[811](投稿)原発に反対する労働者が、ロシアのウクライナ侵略に怒りの声

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<言葉の現在地2022>人間は神ではない、時に誤りを犯す 原発に反対し続ける元京大助教小出裕章さん 福島事故の無念抱えて
02/28 18:07 更新
 2011年の東京電力福島第1原発事故から来月11日で11年になる。原子力の専門家でありながら原発に反対し続け「反原発のカリスマ」とも呼ばれた元京大助教小出裕章(こいでひろあき)さん(72)は今、アルプスの山々に囲まれた長野県松本市で暮らす。なるべく人とも会わず毎朝5時に起きて自宅の庭で野菜を作り「仙人のような日々を過ごしている」という小出さんを訪ねた。(編集委員 関口裕士)

「私にも責任があるのです」と話す小出裕章さん。「私たちの世代には原子力の暴走を許した責任がある。若い人たち、これから生まれてくる人たちに本当に申し訳ない」
「私にも責任があるのです」と話す小出裕章さん。

原子力の専門家

 「無念」という言葉を繰り返す。「申し訳ない」とも言う。松本城近くで連れ合いが開く英語塾で、小出さんは自責の念から語り始めた。京大原子炉実験所(現・京大複合原子力科学研究所)で15年春の定年まで助教(助手)だった「万年助手」の最大の無念が福島第1原発事故だ。「私自身、原発の推進に加担しない立場を貫いたつもりですが、原子力の世界に私もいたのであって、普通の人とは違う責任が私にはあるのです」

 東京の下町で生まれた。原子力の驚異的なエネルギーを、人類の脅威となる核兵器としてでなく、人類が繁栄するために役立てたい。そんな夢を描いて1968年、東北大原子核工学科に進んだ。当時まだ国内で原発は1基しか動いていなかった。東北電力女川(おながわ)原発宮城県)の建設を巡って、危険を過疎地に押しつけるからくりに気付き、「夢から覚めた」。

 京大退職後の17年、友人・知人に宛てた手紙にこう書いている。

 <18歳で原子力に夢をかけてから、私の一生はずっと原子力とともにありました。21歳で原子力廃絶を決意してからは決して原子力の旗は振りませんでしたが、原子力の場にいた人間として、フクシマの事故を防げなかったことは無念ですし、汚れた世界で生きるしかない若い人たちに対して誠に申し訳ないことだと思います>


■責任の在りか問う

 福島事故の2カ月半後、参院行政監視委員会に呼ばれ、この国の原子力政策について意見を述べた。最後にガンジーの七つの社会的罪を引いて責任の在りかを問うた。政治家の「理念なき政治」、電力会社の「道徳なき商業」を戒めたうえで「人間性なき科学」を挙げ、学者たちが原子力に加担してきたことを自戒も込めてただした。

 記者が初めて小出さんにインタビューしたのは11年秋だった。大阪府熊取町の京大原子炉実験所の研究室には、足尾鉱毒事件を告発した田中正造の肖像写真があった。なるべく電気を使わないように照明を落とした部屋は暗く、同じ日に取材した原発推進派の教授の部屋の半分ほどだった。当時の取材メモを読み返しても小出さんの主張はほとんど同じだ。ブレない。それはきっと、3・11前からずっとそうなのだろう。

 小出さんは福島事故の前から原発は即時全廃という立場だ。事故後の新たな規制基準のもとでこれまでに全国で9基が再稼働した。「福島の事故があっても、なお原発を再稼働させるなんて、私から見ると論外のことです」

 原発を「死の灰を生みだし内部にため込む機械」と表現する。機械は壊れる。人間は間違う。だから原発事故は常に起こり得る。「当たり前のことなのです」

 著書からいくつか引用する。

 代替案がなければ原発を止められないというのは、沈没しかけた船に乗っているのに代替案がなければ逃げられないと言っているようなものです。(「原発のウソ」)

 原発というのは、事故が起きた場合の被害がとてつもなく大きいので、想定外というような言葉をそもそも使ってはいけない機械なのです。想定外という言葉を使えない機械はそもそも使うべきではない。(「脱原発社会を創る30人の提言」)

 子どもたちには原子力を許してきた責任がありません。そうであれば、子どもたちを被曝(ひばく)から守るということが、大人たちの最低限の責任です。(「原発はいらない」)

