[724](投稿)芸術作品の排除に想う

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画家と戦争
11/28 05:00
「出陣の前」と題した日本画。正座した兵士が刀を脇に置き、野だて用の茶道具を使い一服の茶をたてた。じっと前を見る。戦地に訪れた一瞬の静寂と緊張が伝わる不思議な絵である▼作者は小早川秋聲(しゅうせい)(1885~1974年)。きょうまで東京都内で開催されている大規模な回顧展を見た。鳥取県の寺に生まれ、国内外を旅しながら詩情豊かな作品を描き、名声を得た▼だが従軍画家として多くの戦争画を残したことが生涯に影を落とす。敗戦を迎え戦犯容疑での逮捕も覚悟したという。戦後は体調を崩したこともあり、ほそぼそと画業生活を送った▼95年、戦争画を特集した「芸術新潮」誌に作品が紹介され、再評価につながる。代表作「國之楯」は闇の中に横たわる将校の遺体を描き、顔は寄せ書きされた日章旗で覆われた衝撃的な構図だ▼44年に天覧に供するために陸軍省の依頼で制作したが、厭戦(えんせん)的と見られたのか受け取りを拒まれたと伝わる。後に改作された際、遺体に降り積もるように描かれていた桜の花びらが黒く塗りつぶされた▼英霊をたたえた鎮魂の1枚から長い時を経て戦争協力への悔恨を表す1枚へ。そんな解釈もできるが、作者の意図も軍の拒否の理由もはっきりとは分からない。名画は人の魂を揺さぶる。それ故に、戦争に利用された歴史がある。豊かな才能を持ちながら時代に翻弄(ほんろう)された画家の運命に思いをはせた。2021・11・28(北海道新聞・コラム「卓上四季」より)

★★★ 一労働者の投稿
 
 「核のごみ=死の灰」を「芸術表現」として展示をお願いしても、国策に抵触しているとみなし?警察にまで応援してもらい拒否した小さな自治体のことが投稿されましたが、北海道新聞のコラムにも、小早川秋聲が描いた「國之楯」は、戦前戦後で評価が激変しました。文章にしても絵画にしても音楽…にしても、時代とともに存在し、その表現の毀誉褒貶は目まぐるしく変わる可能性があります。とりわけ政治や軍事などの国策に関わると思われる作品にこのことは深く重くのしかかる問題だと思います。   
 ちいさな自治体の幹部たちほど国の方針に反するかどうかという「価値判断」を基準にした物差しを当てて物事を決める傾向があると思います。なぜなら、国策に反するとその自治体への報復として、血税の一部が大きく削られ、国策に寄与すると「付加価値?」を水増ししてくれる可能性があるからです。
 しかし、時としてその付加価値は長い目で見ると余計な負担として残ることは、今回の「2020東京オリンピック」の建造物という「遺産」が「不採算」となって残り、運営するにしても、壊すにしても大枚の金銭が必要だと嘆く報道も出ているのが現実です。
 核のごみを引き受けて国からお金を引っ張りたいと願う福井県原発地帯の町長は自己の再選とご褒美の原発稼働によるお金が入ることを願って、近隣の町村自治体にも賛同するようにと声をかけています。一時、原発でにぎわっても福島第一原発事故の悲惨な現実はいまだに消えていません。原発を建て替えるという空想さえしています。原発そのものを解体してその跡地に新しい原発が立てられると錯覚しているからではないかと思います。
 小出裕章氏の著作には原発の取り換えはできないと明言されています。極めて高い放射能原発を取り除くことを許さないからです。チェルノブイリ原発も新しい「お棺」を作っています。事故を起こした原発はそのままです。何十万年、何百万年もなんとか「管理」し続けるしかないということをこのことは示しています。  ちいさな作品である「核のごみ」という芸術表現を排除するということの重み、その「罪と罰」をよくよく考えた方が良いと思います。「寿都町(すっつちょう)」や「神恵内村(かもえないむら)」だけの問題ではありません。全世界の人々と原発の今後も続く「歴史的」問題だと思います。とりあえず原発の稼働と核のごみの投棄は即時に停止すべきだと思います。