[890](投稿)甲状腺がんで提訴

「結婚、出産、将来のこと。考えられない」甲状腺がん26歳、肺転移も 東電提訴「今できることを」

 福島第一原発事故後に甲状腺がんになった若者6人が、東京電力の責任を裁判で追及する。事故時に子どもだった約300人に甲状腺がんが見つかりながら、事故との因果関係が認められず、検査縮小を求める意見が出ていることへの強い疑問があるからだ。「このままなかったことにされたくない」。福島県中部の中通り地域に住む女性(26)は肺への転移が分かり、将来への不安が膨らむ。(片山夏子)
◆17歳「なんで私が」
 「肺の影以外にも、首にも怪しいのがあるって医師に言われていて。結婚とか出産とか先のことは考えられない」。11日朝、アルバイトに向かう前の女性が自宅で静かに語った。
 通院は3カ月に1回。待合室に幼い子がいると胸が痛む。「私は無自覚の時に検査で見つかった。検査を縮小したら助かる命も助からないかもしれない」
 甲状腺がんを告知されたのは2013年3月、17歳で高校3年生になる直前。「手術しないと23歳まで生きられないかもしれない」と言われ、「なんで私が」と思いながらも大丈夫だと信じこもうとした。
◆2度の手術、独房のような部屋
 母親(57)は告知される娘の姿に涙をこらえた。女性は原発事故直後の11年4月に高校に入学。当初は放射性物質を吸い込まないようにマスクをしていたが、すぐに着けなくなった。通学で片道40分歩き、外で体育もした。母親の脳裏に「もし避難していたら」と後悔が巡った。
 女性は東京の大学に行きたかったが、体を心配した母親に止められ隣県の大学に。だが半年後、だるさや疲れ、生理不順がひどくなり、再び検査を受けた。
 「残った片側に再発が見られる。肺にも影が認められる」と医師に告げられ「治っていなかったんだ」と母親と泣き崩れた。治療に専念するため退学した。19歳だった。
 2度の手術や検査による身体的負担は大きかった。長い注射針を喉に刺す検査では針が喉の奥に入るほど痛みが増した。放射線治療は3度にわたり、入院では独房のような部屋に隔離され、鉛入りの窓から外を眺めてひたすら耐えた。
◆…でも今は前を向きたい
 母親は、明るく振る舞う娘が成人式の日、父親に「着物が着られてよかった」と言ったと聞き、死も考えたのかと衝撃を受けた。「がんだから長くは生きられない」と冗談めかして繰り返す娘の言葉に、胸がつぶされる思いもした。「1日たりとも娘の体を考えない日はない」
 女性のがんを示す数値は手術前よりも悪い。再発や転移の不安から、希望する職で正社員になることを諦めてきた。でも、今は前を向きたい。「事故が関係ないなら、なぜこれほど甲状腺がんの子が出ているのか。今後もなる子がいるかもしれない。今できることをしなくてはと思っている」
2022年1月19日 06時00分 東京新聞Webより


■投稿 福島第一原発事故後によって生じた甲状腺がんの記事を読んで

 西尾正道氏の『被曝インフォデミック』に書かれていることで、広島に原爆が落とされ、原爆の直撃を受けたA男性よりも、被曝した男性の妻が広島に行って夫を8日間探して歩き、呼吸器や消化器から体内に入り込んだ放射能によって体内被曝し早く急性原爆症を発症し、他界したという例を挙げていたのをこの福島の甲状腺がん発生から連想しました。
 東電や福島県や国は福島での甲状腺がんの多発を認めていません。チェルノブイリ原発事故後、甲状腺がんの手術をした多くの若者の手術の後の傷跡を「首飾り」に見立てている記事をかなり前に読んだ覚えがあります。
 国や地方自治体や東電や福島県立医科大学甲状腺がん福島原発の巨大爆発とメルトダウン事故による放射線の影響と広がりを今もって認めていないのです。それどころか、高線量を放つ村への帰還を促進しようとばかりしています。また、トリチウムを含んだ汚染水の海洋放出を虎視眈々と狙っています。
 ヒットラーと同じ独裁者プーチンウクライナ侵攻に気を取られている間に、小型化された原子炉を半ダースほどつなぎ合わせて発電する原子炉を使う方策で「炭酸ガスを出さないエネルギー」を推進する方策を練っています。
 しかし、小さな原発をつなぎ合わせても高レベル放射性物質を生み出さない原発は作れません。核のごみは増えるばかりです。それによる放射線障害の被害者も増えていくばかりです。この負の連鎖を積み重ねてはなりません。
 すべての原発の稼働即時停止と廃炉の促進が必要です。独裁者プーチンの仕掛けたウクライナ侵攻反対、並びに全ての原発の稼働・再稼働に反対したいと思います。