[706](寄稿)詩も小説も音楽も時代の鏡!その2

ペンギンドクターより
その2

さて、ようやく本題です。
 私の最も好きな詩は茨木のり子根府川の海」です。以前お話したことがります。


   根府川の海

根府川
東海道の小駅
赤いカンナの咲いている駅

たっぷり栄養のある
大きな花の向うに
いつもまっさおな海がひろがっていた

中尉との恋の話をきかされながら
友と二人ここを通ったことがあった

あふれるような青春を
リュックにつめこみ
動員令をポケットに
ゆられていったこともある

燃えさかる東京をあとに
ネーブルの花の白かったふるさとへ
たどりつくときも
あなたは在った

丈高いカンナの花よ
おだやかな相模の海よ

沖に光る波のひとひら
ああそんなかがやきに似た
十代の歳月
風船のように消えた
無知で純粋で徒労だった歳月
うしなわれたたった一つの海賊箱

ほっそりと
蒼く
国をだきしめて
眉をあげていた
菜ッパ服時代の小さいあたしを
根府川の海よ
忘れはしないだろう?

女の年輪をましながら
ふたたび私は通過する
あれから八年
ひたすらに不敵なこころを育て

海よ

あなたのように
あらぬ方を眺めながら・・・・・・。

茨木のり子の故郷は愛知県吉良町です。1926年生まれ。彼女は戦後詩の長女と言われました。薬剤師の専門学校を出ています。1950年に医師(40歳で肝臓がんにて死去)と結婚しました。ひとり暮らしの晩年79歳でくも膜下出血のため自宅で亡くなっているのを発見されたと記憶しています。茨木のり子の墓は山形県鶴岡市にあり、クラゲで有名な加茂水族館の近くにあるお寺に埋葬されています。上の娘が鶴岡出身の同級生と結婚したので、水族館に行くとき、私だけで墓参をするかと考えていました。しかし彼らが離婚したので、その機会はほぼなくなったように思います。
 「根府川の海」という詩は、きむらけん『日本鉄道詩紀行』(集英社新書2002年4月22日第1刷発行)で見つけたもので、茨木のり子を知ったのはその時が初めてです。まさにアジア太平洋戦争がなかったら絶対に生まれなかった詩です。「大東亜戦争」という言い方でも私はいいと思うのですが、あの半藤一利さんは「大東亜戦争」という言い方は、目的を戦争名につけた言い方で一般的ではないので彼は使わないと言っていました。日清戦争日露戦争とか普仏戦争など国の名前や地域や年数などを名前とすることはあるけれど、ということです。

 もうひとつ、先日野草のイヌタデ「アカマンマ」(赤飯の意味でアカママでもよい)でちょっと触れた中野重治の「歌」ですが、彼の他の有名な詩に次の作品があります。

    雨の降る品川駅

辛よ さようなら
金よ さようなら
君らは雨の降る品川駅から乗車する

李よ さようなら
も一人の李よ さようなら
君らは君らの父母の国にかえる

君らの国の河はさむい冬に凍る
君らの叛逆する心はわかれの一瞬に凍る

海は夕ぐれのなかに海鳴りの声をたかめる
鳩は雨にぬれて車庫の屋根からまいおりる

君らは雨にぬれて君らを逐う日本天皇をおもい出す
君らは雨にぬれて 髯 眼鏡 猫背の彼をおもい出す

ふりしぶく雨のなかに緑のシグナルはあがる
ふりしぶく雨のなかに君らの瞳はとがる

雨は敷石にそそぎ暗い海面におちかかる
雨は君らのあつい頬にきえる

君らのくろい影は改札口をよぎる
君らの白いモスソは歩廊の闇にひるがえる

シグナルは色をかえる
君らは乗りこむ

君らは出発する
君らは去る

さようなら 辛
さようなら 金
さようなら 李
さようなら 女の李

行ってあのかたい 厚い なめらかな氷をたたきわれ
ながく堰かれていた水をしてほとばらしめよ
日本プロレタリアートの後だて前だて
さようなら
報復の歓喜に泣きわらう日まで

●私は中野重治は抒情詩人だと思っています。時代を映した抒情詩人です。彼は1902年福井県坂井郡の生まれです。東大独文科在学中に「新人会」に入り非合法時代の日本共産党に入党していますが、学友の堀辰雄窪川鶴次郎、西沢隆二(ひろし・ぬやま)らと詩雑誌『驢馬』を出しています。室生犀星の詩風を愛し、確か室生犀星の死亡時には葬儀委員長を務めたと記憶しています。いわゆる「プロレタリア作家」の範疇は超えている、と私は感じています。この「雨の品川駅」を読むと、松原小学校の時、同級生だった「金森さんの大きな眼」を思い出します。彼女はあの小学生のころ、北朝鮮に帰って行きました。希望に燃えて・・・・・・。

 茨木のり子にしても中野重治にしても、その作品に接するとその時代が感じられます。この二人の上記の作品は直接的に時代を映していますが、たとえば割に通俗的な評価でしかないと思われる石坂洋次郎(書棚に母が購入したのか4-5冊の文庫本あり)も、読んでみるとそれぞれに時代を映しています。それらは斜め読みですが、懐かしい時代を感じることができます。もちろん短歌もそうです。絵画もそうです。トンボの本だったか『戦争画』を特集した本があって、非常に興味深く読みました。時代を映していれば、それが戦争礼賛であっても私は興味深く眺めます。イデオロギーの是非は結局あとづけです。
 このことはいずれじっくり文章化したいと思っています。
 きょうはこのへんで。
(編集者註:小嶋医学生の意見「コロナ対策、身の回りの換気状態は果たしてどれくらいなのか」は次回アップロードします。)


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