[752]農民工 故郷に帰る その2

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農民工の苦労
 
 NHKの番組では2007年の中国の農民が取材をうけているところが映されています。中国は1994年に〈社会主義市場経済〉を鄧小平が宣言して資本主義化が進み、世界の工場として急成長を遂げていました。しかし農村は貧しさに喘いでいました。
 31歳だった張は、一人息子・新雨(しんう)のことで、頭を悩ませていた。新雨は機械に腕を挟まれ、複雑骨折。村には治療費を稼げるような仕事はなく、新雨の世話は両親に頼み、妻と2人、故郷を後にした。このとき張が向かったのは、沿海部の大都市・天津。超高層マンションがそびえ立つ都会の繁栄がまぶしく映ったという。
 天津は2008年の北京オリンピックを前にした開発ラッシュの中で各地から集まった農民工200万人が仕事を奪い合っていました。仕事が見つからず夫婦は日々、焦りを募らせ喧嘩が絶えませんでした。

妻「もっと頑張って仕事を探してよ」

張「探してるよ。探していないと言うのか」

張「働いてないってブツブツ言うなよ。探しているけど、人余りなんだよ」

妻「働いてくれれば文句は言わない」

張「うるさい!またこれだ」

妻「出稼ぎに来ないとお金がない。出稼ぎに来ればケンカばかり・・・」

 それから14年間、張はいいときでも月10万円ほどの給料で、家族のために過酷な労働を続けました。張は「石炭運び、汽車の荷おろし、道路工事、土木工事、何でもやりました。出稼ぎはもうしたくありません」といいます。

故郷に帰った農民工
 
 故郷へ戻った張は、貯めていた150万円で新しい家を建てました。ケンカが絶えなかった妻とは別れ、再婚した妻との間に次男が生まれました。両親にはシャワーをプレゼント。父親の長祥(ちょうしょう)は80年近い人生で初めてシャワーを浴びたそうです。
 長男の新雨(しんう)には、腕の治療を受けさせられ、その後、何とか都市部の大学にも進学させることができました。

 張は「俺みたいにならないよう、立派になってほしい。息子には安定した仕事に就いて、ゆとりある生活を送ってほしい。それが何よりの願いです」と言います。

 張の長男・新雨が大学生活を送るフフホトは、人口350万、内モンゴル自治区の中心都市として成長著しい。
 新雨は「農村にはこんな光景はありません。飲食店もたくさんあります。都会はいいところだと思います」と語っています。大学の専攻は、建築のコスト管理。アルバイトをする余裕もなく勉強に励む。都会の建設会社に就職したいと考えているそうです。。
 2007年、当時7歳の新雨は授業で将来の夢を語っていました。
「僕の夢は大学を出て、たくさん稼いでパパとママに苦労させないことです。車を買って、出稼ぎ先に行って、旧正月を両親と過ごしたいです。」
 今の新雨の夢は、大都会で暮らし、父親には手が届かなかった高層マンションを建設する側になることです。

貧困と過疎、“インターナショナル”を歌う老人
 
 一方、帰郷した張が直面したのは、14年前よりも、さらに過疎化が進む故郷の現実でした。かつて80世帯いた住民は半減し残っているのは高齢者ばかりで、どの家も働き手の不足に困っていました。かつていた、たった一人の医者も、村から出て行きました。

 いまも村の高齢者の拠り所になっているのは、建国の父・毛沢東なのだといいます。貧しい農民を解放してくれたリーダーだと信じているのです。インタビューをうけた共産党員の老男性は「毛主席が武装兵力によって政権を奪取した。軍事戦略は諸葛孔明よりすごい」と熱く語りました。資本主義化した中国に反発しているのかもしれません。あのインターナショナルを歌いました。

♪インターナショナル、必ず実現できる。これは最後の戦いだ。明日に向かって団結せよ♪

 NHKは「インターナショナル」を共産主義革命を志した世界の若者が、かつて熱唱した歌だと紹介していますが、いまもこの歌は歌いつがれています。
 農村に生きる人々の多くが、資本主義国家中国のなかで今も、革命の理想を信じているのです。
つづく