[1141](寄稿)医療あれこれ その74−2

ペンギンドクターより
その2
先日、群馬県のある都市の医師会病院の院長をしている私のA医大時代の後輩S君から電話がかかってきました。彼はT医大卒で私のグループにいました。私が大学を離れた後、しばらくグループの中心でしたが、実家が群馬県のその都市でしたので、退局してその医師会病院に移ったのです。その彼の後が、高校の同級生HTさんの胃がんの手術をしてくれたH教授です。S君の用件は次のようなことです。長電話でいろいろ聞きだしたのをまとめます。
 
 自分達が手術した大腸がんの患者さんを外来で経過をみていた。その後定期的な手術後検査のうちのCT検査で肝臓に「影」が認められたが、「血管腫」と考えてそのまま観察とした。その後、その「影」が少し大きくなったので、転移かもしれないと考え、大学に紹介したら、肝臓だけでなく肺にも転移巣があるということで、患者さん側からクレームが来ている。病院として医師賠償責任保険に入っているが、自分個人は入っていない。入った方がいいだろうか、どうすればいいか……という内容でした。
 
 私の回答は次のようなことです。
 個人的な保険には今からでもいいから入った方がいい。病院として入っている保険会社に会って、「病院として入っているので、賠償することになってもそれで十分と思うが、これからもこういうことがあり得るから私個人としても入会したい」と言えば、入会を認めてくれるはずだ。病気になってから急いで生命保険に入るというようなことは認められない、いわゆる生命保険とは異なる。実は保険金がおりるのは、現在保険に入っていることが必要である。私は今検診業務だけでトラブルになることはないはずだが、保険に入っている。その理由は、過去の事例、20年前の医療事故において今訴えられることがないとは言い切れない。20年前に入っていたからではなく、訴えられた今の時点で保険に入っていることが必要と言える。
 今回の場合、クレームはついているが、仮に再発死亡したとしても死亡の原因が外来で漫然と経過を見ていたということにはならないはずだ。大学の担当医(旧知の医師らしい)と相談して、ありのままを言えばいい。つまり、「血管腫と考えたが、肝転移だった。申し訳ないが、その区別はつきにくかった。大学の担当医によろしくお願いしますと私からもよく頼んでおきます」とでも言うべきだ。
 さらに私は付け加えました。私も院長になって手術もしたが、SH病院の院長連中と話すと「管理職すなわち院長に成ったら第一線の現場から離れたほうがいい、院長が医療ミスを起こしたら、他の職員に示しがつかない」と言われたぞ。君はいくつになった?70歳か、そうか、潮時だな。……
 この後輩からの相談にはいくつかのポイントがあります。一般の人々に露骨に話すことははばかられると言える点もありますが、現実をありのままに話します。
①この問題は実は大した問題ではありません。彼から電話があったとき、私は手術して手術の失敗で患者を死なせたというような内容かと思いました。それが術後の経過観察で肝転移という判断が少し遅れたというに過ぎない。確かに大腸がんの場合、肝転移が見つかって、再手術をする場合もあるし、肺に転移が出てそちらも手術して治癒した場合もある。たとえば鳥越俊太郎氏などがその例である。しかし、一般には転移巣の手術は他にも転移があるという前提で考えるわけだから、診断が遅れた……死亡につながったということにはならない。ただし、常識的には大腸がんの手術後だから、肝臓に「影」が出たら転移と考えるのが普通で、そのことを本人なり家族にも伝えておくべきで、「血管腫」と思ったのはちょっとセンスがありませんが。
②問題は医師賠償責任保険のことです。院長ともあろうものが、病院が入っている保険のことをよく知らないのは、怠慢です。トラブルというかミスというのはどこにでもあります。トラブルがなかったとしたら、よほどのんびりした、つまりミスがあっても顕在化しない遅れた病院ということになります。私が医師会で医事紛争を担当していたのはもう25年も前の話ですが、興味深いことに県ではやはり大きな都市にトラブルが多い、田舎では少ない、つまり「我慢して諦めている」患者さん、「泣き寝入り」している患者さんが田舎には多いということです。単に人口比という解釈もありますが、そういうおおらかなところでは、医師も進歩しないということになります。
③わが後輩も70歳となったのですから、現場からは引退すべきです。院長自身が数少ない医師の一人で大きな戦力になっているのでしょうが、やはり年をとると「反応が鈍くなる」「危機の判断が遅れる」。これは明らかな現実です。医療の現場は「接客業」です。いろいろな考え方をもった人間相手の極めて高度なコミュニケーション能力を必要とする「接客業」です。パターン化できない仕事です。微妙なセンスが必要です。
 よく90歳まで現役だという医師がいます。内科の有能な先生だと評判の先生かもしれません。しかし、それはそういう老人の医師でも務まる現場だということです。私は今検診の仕事をしていますが、相手は病人ではありません。従ってほとんどがパターン化できます。時に病気を見つけても、「医者に行きなさい」という方針を伝える役目です。昔、私が40代のころ、田舎に帰る電車の中からさびれた病院が見えたら、「あの病院ぐらいなら俺一人でも立て直してみせる」などと思いながら車窓から眺めていました。体力と知力にあふれた青壮年期の「過ち」だったと今は思います。
 このへんで、この話はおしまいにします。
 
 さて寒さは続きます。私は立春を待ち望んでいます。宇野千代さんだったか、春になるたびに「今年もまた春を迎えることができた」と喜んだという文章を見たように思います。
 先日、池波正太郎の『日曜日の万年筆』という自伝的な随筆集を読みました。『鬼平犯科帳』の池波正太郎です。こういう時代小説の達人のエッセイはいいものです。彼は小学校を出てすぐに株式仲買人の丁稚になっています。戦前の東京が浮び上がってきます。藤沢周平の場合は、山形県鶴岡の情景です。小説も読みましたが、二人の味わいのあるエッセイは読書の大きな楽しみを与えてくれます。
 では。