 安全な原発などはなく、安全性を確認できるようなことは金輪際ない。(「100年後の人々へ」)

■やがて忘れられた

 3・11の直前、10年末に「隠される原子力・核の真実」を出版したが、ほとんど注目されなかった。それが福島事故以降の半年間だけで共著を含め10冊も小出さんの本が刊行される。中でも「原発のウソ」は30万部近いベストセラーになった。多くの人が小出さんの本を読み、講演を聴いた。13年に札幌市で行った講演会は約1500人がホールを埋めた。原発に関心を持ち、小出さんの言う通り原発はやめるべきだと思った。それで社会は変わったのか。「残念ながら元に戻ってしまいました」と小出さんは言い、理由を二つ挙げた。

 「原子力というのは国の根幹をなす政策で国家権力の最重要課題なのです。それを推進するために国家権力は、事故を忘れさせよう、なかったことにさせようと全ての手段を尽くします。マスコミの報道もどんどん減りました」

 「一人一人の大衆にとっては日々の生活が一番重要であって、福島事故で避難した人でもない限り、自分の生活の範囲外のことだと受け止め、やがて忘れていく。それは人間という生き物の性質だと思うのです」

 そして言った。「多くの人が福島のことを忘れさせられてしまっているという事実は、残念ながら私の目の前にあります」


■何ができるのか?

 3・11直後、マスコミを含め多くの人が小出さんの言葉一つ一つに耳を澄ました。カリスマとしてあがめ奉り、講演やラジオ出演にと引っ張りだこになった。「それは全然健全じゃなかった。私は原子力の専門家だったので、私にしかできないことは今もあると思います。なので私は責任を責任を逃れるつもりはさらさらありません。ただし、何でもかんでも私に任せて発言させて、それで済むと思ってはいけない。私の言ったことが、その人の心に本当に届いたならば、その人自身が自分の言葉で発信する、自分の足で立って自分の生活の中で活動するということをやらなければ、そんなものはすぐダメになってしまうのです」

 1時間のインタビュー中、何度か「小出先生」と呼びかけて「小出さん」と言い直した。「先生」と呼ばれるのを小出さんは嫌う。その後、2年前にも一緒に行った松本市内のそば店で、日本酒を飲みながら3時間近く語り合った。福島第1原発の汚染水や廃炉について、北海道で処分地選定調査が行われている高レベル放射性廃棄物(核のごみ)について、100年後の世界について…

 小出さんから届いた17年の手紙の余白には、パウル・クレーの「忘れっぽい天使」の絵が添えられていた。忘れてはいけない。何度も読み返す。<一人ひとりが自分の頭で考え、自分にできることをする>。私には何ができるだろうか。そして、あなたには―。(北海道新聞デジタルより引用しました。)


※※※ 一労働者の感想:
 小出氏は「政治家の『理念なき政治』、電力会社の『道徳なき商業』を戒めたうえで『人間性なき科学』を挙げ、学者たちが原子力に加担してきたことを自戒も込めてただした」と書かれています。

 原発は機械だから必然的に壊れる。人間が作り、作動させると間違うのは当たり前とも小出氏は語ります。

 上記の小出氏の原発との戦いから導き出されている教訓は、今、プーチンが企てた侵略戦争にも当てはまる言葉ではないかと思います。      
 ロシアでの「独裁者」プーチンの支持率は下がっていると報道された後、かねがね狙っていたウクライナへの侵攻は、まさに第二次世界大戦の「歪んだ政治思想、人種・信仰・・・差別」と戦力で他国をねじ伏せようとした独裁者ヒットラーを想起させます。この裏には「一帯一路策」や「少数民族を弾圧してはばからない」「香港(ほんこん)を乗っ取った」「台湾を属国にしたいという願望を抱く」中国の独裁者・ヒットラー習近平の存在も浮かんできます。

 ロシア内部でもプーチンに対する「ウクライナ侵略反対」の多くのデモ隊による叫び声が上がっています。

 私たちも「理念」も「道徳」も「人間性」もない独裁者プーチンが引き起こした「ロシアのウクライナへの侵略戦争反対」の声を上げて行こうではありませんか!!同時に、「原発稼働反対」の声も上げて行こうではありませんか!!