[782](投稿)地層処分は時限爆弾

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<核のごみ 向き合うヒント>上 
倫理学の視点 京大名誉教授・加藤尚武さん 私たちは無条件に未来に責任を負う 
無断でツケを回す地層処分は許容できない
2020/10/04 13:02 更新

 原発の高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分地選定を巡り、後志管内の寿都町神恵内村が今週にも、国と原子力発電環境整備機構(NUMO(ニューモ))の行う選定調査に応募する見通しだ。地下深くに地層処分する核のごみは、放射能が安全なレベルに下がるまで10万年かかるとされる。そんな厄介なごみと、私たちはどう向き合えばいいのか―。地層処分原子力以外のさまざまな分野の専門家に話を聞く。初回は京大名誉教授で生命・環境倫理学の国内第一人者、加藤尚武(ひさたけ)さん(83)を訪ねた。

 ――北海道電力泊原発(後志管内泊村)に近い二つの町村が、核のごみの処分地選定の第1段階に当たる文献調査に応募する方向です。

 「調査が進んで(第2段階の概要調査で)実際に穴を掘って調べると、原子力関係者と他の科学者で意見が食い違ってくるでしょう。おそらく地震学者は日本でOKとは言わない。(世界初の最終処分場が建設されているフィンランドの)オンカロは10億年以上、地盤が安定しているそうです。日本列島は10万年後には形も変わっているかもしれない。2町村に限らず、日本国内で処分地を見つけるのは科学的に不合理だという結論になるのではないでしょうか」

 ――倫理学の観点から、核のごみの問題をどう見ますか。

 「長すぎる、というのが率直な印象です。普通、倫理学で考えるのはせいぜい100年先のことまでです。千年先でさえ人間の思考力が届く範囲を超えている。1世代を30年とすると、10万年は3千世代以上先です。長すぎます」

 ――考えが及ばない、と。

 「核のごみは、人間が自分で始末できないものです。そもそも合理的な思考で解決できない」

 ――それでも現実問題として核のごみは既に発生しています。子どもの背丈ほどの円柱形のガラス固化体に換算して約2万6千本分。どう考えればいいですか。

 「難しい問題です。一つ、この問題と向き合うための鍵を握ると私が考えるのが『世代間倫理』という概念です。現在世代は未来世代の生存に責任があるという考え方です。核のごみのように、大きな負担や危険を引き受けてもらうには本来相手の同意が必要ですが、まだ生まれてもいない世代の同意を得ることは不可能です。だからこそ私たちは無条件に未来への責任を負うのだと私は考えます」

 ――地層処分を推進する人は、将来世代に地上で管理する負担を押しつけないよう、原発の恩恵を受けた今の世代が責任を持って安全な地下に隔離するんだと言います。一方で反対する人は、いつ何が起こるか分からない時限爆弾の埋め捨てだと言います。「責任ある隔離」か「時限爆弾」か、加藤さんはどちらだと思いますか。

 「時限爆弾、でしょうね。将来世代への負担を少なくするとの論理は、地下の処分施設が千年たっても安全だという前提がないと説得力を持ちません。しかし技術的な予測通り安全に造れるかどうか、確かめた人は誰もいません」

 ――著書「災害論」で、地下施設でも使われる今のセメントが開発されてまだ約150年しかたっていないと指摘していますね。

 「たかだか150年間の耐用試験しかできていないのです。千年先の耐久性など見通せません。さらに一番老朽化するのは安全設計の元となるデータです。今、人類が用いているデータで最も長持ちしているのは(16~17世紀のイタリアの科学者)ガリレイが測定した重力の加速度です。新たな科学的発見のたびに10年や20年でデータは更新されます」

 ――元となるデータが変われば安全設計の基準も揺らぎますね。

 「以前、NUMOの担当者に『地震の多い日本では施設の安全性を確かめられないのでは』と聞くと、『日本の技術の総力を挙げてやるので大丈夫です』と答えました。でも、技術的に千年持つように計算しても根拠とするデータ自体がどんどん変わる。構造物だけでなくデータも摩耗するのです」

 ――地層処分には反対ですか。

 「世代間倫理の観点からすると、将来世代に無断でツケを回す地層処分は許容できません。倫理的な不正ということになります」

 ――日本学術会議は2011年の東京電力福島第1原発事故後、まだ地層処分の安全性は確立していないので核のごみは地上で暫定的に保管すべきだと提言しました。加藤さんもその立場ですか。

 「ただ、暫定保管しても、その先のメドが立たないでしょう。推進派が言うように、千年先まで地上で管理し続けるのは将来世代の負担になります。確かに、地層処分は倫理的には不正です。しかし、核のごみが存在するという絶対的な事実はある。実務的に処分の道筋を付けないといけない時期に来ていると思います」

 ――最終的には埋めざるを得ない、と考えているのですか。

 「少しでも合理的に処分するとすれば、無人の砂漠の真ん中に捨てるなど、地球上で最も安全な場所を探してそこに廃棄するしかありません。今後人が住みそうもない場所に捨てるのが、一番罪が少ないのではないかと最近私は思うようになりました。仮に国内で処分するなら、広大な土地を国が買い取り、住民のいない地域をつくってそこに埋め、立ち入り禁止にするしかないでしょう。米国では有毒化学物質の処分場の上を彫刻公園にして、気味の悪い、入りたくなくなるような彫刻を並べています。そんなことまでしないといけないのかもしれません」

