[926]書店が消える

 
 21日の朝日新聞天声人語で街から書店が消えていくことを嘆いています。確かに本屋が減りました。団塊の世代である私の子供時分には、山陰の小さな市にも書店だけではなく貸本屋がいっぱいありました。週刊漫画雑誌の発売日には貸本屋に駆け込み時がたつのを忘れて立ち読みをし、番台で鼻眼鏡していたおやじさんにいつも叱られていました。夕方に母親がご飯だよと迎えに来たのを想いだします。貸本屋はまもなく消えました。書店がなくなることはありませんでしたが、昔あった書店も今は残っていません。

 先日出版社の話しを聞く機会がありました。本の需要が減り、とくに哲学や社会科学の本はまず売れないので出版するのが難しいといいます。また、通販で簡単に本が買えるようになり書店に行く人が減りました。その出版社の人によれば通販で売れるのはありがたいが、本当は苦労して編集し出版した本を書店に行って買ってもらう方がうれしいのですが・・・と言っていました。

 私は時々本屋に寄ります。本を買うためだけではなく、どんな本が並んでいるのか見るのが楽しみです。用があって外出した折、時間つぶしに寄って本を手に取ってパラパラと読んでいるうちにあっという間に時間がたち、約束の時間に遅れそうになることがあります。書店はそういうちょっとした楽しみも与えてくれます。本屋が減るのはさみしいかぎりです。

 本の文化がインターネット文化に吸収されていきます。インターネットは便利なこともあるのは確かです。指を動かせばいろんな情報をえることができますが、速く便利なことと引きかえに考える間を奪われるのも確かです。情報が頭の表層をくるくると駆け巡ります。紙の本や辞書を手にとって読み考え、考えたことを紙に書き留めるという行為がいらなくなる分、時間は節約できるかもしれませんが、この節約は同時に深く考える間がなくなるということを意味するのです。

ゆっくり考えましょう。