[886]沖縄米軍基地つきで返還されて50年


 沖縄の施政権が返還されて50年が経ちます。当時学生だった私は、札幌で沖縄の核基地つき返還に反対するデモに参加しました。確か雨だったと思います。この時期は暗く湿った印象が残っています。50年後のいま、プーチンウクライナ侵略によって戦争の引き金が引かれ、アメリカが後方支援する新たな世界戦争がはじまっています。
 日本政府もロシアにたいする「戦い」を経済制裁や戦争装備品援助という形で担っています。日本の労働者は賃金は上がらず、物価が値上がりし生活は苦しくなっていますが、労働運動は財界の代表部・自民党にすり寄ってしまい産業報国会のようになっています。組合としてのウクライナ戦争反対の闘いは微弱です。
 ウクライナ戦争という歴史の激変の中で、日本も戦時下というべきです。それでも日々の「日常」は繰り返します。「戦争」は静かに私たちを包みます。
 政府と取りまき政党は上から流される戦争プロパガンダに従順なメディアに助けられ、「外から攻められる」という脅威をあおり日本の労働者民衆の意識に危機感をつくろうとしています。「ストーリーとしての日本を対象とした戦争」に備えるためにと称して平和憲法まで葬り去ろうとしています。

 「沖縄復帰50年」
 
 日経新聞に「沖縄復帰50年」の特集があります。5月12日記事の冒頭で次のように書かれています。
「沖縄は15日、復帰から50年を迎える。先の大戦で最大の激戦地となり、多くの犠牲者を出した『基地の島』からの脱却を求める声が根強い県民感情と、安全保障からみた地政学上の重要性をどう両立させるか。それは政治の役割となる。」
 両立すべくもない戦争と平和。その両立が迫られているというように思う記者の意識に、こんにちの世界の矛盾が反映しています。現代資本主義世界の東西対立が戦争というかたちで決壊しました。平和か戦争かの選択は沖縄の軍事基地の是非を問うています。
 戦争で沖縄県民の4人に1人が亡くなった。戦争を再び繰り返してはいけないという気持ちは体験に基づいています。沖縄で暮らす人々をはじめとして戦争に反対するわれわれの意志は、アメリカの対中国軍事戦略上ますます重みをます米軍基地の存在と鋭角的に対立するのです。
 戦争反対の声と安全保障からみた地政学上の重要性をどう両立させるか、という設問はヒューマニズムを基準とするかぎり成立しないと思います。