[793]中国資本主義の先端 深圳 その3

f:id:new-corona-kiki:20220210150954j:plain
実験都市で繰り返される党主導のイノベーション

 深圳は、これまでも中国経済を刷新する役割を担ってきました。
 1978年、鄧小平は、市場経済を導入する「改革開放」を打ち出しました。 経済特区に指定された深圳に、外国資本が流れ込み、開発がスタートしました。中国で初めて、国有地の使用権を民間業者に払い下げる、競売会も開催され後の中国経済を牽引する不動産開発に、火をつけました。 深圳はかつては人口30万ほどの漁村でしたが社会主義市場経済の実験場となる中、街は一変しました。「豊かさ」を求めて中国全土から人が集まり、人口は、40年で40倍以上に急増しました。 深圳とともに企業も成長していきました。世界有数の電気自動車メーカー、BYDは1995年に創業した当時は、携帯電話のバッテリーをつくる企業でした。2009年に電気自動車・EVの量産を開始しますが、当初は、苦しい経営が続きました。
 その状況を一変させたのが、共産党の政策です。 EVの購入税の免除など、手厚い支援制度を開始。需要が爆発し、世界最大の新エネルギー車市場が突然、出現したのです。 その巨大市場を背景にBYDは成長を続け、2017年には、新エネルギー車の販売台数世界一となりました。 党が打ち出す資本家企業育成政策と、それに呼応する民間企業。それが車の両輪となって、中国のイノベーションは生まれてきたのです。 BYDアジア太平洋地域 自動車販売事業部 劉学亮さんは言います。「開明的な政策、活力ある開放的な市場、BYDの企業努力、この3つがそろう深圳だから、新エネルギー自動車産業のリーダー的地位を築くことができました。」

 私はこの番組の撮影を中国政府が許可したことにいささか訝しさを感じたのですが、劉学亮さんの話を聞いて、中国共産党は日本のメディアを通して「現代化強国中国」の宣伝をしたかったのだと思いました。

激化する生存競争の中で…

 改革開放から40年にわたって、中国経済をけん引してきた深圳。 しかし、経済の減速に加え、新型コロナの影響を受け、陰りも見え始めています。党主導の起業ブームも飽和状態となり、おととしから、企業数が減少に転じているといわれています。 さらに9月、深圳に衝撃が走りました。不動産開発大手「恒大(こうだい)グループ」に対して取り付け騒ぎが起きました。改革開放の象徴として、20万人の従業員を抱えてきた巨大企業までもが、経営危機に陥ってたのです。   
 
生き残りをかけて苦闘する起業家

 7年前に会社を起こした鄭波(てい・は)は通信機能などを備えた「スマートヘルメット」を生産しています。 ワイヤレスイヤホンを内蔵し後方に、方向指示や急停止を知らせ、もしもの時に備えた機能もある。 鄭さんは「衝撃を受けると、しばらくしてから自動的にSOSを発信します。登録しておいた友人などの携帯電話にメッセージが送られ、転倒した正確な場所も表示されます」と説明していました。 180人の従業員を雇い、スマート機能の開発からデザインまで、すべて自社で行っています。 去年、鄭の会社は、深刻な経営危機に陥りました。販売先の6割が海外だったため、新型コロナの影響が直撃。売り上げが8割も減少しましたのでした。
 
共産党の方針を重視しなければ成功しない

 鄭の頭をよぎったのは、1度目の起業を失敗した記憶でした。ニュージーランドに留学し、経営学を学んだ鄭は帰国して自信満々で、家電メーカーを立ち上げました。しかし事業は頓挫。痛感したことは、中国では、共産党の存在や、その方針を重視しなければ、ビジネスは成立しないという現実でした。 鄭さんは言います。 
 「いま振り返ってみると、当時の私は本当にバカでした。政府に連絡することもなく、自分の資金や人脈だけでビジネスを行っていました」 いま、鄭は共産党の政策に気を配っている。この日、共産党が、「体育強国」の建設を目指し、スポーツ振興に力を入れるという記事を見つけた。 鄭さんは習近平国家主席の体育強国建設のニュースを読んだ感想を「我が社は重要な任務を背負っている」と投稿しました。スポーツバイクなどの利用者が増え、ヘルメットの国内需要も高まると期待を寄せていたのです。 鄭さんは「中国で企業を経営する場合、国の重点的な政策に関心を寄せる必要があります。これから、スポーツ分野に対する優遇措置などが出るかもしれません。我々にとって、大きなチャンスになるでしょう」 と言います。