入れさせる構造について着目するようになった。▼ 自発的服従は戦後日本の構造で、代表例が原発だ。大都市の電力を支えるため、国が地方に原発を押しつけたというより、雇用を求める過疎地に「どうぞ来てください」と言わせた。東京電力福島第1原発事故をきっかけに、多くの人が原発は東北などに押しつけられてきたと感じたと思う。▼ この構造は小さな行政を目指す自民党政権新自由主義的な政策で加速している。国は地方交付税を削減し、さらに地方を競争させようと、人口減少を防ぐ戦略を自治体に策定させる地方創生を導入した。自治体で勝ち組、負け組をはっきりさせ、負け組は自治体運営が失敗したと反省する。そこで核のごみを受け入れたら多額の補助金が入るとなれば、「これしかない」となる。寿都町長が文献調査に手を挙げたが、国からすれば地方創生の効果が出たということだ。▼ 核のごみを巡り、寿都町では住民同士で対立し、経済産業省は責められていない。寿都町民だけが傷ついている。これも自発的服従によるもので、仮に経産省寿都町に処分場を造りたいと言ったら、経産省VS寿都町民になるが、寿都町長が手を挙げたため、国は当事者とならず住民から批判されにくくなっている。▼ 統治というのは地域が割れるほどうまくいく。住民同士の争いになれば批判が上にいかない。国は地域が一つになって反対するのを一番嫌がり、もめてくれたほうが良い。分割統治といって、英国のインド統治がそうだった。日本でも水俣病患者への補償金認定の線引きで住民が分断された。▼ 核のごみ問題は本来、国に責任がある。原発を始めた時からセットで考えなければならなかったが、国は問題を先送りし、手を挙げてくれる地方に都市部の生活のツケを背負わせようとしている。この構造で本当に良いのか私たちはもっと考えなければならないし、国の責任放棄を許してはいけない。地方は自発的服従に陥らないよう、大規模事業で一発逆転を狙うのはやめ、住民の主体性を重視した取り組みを地道に積み上げていくべきだ。(聞き手・山田一輝)

<略歴>なかじま・たけし 大阪市生まれ。京都大大学院修了。北大には2006年から16年まで在籍。16年から現職。専門は南アジア地域研究、近代思想史など。

※※※ 骨川筋衛門のコメント:

 中島岳氏は、談話で、「原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場のように誰もが受け入れたくない施設を過疎地が自ら引き受けようとするケース」があり、これには「国がその選択肢しかない状況にまで地方を追い込み、手を挙げさせているという構造が背景にある」と断じています。そしてこれは「国が自治体を主体的に従属させる構造」であり、これを「自発的服従」と呼び、「核のごみの最終処分場選定の文献調査に手を挙げた後志管内寿都町神恵内村はこれに該当する」と指摘しています。

 中島氏は北大で教員をしていた5年前まで、道内各地に出向いて自治体職員らの話を聞き、「過疎に悩み、『もう手だてがない』と言って刑務所やごみ処理場を誘致して雇用を生もうと考える」自治体の様子を見聞してこられました。「その体験から、迷惑施設を地方に受け入れさせる構造について着目するようになった」のですが、その結果、「自発的服従は戦後日本の構造で、代表例が原発だ」と指摘しています。「大都市の電力を支えるため、国が地方に原発を押しつけたというより、雇用を求める過疎地に『どうぞ来てください』と言わせた」と言い、また、「東京電力福島第1原発事故をきっかけに、多くの人が原発は東北などに押しつけられてきたと感じたと思う」とも彼は言います。この手法と構造は「小さな行政を目指す自民党政権新自由主義的な政策で加速している」と指摘しています。

 しかしこの「小さな行政」は、国が地方の方から手を挙げたように見せかけるという「蜃気楼(しんきろう)」なのです。国が押しつけると地方自治体の意見は割れ、国の目的が果たせなくなり、同時に国の責任が問われかねないため、自治体が国に「お願いをする」という構造を作ろうとしているのです。自治体の意見が割れ、争いになっても国は素知らぬ顔ができます。これを英国のインドの統治の仕方と同じ「分割統治」なので、中島氏は「分割統治」と呼んでいます。

 本来の責任は国にあるのに、あたかも地方自治体に責任があるかのようにもって行く手法で、国は責任を免れ、地方自治体は後始末に追われます。果ては「福島第一原発事故」のように、後始末も到底できない「チェルノブイリ原発事故」と同じ世界的規模・最高レベルの原発事故が生じても、安倍首相は、福島第一原発事故は、「アンダー・コントロール」と世界中の人に向かって「虚偽」を言ってのけ、五輪を招致しました。その結果、この五輪の現状の観客を入れるかどうかの現下の大混乱も、最後は各自治体の責任にされました。感染拡大が始まれば、決定した地方自治体の責任になるわけです。

 「地方(自治体)は自発的服従に陥らないよう、大規模事業で一発逆転を狙うのはやめ、住民の主体性を重視した取り組みを地道に積み上げていくべきだ」と中島氏は言います。自治体の、とりわけ寿都町神恵内村の「核のごみ」受け入れの「文献調査」等について、警告していることを当事者の地方自治体だけではなく、全国民が考えるように促していると思います。読者の皆様は「核のごみ」の処理について、同時に、現下のオリンピックの開催の招致と混乱についてどのようにお考えになりますでしょうか?