[754]農民工 故郷に帰る その4

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夢を持てない若者たち

 息子の新雨が、大学の休みを利用して半年ぶりに帰省しました。
 子供の頃機械に巻き込まれ、治療の跡が残る新雨の右腕は、今も重いものを持ったり、激しく動かすことはできません。それでも苦労する父親を助けたいと、手伝いをしました。

張「勉強頑張って、いい仕事を見つけろ。その腕では農業は無理だ。お前が帰ってくるのを期待していたけど、きつくて無理だろ」

 体力が必要な仕事はできない新雨の仕事は限られているのです。
 新雨は言います。「先輩の中には卒業後、仕事が見つからなかった人もいます。機械工学専攻の卒業生が配達員になったり。そういうのを見ると、ますます焦ります。自分に向いている仕事を見つけられるのか」
 農村で育った若者たちが都市で暮らす場合には厳しい制度的な規制を受けるのです。
 共産党は都市への急激な人口流入防ぐために、都市と農村で戸籍を厳格に区別。そのため農村出身者は、出稼ぎで都市に住んでも、年金や医療などの社会保障を十分受けられませんでした。近年、戸籍制度の改革が進んでいますが、今も生活水準の高い大都市で戸籍を取得するには、専門性の高い職業に就くなど、狭き門を通る必要があるのです。
 しかし、待ち受けているのは、厳しい就職戦争。大卒相当の学歴を持つ人は、10年で倍近くに増えた一方で、多くの若者が希望するホワイトカラーの仕事は限られているのです。

ねそべり族

 こうしたなかで、若者の間に広がっているのが、競争から降りて、最低限の生活で満足する「寝そべり族」といわれる生き方です。
さらに若者たちは将来、大きな負担を抱えることにもなります。2000年代まで高齢者の割合は10%以下、莫大な数の生産年齢人口が成長を支えてきましたが、一人っ子政策の反動で急速に少子高齢化が進みます。  
 2050年にはおよそ高齢者は30%となり、医療、年金などの社会保障が、重い負担となるいわゆる「人口オーナス(負担)」の社会へと転じます。とりわけ農村では、医療や介護など公共サービスが不足しているため、深刻な問題です。

同窓会

 ある日、新雨は、高校時代を過ごした街に出かけた。農村出身の同級生たちと久しぶりの再会でした。多くが新雨と同様、大学生です。
 同級生のひとりが「一日も早く、ファーウェイみたいに成功できるよう乾杯しよう」と音頭をとりましたが、同じような境遇で育ってきた仲間たち。将来への不安を語り始めました。
 同級生は言います。「かなり大変だ。いつか両親は年をとる。自分の給料で親と子どもを養わなければならない。そんなの無理だよ」「勉強をしながら、家族のことまで考えると、負担もプレッシャーもとても大きい。自分のために生きていないような気がする」
 
投げやりに語る同級生もいました。
 「今が楽しければ、それでいい。休みになったら家で寝そべるだけ。毎日、スマホやパソコンを見て、ゲームで遊ぶ」

 ずっと仲間の話に耳を傾けていた新雨も口を開き言いました。
 「いつか国や社会のために貢献できる人になりたいと思っていました。しかし、自分にはそんな実力がないと分かってきました。せめて安定した職につくことが希望です」

 仲間たちが歌い始めた歌は若者の間でヒットした「平凡な道」という曲でした。

♪僕はかつて何もうまくいかず 全て投げ出していた 僕は無限の闇に墜ちて もがいても抜け出せなかった 僕はみんなと同じように 野原の草花でしかなかった 絶望のまま
渇望のまま 泣くも笑うもただ平凡でいる♪
 同窓会は「理想はいっぱい、現実は空っぽ。がんばろう!」と声をあげて散会しました。
 今の中国の農村で育った若者の歌に私は驚きました。こういうときにインターナショナルの歌がでないほど、スターリン主義中国の破綻の傷は深刻なのだと思います。

新雨が村を離れる日。

張「学費はいくら必要なんだ?」

新雨「3万6000円だけど」

張「とりあえず1万8000円だ。残りはまた今度にしてくれ」

張は手元に残っていた金を学費としてすべて渡した。

祖母「7000円あげる」

新雨「おばあちゃん、自分のためにとっておいてください」

祖母「持って行ってちょうだい」

新雨「自分のために使ってください」

祖父・長祥「持って行け」

祖母「持って行きなさい。交通費も食費もかかるでしょ」

祖母は2か月分の年金を手渡した。

 このシーンは厳しく悲しい。
つづく