[745]ソ連邦が崩壊して30年、問われること

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 30年前、1991年12月25日にソ連大統領ミハイル・ゴルバチョフが辞任し、鎌と鎚の赤旗がおろされロシア連邦の白・青・赤の三色旗が掲げられました。ソ連邦は自己崩壊しました。

 24日の北海道新聞の〈卓上四季〉が「ソ連の限界」にふれています。

12/24 05:00

ソ連共産党中央委員会が1990年に作成したポスターがある。中央には国章が記された大きな赤い演壇。右隅には熱心に考えをメモに記すレーニン。タイトルは「レーニンに発言を!」▼党は当時「真のレーニン」という回帰路線を掲げていた。演壇は硬直化した党の象徴だ。初代指導者の姿を持ち出すことで刷新を図ったのだが、むしろレーニンの思想の形骸化を自ら示す格好となった▼ソ連崩壊からあすで30年。世界を驚かせた大国の消滅だが、市民はすでに86年のグラスノスチ(情報公開)から変化を感じ始めていたという(アレクセイ・ユルチャク著「最後のソ連世代」)▼崩壊の胎動は85年に就任したゴルバチョフ書記長の演説にも見られる。課題を列挙しながら、その答えを示さなかったのは、個人の自発性や創造性の奮起を促す過去の演説の限界を悟っていたのだろう▼90年に渡米した文化人類学者ユルチャクは「市民は社会主義を重要な価値と受け止めながら、日常生活では国家や党が定めた規範や規則を破り、曲げ、無視していた」と振り返る。党が敵視したロックバンドのマネジャーも務めた「最後のソ連世代」の言葉には説得力がある▼行き詰まった政体や権力は「真」や「新しさ」を求めるものだ。国民はその矛盾を冷静に見つめ、限界を肌で感じるものなのだろう。「改革」の先にあった崩壊に感懐を覚える師走である。
2021・12・24

 ソ連邦自己崩壊30年がたちました。〈卓上四季〉は30年前のソ連崩壊にいま「感懐」をもって書いています。
 1990年のポスターを私はみたことはないのですが、「レーニンに発言を!」というタイトルがつけられているということは、ソ連共産党が堕落し「社会主義建設」が行き詰っていたことが背景にあるのです。ロシア革命の原点に帰れという趣旨でしょう。
 1956年のソ連共産党第20回大会でフルシチョフとミコヤンによってなされたスターリン批判に全世界の共産党(員)は大混乱しました。53年に死去したスターリンは偶像化されていたからです。当時のソ連共産党の指導者は崇拝の対象をスターリンからレーニンにとりかえ、混乱の収拾をはかりましたが、なぜ個人崇拝を許したのかという主体的な反省はできませんでした。そして官僚主義がますますはびこったのでした。

停滞の30年

 それから1986までの30年間社会主義経済建設は停滞し社会全体に無気力と惰性がはびこったのです。当時のソ連に月曜日につくられた釘を買うなという小話があったのを思いだします。日曜日には労働者が酒をのみ過ぎて翌日二日酔いで工場に来るためノルマ数を達成するために不良品だらけの釘をつくるというわけなのです。釘にかぎらずいい生産物ををたくさんつくるための技術的改善は共産党幹部も労働者もやらなくなってしまったのです。
 1985年にゴルバチョフ共産党書記長として「グラスノスチ」(情報の公開)に踏みきったのは、根強くはびこっていた官僚主義にメスをふるい、惰性態と化した大衆を活性化させ、もってソ連邦の党・国家・社会に喝を入れることでした。勤労大衆を覚醒させ意識性を高めるために情報の公開を活用しようとしたのでした。
 がしかし、うまくいきませんでした。スターリン主義官僚ゴルバチョフ自身がなぜこうなったのか反省する理論的思想的武器をもたなかったからです。
 〈卓上四季〉はゴルバチョフが1985年の演説で課題を列挙しながら、その答えを示さなかったといいます。技術論も技術学も知らず、哲学もないゴルバチョフはどうしていいかわからなかったのです。スターリン主義官僚や労働者農民に情報の公開で精神的に刺激を与えることしかできなかったというべきでしょう。

ソ連邦崩壊後の30年

 1956年、ソ連圏で勃発したハンガリア革命を主体的にうけとめた日本のマルクス主義者がたちあがり、日本の地で反スターリン主義運動が勃興しました。この運動は日本の学生運動と労働運動のなかに急速に広まりました。たとえば1975年の動労国労をはじめとした公労協のスト権奪還ストライキでその影響力が示されました。そして世界に向かって帝国主義スターリン主義を倒すことを発信し続けました。奮闘したにもかかわらず、ソ連邦スターリン主義官僚専制支配体制はソ連の労働者民衆の力で倒されたのではなく自己崩壊したのです。
 だから世界の反対運動に与えた負の影響は大きかったのです。その結果世界の資本家たちはソ連の崩壊はマルクス主義の破綻だと喧伝し、資本主義と民主主義の勝利を謳歌したのです。ソ連スターリン主義マルクス主義と等置されマルクス主義の破綻とされたのです。
 この30年、世界の平和運動、労働運動は依るべきものを失い脱イデオロギー化され体制内化される過程でした。日本の労働運動は内部からの闘いにもかかわらず総体としては階級協調主義に染められ産業報国会化してしまっています。政府が賃金引き上げを資本家に要請している次第です。賃金闘争の低迷をのりこえていかなければなりません。

 〈卓上四季〉は、レーニントロツキースターリン、1917年ロシア革命時の労働者の生き生きした表情、そして30年前のゴルバチョフエリツィンの苦虫を噛み潰したような顔、そして崩壊後のハイパーインフレに苦しむロシアの人々の暗い表情を思いださせてくれました。
 2021年も暮れようとしています。新型コロナ危機への政府の対応によってうみだされた社会的危機は、われわれ労働者階級民衆に犠牲を転嫁するかたちで推転しています。
 ソ連邦崩壊30年のいま、あらゆる反対闘争の相次ぐ敗北のなかで、崩壊の根拠を探り運動の再建を地道に進めていくほか王道はないと思います。