[911]エマニュエル・トッドのウクライナ戦争論

(雹の傷痕)

ペンギンドクターが紹介してくれたエマニュエル・トッドについて。

早稲田大学教授のの水島朝穂さんがホームページの「水島朝穂の今週の直言」「核シェアリング」という時代錯誤――奇貨としての「プーチンの戦争」(4月12日)でエマニュエル・トッドウクライナ戦争の意見を紹介しています。水島さんは戦争の「責任の所在、背景、本質、そして今後の予測を、トッドの視点で明快に論じている」と述べています。水島さんの文章を通じてエマニュエル・トッドの意見を読み、なるほどと思うところがありました。
一部を引用します。

エマニュエル・トッドの議論──日本核武装への誘導?

4月8日発売の『文藝春秋』5月号の特集は「日本核武装のすすめ」。早速入手して関連する論稿をすべて読んだが、巻頭にあるエマニュエル・トッド(フランスの人口統計学者、歴史学者)の、ロシア侵攻後の初インタビュー記事は読み応えがあった。これを「日本核武装のすすめ」というタイトルで売り出す編集部の商魂を感じた。日本核武装への言及は1頁半にすぎない。全体として、この戦争の責任の所在、背景、本質、そして今後の予測を、トッドの視点で明快に論じている。ここで立ち入って紹介する余裕はないが、「戦争の責任は米国とNATOにある」と断定し、ロシア非難の大合唱とは距離をとった冷静な分析が続く。ウクライナは「NATOの“事実上”の加盟国」になっており、米英が高性能兵器や軍事顧問団まで派遣して強化したため、「日増しに強くなるウクライナ軍を手遅れになる前に破壊すること」にロシアの侵攻の目的があったと喝破する。マリウポリが「見せしめ」のように攻撃されるのは、ネオナチの極右勢力「アゾフ大隊」(注・連隊)の発祥地だからと指摘し、プーチンのいう「非ナチ化」の意味を、アゾフをたたきつぶすことにあるとして、メディアが沈黙するウクライナの「不都合な真実」にも踏み込む。

 トッドは、すでに第三次世界大戦は始まっており、「ウクライナ軍は米英によってつくられ、米国の軍事衛星に支えられた軍隊で、その意味で、ロシアと米国はすでに軍事的に衝突している」「米国は、自国民の死者を出したくないだけ」と指摘する。トッドによれば、侵攻が始まると米英の軍事顧問団はポーランドに逃げてしまい、「米国はウクライナ人を“人間の楯”にしてロシアと戦っている」のであり、「今後、この裏切りに対して、ウクライナ人の反米感情が高まるかも」と述べる。ただ、市民の「大量虐殺」とその戦争犯罪性についての言及がないのは、インタビューが侵攻から間もない時期に行われたからだろう。

 なお、トッドは家族人類学の専門家でもあり、そこからロシアの共同体家族とウクライナ核家族の社会分析から、ロシアとウクライナのさまざまな違いに立ち入って論じているところも興味深く、戦争の背景を知る手がかりになる。

 今後の予測では、ロシアは「合理的」かつ「暴力的」に動いており、予測可能であるという。中国の行動もある程度予測可能である。予測不能なのがウクライナポーランドであり、この両者が協働する動きを見せたら「危険あり」と注意すべきであるとして、プーチンの「核発言」はポーランド向けメッセージであるという指摘は意外だった。

 そして、トッドの表題にもかかわる「日本は核を持つべきだ」という点については1頁半もなく、言わんとすることは、米国の行動の「危うさ」が、日本にとっての最大リスクであり、「米国に頼りきってよいのか。米国の行動はどこまで信頼できるのか。こうした疑いが拭えない以上、日本は核を持つべきだと私は考えます」ということである。核を持つことは、国家として「自律すること」という下りからは、ドゴールが推進したフランスの核武装が、ソ連に対して向けられたものではなく、米国に対してのものであったことが想起される。フランスの核兵器は、「ヨーロッパにおけるフランスの指導的立場を再確立するための『意志の力』の象徴であった」(内閣調査室『日本の核政策に関する基礎的研究』1967年)。

 トッドの観点からは、「「核共有」という概念は完全にナンセンスです。「核の傘」も幻想です」ということになる。「米国が自国の核を使って日本を守ることは絶対にありません。自国の核を保有するのか、しないのか、それ以外に選択肢はないのです」。「ロシアとの良好な関係を維持することは、あらゆる面で、日本の国益に適います」。結局、米国の意向に引きずられないように、日本としての独自の立場でロシアと向き合うなかで、その「意志の力」を核武装に重ねるメタファーなのだろうか。

引用は以上。

 トッドのようなウクライナ戦争の見方は日本のメディアでは報じられたことはありません。日本は核をもつべきだという意見は賛成できませんが、ロシアのウクライナ侵攻目的のとらえ方は鋭いものがあると思いました。

 日本のメディアの報道は基本的に善悪二元論の観点に立ってなされており、決して客観的な報道とはいえないと思います。トッド的な分析をも参考にして戦争を見るべきだと思います。  
 私はいま戦場にいるウクライナの兵士と、ロシアの兵士は団結して自国政府に戦争をやめよと訴えてほしい。いまの戦争は米欧とロシアの政府権力者資本家の利益と支配体制の強化のためのものであって、労働者農民のためのものではありません。