[1080]戦前は「軍事独裁」だったとの理解は間違い

安倍元首相の国葬についての池上−保坂対談の続きです。

 池上が、英国やドイツには政治家の言葉によって国民を動かしていく歴史があるが、日本の政治家にはその伝統がなく、哲学が感じられないと問題提起しています。

 保坂は首相としての第一条件は「首相は歴史の審判を受ける」という意識を持っていることだと言います。ある種の政治家はその意識を持って首相になったが、ある時からふっと消えてしまった、戦後民主主義で育った人が首相になるとだめですね、と慨嘆しています。

 池上が戦後民主主義で育った世代は民主主義を継承できなかったのでしょうかと問うと、保坂は「戦前をきちんと理解していないから、民主主義の本質をつかめなかったのです」と答えています。

 保坂のいう民主主義の本質とは何でしょうか。

 「戦前は『軍事独裁』だったとの理解は間違っています。正しくは『行政独裁』です。軍部の独裁ではなく、軍が行政を握って、司法、立法を隷属させたのが本質なのです。」

 三権分立が民主主義の本質であり、分立の原則が行政権を握った軍によって破られたことが問題だということです。行政が独裁になる恐さは今でもあると認識しなければならないと保坂は言います。

 なるほど戦前の支配体制を「軍事独裁」というように規定するのは、行政権を握った軍部の果した機能を本質とする誤りだと思います。認識論的にいうならば、機能論的現象論というべきでしょう。イメージだけで軍事独裁という言葉を使うと、軍部がどのように政策決定に影響を与えたのかという過程が分析できなくなると思います。

 安倍内閣は2014年7月の閣議集団的自衛権行使を容認する閣議決定しました。武力行使はしないという憲法の文を変えないで海外でも他国と軍事行動をともにするのは可能だということを閣議で決めたのです。このときが「行政の独裁」がはじまった区切りめといえます。

 あのとき、私は組合の仲間と共に閣議決定阻止の国会前デモに参加しました。けれども国会は閣議による事実上の改憲を容認したのです。

 毎日新聞の池上−保坂対談は更に続けられています。後日ブログで感想文をまた書きます。