 ――いま、処分候補地に応募しようとする寿都、神恵内両町村にはもちろん住民がいます。今まで原発からこんな厄介なごみが出るとも知らされず、でも、あなたたちも原発の恩恵を受けてきたのだから責任があると言われても、そこで暮らす人たちは戸惑います。

 「確かに理不尽です。しかも過去の失敗のツケを、原発の恩恵を受けない若い世代やこれから生まれてくる世代が引き受けることは、理不尽としか言いようがありません」

 ――そもそもなぜ、出てくるごみの処分のメドも立たないまま原発を始めたのでしょうか。

 「日本が原発を導入したころの関係者に『なぜ廃棄物の問題を放ったらかしにしたんですか』と聞いたことがあります。彼らは『核融合炉ができると思っていた』と答えました。地層処分などしなくても、核融合炉で核のごみを燃やそうと考えたようです。しかしそんな技術は実現しなかった。原子力技術史上最悪の誤算です」

 ――住民説明会などでは、せめて核のごみをこれ以上増やさないために原発を止めるべきだとの意見が出ます。どう思いますか。

 「もちろん原発は止めるべきです。これ以上核のごみが増えるのを黙認する理由はない。増えれば増えるほど処分が困難になる。自分たちで後始末できないものを生み出す以上、原発を動かすこともまた倫理的に不正です」

 ――地層処分を行う側は、国もNUMOも担当者が2、3年でコロコロ替わります。10万年どころか10年後にも責任を持ちません。

 「官僚だけではありません。政治家は次の選挙に当選することしか考えないし、電力会社の経営者は株主総会で立派な報告ができることぐらいしか頭にない。そうやって、核のごみの問題は先送りされ続けてきたのです。大きな負の遺産として存在する核のごみをどうすればいいのか。その議論を通じて、私たちは未来の世代に対する責任をいま一度真剣に考える必要があります」(聞き手・編集委員 関口裕士)

<略歴>かとう・ひさたけ 1937年東京都生まれ。東大大学院博士課程中退。千葉大教授、京大教授、鳥取環境大初代学長などを歴任。日本哲学会長のほか、原子力委員会で核のごみ処分に関する専門委員も務めた。2011年に出版した「災害論」(世界思想社)で核のごみについて論じている。「現代倫理学入門」(講談社学術文庫)など著書多数。「加藤尚武著作集」(全15巻、未来社)が今春完結した。

<ことば>高レベル放射性廃棄物(核のごみ) 原発の使用済み核燃料からまだ使えるウランやプルトニウムを取り出す再処理を行った後に残る廃液を、日本ではガラスと混ぜてガラス固化体にする。製造直後は極めて放射能が強く人が近づくと20秒で致死量に達する。放射能が安全なレベルに下がるのに10万年かかるとされる。

<ことば>地層処分 ガラス固化体をステンレス製容器に入れ、特殊な粘土でくるんで地下300メートルより深くに埋める処分法。国の計画では国内に1カ所造る処分場に約4万本のガラス固化体を埋める。国とNUMOは3段階の調査を約20年かけて行い、処分地を決めたい考え。第1段階の文献調査に入った自治体はまだない。

<後記> 加藤尚武さんには2012年にもインタビューしたことがある。第2次安倍晋三政権が発足する前で首相もコロコロ替わった時期だった。「核のごみのような超長期の課題を解決するにはまず政治が腰を据えないといけない」と話していた。その後7年8カ月に及んだ長期政権の末期に、寿都町の文献調査応募検討という形で核のごみ問題は大きく動きだした。政治が腰を据えて取り組んだ成果というよりは、腰の据わらぬ政治に対し、疲弊した地方が発した悲鳴ではないか。(北海道新聞デジタルより引用)

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 ★★★ 一労働者のコメント: 高レベル放射性廃棄物=核のごみの地下への埋葬は危険極まりないと思います。10万年以上かかる放射能の減衰などだれが責任を持つことになるのでしょうか?だれも責任を持つわけではありません。
 その10万年後に人類は生き延びているでしょうか?「自然を守る」という掛け声はありますが、今の今、核のごみ=高レベル放射性廃棄物の処理すらできないので、地下に埋めるだけなのです。地震や噴火が起これば核のごみ=高レベル放射性廃棄物が噴出してきても不思議ではありません。東電は氷の壁を作り、トリチウム入りの汚染水を止めようとして、氷の壁を作りましたが、その材料の漏れを早期発見できない杜撰さを露呈しています。こんなことで、高レベル放射性廃棄物の管理を電力会社や国に任せられるのでしょうか?
 高レベル放射性物質を避ける技術さえ、現行では不十分です。福島原発の解体さえも全く前進していません。
 このような時に、核のごみを受け入れるという判断は間違っていると思います。過疎地の目先の経済だけしか考えていない自治体は早晩崩壊していく、さらなる過疎地になっていくのが関の山だと思います。
 そう思いませんか!!

(編集者註:寿都町神恵内村では住民の反対があるにもかかわらず2020年11月17日から原子力発電環境整備機構NUMOによって地層処分文献調査が開始されました。)