[700]「『集団、一斉』が嫌いなわたし」について

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ブログが早くも700回目となりました。読者の皆さん、原稿を寄せていただいた皆さんありがとうございました。
 新型コロナ感染症はおさまったかに見えますがまだまだわかりません。
広がる感染症への政府の対応は資本主義現代の矛盾を明るみにだし社会に深い傷を残しました。
 岸田政権は行き詰まった日本資本主義を「新しい資本主義」というキャッチフレーズでのりきることができるかのような幻想をふりまいています。給付金は一時的なものです。これ以上労働者国民への危機のしわ寄せをさせないよう団結の力が必要です。

「新型コロナ危機のなかで」というテーマのこのブログはこれからも続けます。ご意見を送ってください。よろしくおねがいします。


朝日新聞に「多事奏論」というコラムがあります。10月23日のそのコーナーに「野球応援に思う『集団、一斉』が嫌いなわたし」という一文が載っています。

 面白かったので一言。

「かっとばせ―〇〇―!」という応援が嫌いだという天草支局長の近藤康太郎さんは、「集団、一斉、がたまらなく嫌いなのだ」といいます。その気持ち、私もわかります。私も野球ファンです。もう20年以上前のことになりますが、高校野球で母校が甲子園に行ったことがあり、たまたま関西に旅に出ていた私は応援に行きました。そこでも応援団は「かっとばせ―」とやっていましたが、私は離れたスタンドでかみさんと一緒に一人熱くなって応援しました。なぜかと言葉にはできないけれど応援団のなかに入れませんでした。たまに観戦するプロ野球も応援団から離れてみます。

 近藤さんはデモに行っても一斉のシュプレヒコールがダメだったといいます。「『原発いらない!』『〇〇辞めろ』。それがどんなに正しい(自分たちが思う)主張であっても、集団で、一斉に、となると、その場を離れたくなる。集団は熱狂するからだ。」といいます。

 確かに初めて70年安保闘争のデモに参加した時にはシュプレヒコールや「安保反対!内閣打倒!」というかけ声は恥ずかしい感じがして唱和することができませんでした。デモに参加したのは日米安保に反対するという目的があったからです。だから意思を示すために声をあげ始めたのは自分の意志でした。まもなく恥ずかしいという感覚よりも機動隊のデモ規制の暴力にたいする怒りが上回り大きな声でシュプレヒコールを上げるようになりました。このとき集団のなかの自分は自分というものをもっていて、個が他の個とともに意思を示したのです。
 そういうわけで野球の応援と反戦デモを「集団で、一斉に」という忌避の気持ちがにじむ形容句でくくるのはいささか安易ではないでしょうか。
近藤さんは道浦さんのうたを紹介しています。

今だれしも俯くひとりひとりなれわれらがわれに変わりゆく秋
道浦母都子

この歌に近藤さんは次のようにコメントしています。

「激しい学生運動を体験した人たちだろう。かつての『われら』も、人生の秋を迎え、『われ』に返る。俯(うつむ)きなにを思う?

私はこう思います。
 かつての「われら」がばらけ、散る花のように乖離しうつむく「われ」になってしまったと慨嘆する、過ぎ去った闘いを想う作者の心情が伝わるいい歌だと思います。これはこれでよくわかるのですが、あるいは、たとえば中野重治のように党の「われら」の中で「われ」を貫いたが強い同調圧力で排除されたという状況を想うとき、われらの中のわれが、われらの中に同調し溶解していく・あの「われ」かの「われ」のさまを我がかなしく想うこともあるのです。

近藤さんに戻ります。彼はこういう。「集団になること、一斉に何かすること。他人がそうすることに反対しない。ただ自分は一生しない。体操も観戦も観賞も、抗議も社会運動も、『われ』を忘れたくない。百姓や猟師をしているのも、世界に対する一人だけの異議申し立てなんだ。」

 新型コロナ危機のなかで私はたとえば「自粛」ということばが強制概念として日常的な意識に入り込むことに違和感を覚えました。同調圧力がかかるような「集団、一斉」は危ういと思います。
(註∶当ブログ[8]自粛率とは何?を参照してください。)
 とはいえ、集団になること、一斉に何かをする現象がすべからく「われ」を忘れ失った営為の結末かどうか見極めなければなりません。集団になると熱狂するという図式にしてしまうと考えることを諦めることになります。
たんに忌避するのではなくわれわれの生きる社会•集団のなかで「われ」を持ちつらぬくことを近藤さんの文章塾の門弟たちに勧めてほしいものです。集団・組織の中の個の主体性というのは古くて新しい問題です。