[1126]安倍元首相銃撃事件

 安倍元首相にたいする銃撃事件で逮捕された山上徹也氏に、この半年間、現金や服などの差し入れがあり、現金書留は100万円以上に達していると報道されています。

 朝日新聞は「深流 安倍氏銃撃から半年」というテーマで特集しています。同紙1月8日の22面に「事件が映す 社会のゆがみ」という見出しで小説家中村文則さんへのインタビューが掲載されています。

 その中で村上さんは次のように言っています。

 「この事件が結果として異常なものになったのは、社会が異常だったからという側面があります。元首相が、カルトと指摘される宗教との関わりを背景に殺害される国など、他にあるでしょうか。••••••事件が起きたことで、生活破綻や家庭崩壊といった2世の苦しみ、政治と宗教のゆがんだ関係などが明るみに出ました。••••••なのに、社会は半年経っても変わらない。教団は宗教法人格をまだ持ち続け、活動にお墨付きを与えるような行動をしてきた政治家たちも居座り続けている。事件の根底にある社会の異常性は、今も継続しているというのが僕の考えです。」

 村上さんの言う通りだと思います。

 更につづけて次のように言います。

 「教団と深く関わってきた政治家は、責任を取って辞めるべきです。••••••他方、人々は投票によって政治家に緊張感を与え続けなければなりません。••••••山上容疑者の過去に同情する人もいるでしょう。でも、暴力による社会の変革を肯定することは、社会や理性の敗北そのものです。」

 私はあの事件をテレビの速報で知ったとき、言い表すことのできない驚きを覚えました。あの行為をなさしめるほどの怒りがつくり出されまでに現代日本腐蝕しているのだと私は感じました。私の意見ですが、山上氏は投票によって政治家に緊張感を与えることでなんとかなるというようにはサラサラ考えていなかったと思います。議会を通じた社会変革に無力感を持っていたのではないでしょうか。家族が壊されことへの憤りは深く、孤独だった彼は教団を支え続けた政治家としての安倍元首相に強い理不尽を感じたということだと思います。彼は安倍元首相を銃撃することで社会の変革を試みたのでしょうか。そうではない、社会の変革を諦めたのです。自分をかけて一矢報いたかったのでしょう。

 私はそう思うので、同情するかといえば同情しますが、悲しみに似た感情が湧きます。