[659](投稿)今年の「秋」は大切な「とき」

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編集者より
 自民党総裁選が終わり、岸田内閣の骨格があきらかになりました。派閥均衡が最重視された顔ぶれで、この内閣は新型コロナ危機のなかで困窮した労働者・民衆のために何かをなすかもしれないという感じがしません。派閥の権謀術数に差配された総裁選の末に選ばれた総裁が、各派閥の人事に関わる思惑を忖度することになるのは必然的だといえます。衆院選のために右顧左眄、右往左往するだけの内閣だと思います。 
 きょうこのブログにアップロードする記事は総裁選の最中に寄せられた前野さんの投稿です。新しい内閣にも問われることが書かれていますので、読んでいただきたいと思います。


危急存亡の秋
09/21 05:00
帰宅したらまず手洗い、うがい。そんな習慣が染みついた。気がつけば、蛇口から流れる水がひんやりしている。<秋水にひたしたる手をひとふるひ>石田勝彦。新型ウイルスとの戦いも、幾多の季節を超え長くなった▼3連休が明け、延長を重ねた緊急事態宣言の期限となる月末が近づいてきた。こんどこそ解除できるのか、再延長を余儀なくされるのか。病床逼迫(ひっぱく)に直面する医療関係者や、業績低下に悩む経営者にとってはまさに「危急存亡の秋(とき)」ではなかろうか▼「三国志」の軍師諸葛亮が魏討伐の遠征出陣に際してまとめた書状「出師表(すいしのひょう)」がこの成句の原典である。劉備の帝位を継いだ息子の劉禅に向け、天下の危機を認識し、国民の疲弊に目を向け、臣下の意見に耳を傾けるよう求めた▼戦いが熱を帯びる自民党総裁選も群雄割拠の様相を見せている。だが、次期首相の座をめぐる権力闘争に没頭する前に、世の中の窮状をよく見てほしい。存亡のきわに置かれているのは、党ではなく国民生活だ▼「秋」を「とき」と読むのは、万物が実りを迎える季節になぞらえて、大切な時であることを示す意味があるという。阿辻哲次著「遊遊漢字学」によれば、漢文の学習が学問の中心だった時代に広く使われた訓読のようだ▼この冬にかけては「第6波」到来の予測もある。国の将来を左右する重大な局面と心得て、気を引き締めて過ごしたい。
2021・9・21(北海道新聞コラム「卓上四季」より)


■■■ 前野亮沢のコメント:

 確かに、帰宅時だけでなく何かをするたびに「手洗い、うがい。そんな習慣が染み」つきました。これに加えて「マスク・ヒトとの距離」なども敏感になり、気を付けるようになってきています。コロナ禍が始まって、今や3カ月余で2年を経ようとしています。第3回目のワクチン接種も実施の視野に入ってきています。長いトンネルの向こうに光が見えてくるのはいつになるのでしょうね?

 コラムでは、「秋」という漢字を「とき」と訓読みする由来が書かれています。同時に、三国志諸葛亮が「劉備の帝位を継いだ息子の劉禅に向け、天下の危機を認識し、国民の疲弊に目を向け、臣下の意見に耳を傾けるよう求めた」ことを例にとり、現下の総裁選挙で「次期首相の座をめぐる権力闘争に没頭する前に、世の中の窮状をよく見てほしい。存亡のきわに置かれているのは、党ではなく国民生活だ」と訴えています。コロナ禍の下で労働から切り離され生活困窮者が多く出ています。この国民の「困窮」にもっと手助けをすることを求めています。これは当然あるべき姿だと思います。付け加えて、「アベノミクスの検証」とともに、「もり蕎麦・かけそば問題」や「赤木さんが自死に追い込まれた問題」も明らかにする責任があると思います。読者の皆様はどのようにお考えになりますでしょうか?