[1125]戦前に入った•今

 

 最近の新聞を見ていると、戦後はおわりあたらしい戦前に入ってきたと感じます。中国、ロシアという昔「社会主義」(スターリン主義)、今国家資本主義の国にたいする日米共同軍事行動体制が着々とつくられています。日本自衛隊の軍事行動を規制していた数々の法律は閣議決定によって変えられる時代になりました。   

 戦争はしないとされている憲法の解釈変変更ーー集団的自衛権の行使を容認することーーを2014年に安倍内閣が行いました。以降、国家の安保•戦争政策に関しては閣議や政府の国家安全保障会議で決定されることが常態化しました。

 保坂正康さんも言う「行政権力の肥大化」です。戦前の反省にふまえて憲法で「戦争の放棄」をうたったはずが、内閣がその羈絆を自ら解いてしまいました。立憲主義にもとづく議会制民主主義という形をとった統治形態は破棄されたのです。

 ところで私たち団塊の世代以後の人びとにとっては「議会制民主主義」はいわば空気のようなものでした。何年かごとに選挙がありそこで選ばれた人が国会でいろんなことを決め政府が実行する、裁判所は憲法違反があれば判決し罰する、三権力分立のもとで政治が成り立っているとされていました。戦争はできませんというのは一応建前でした。

 労働運動学生運動は政府の安保政策に反対する闘いを展開して自民党政府の戦争への傾動に抵抗してきました。

 今や、攻められないように軍備増強するという理屈に反対運動が足をすくわれ平和運動は後退し、「議会制民主主義」は自民党専制を数で正当化するために選挙という形を残し実質は形骸と化しました。

 社会は民衆の生活の悲喜劇を包含しつつ、総体として何ごともないかのように日常を繰り返しています。

 けれども、時代は暗転の過渡を越えました。新型コロナパンデミックウクライナ戦争をきっかけとして、世界と日本は急速に変貌しています。