[1093]日米開戦から81年、日米共同戦争体制の確立

 

 日本軍が真珠湾を攻撃し日米開戦したのは81年前の昨日、1941年12月8日でした。あの日を結節点として日米は凄惨な戦闘を繰り返し大きな犠牲を両国の労働者民衆に強い、日本帝国主義国家の降伏をもって終結しました。痛苦な過去はもはや「過去の出来事」として歴史の一ページへと繰り込まれてしまったかのようです。

 日経新聞は8日朝刊の一面に岸田政権の戦争政策を囃すように「反撃能力、米軍と共同計画 政府、標的情報を共有」という見出しを掲げています。反撃能力即ち敵基地攻撃能力を発揮する際に、その標的の情報を米軍から受けることにするということです。政府は12月中には国家安全保障戦略をはじめ安保三文書に「反撃能力」を書込み、米軍と共同計画を作っていこうとしています。

 7日の日経新聞の一面は「民間の港湾•空港 自衛隊、平時利用しやすく」という見出しです。国交省は有事ではなく平時から民間空港や港湾を自衛隊が使えるように施設利用についての基本方針を改定するといいます。

 ウクライナ危機、台湾海峡危機を利用して、米軍と共同して戦える自衛隊づくりが急です。

 戦争は理由なくして始まりません。その時の支配階級の階級的利害を国民全体のものであるかのように見せかけ戦争に動員します。81年前の政府は鬼畜米英の侵略から国益を守るために皇国日本の民は一丸となれ、でした。今は中国、北朝鮮の攻撃から民主主義国家日本国の国益を守るために米国と共同して戦える日本国軍をつくることを国民は合意せよ、です。

 岸田自公政権は維新を従え国民民主党翼賛政党化に支えられて、この半年で軍事大国の態勢づくりを一気に進めました。憲法改悪はその最後の仕上げをもくろんでいます。

 戦後日本の反戦平和運動の後退の根拠を考えなければならないと思います