[1146]『経営労働政策特別委員会報告』序文 「円滑な労働移動」について

 前回のつづきです。

『2023年版経営労働政策特別委員会報告』の序文を経団連の会長、十倉雅和氏(住友化学社長)が書いています。序文を読めば今経団連が考えていることが大体わかります。

 十倉会長は言います。「私が考える2023年版報告のポイントは2つある。1つ目は『円滑な労働移動』である。······2つ目は『物価動向を重視した賃金引上げ』である。」

 今日はまず1つ目の円滑な労働移動を考えてみます。続けて引用します。

 「わが国経済の持続的な成長には、GXとDXの推進による産業構造の転換と、それに伴う成長産業•分野等への円滑な労働移動による労働生産性の向上が不可欠である。硬直的とされるわが国の労働市場を円滑な労働移動に適した形へと新たに作り上げるべく、社会全体で取り組む必要がある。政府には、雇用のマッチング機能強化とともに、現行の『雇用維持型』のセーフティーネットを『労働移動推進型』へと移行すべく、『フレキシキュリティ』との言葉もあるように、雇用のセーフティーネットとリスキリングを組み合わせ、働き手が安心して自己啓発スキルアップを図り、自身の希望と能力に応じた労働移動を可能とする政策の検討を求めたい。」

 註∶フレキシキュリティについてインターネット「日本の人事部」の説明を引用します。

フレキシキュリティとは、柔軟性を意味するフレキシビリティ(Flexibility)と安全性を意味するセキュリティ(Security)を組み合わせた合成語で、雇用の柔軟性を担保しながら、同時に手厚い失業保障によって労働者の生活の安定を図る政策のこと。デンマークやオランダで失業率の改善と経済成長に効果を上げたとされることから、雇用政策のブレイクスルーとして注目されています。」

 

 十倉会長が言う「円滑な労働移動」とは、現在の解雇規制ーー整理解雇の4要件などーーを緩くし、解雇が容易にできるようにしていくということです。政府に現行の『雇用維持型』のセーフティーネットを『労働移動推進型』へと移行させよと要望しています。つまり解雇を円滑にできるようにしてほしいということです。セーフティーネットの形の転換は大企業だけではなく、全企業に広げられるでしょう。

 

 次に十倉会長は労働者にたいして次のようにいいます。

「働き手は主体的なキャリア形成や能力開発を図るなどエンプロイアビリティ向上に励み」と言います。

 このエンプロイアビリティ(註)という言葉は古い英和辞典には載っていません。インターネットで、雇用され得る能力という意味で使われていることを知りました。

「キャリア形成や能力開発を図る」べきだということはこれまでも言われてきましたが、雇用され得る能力(エンプロイアビリティ)向上のためにという理由づけははじめてではないかと思います。言いかえると首にならないように励めということです。

 そして経営者にたいして言います。

 「企業はその支援策を導入•拡充し、働き手のエンゲージメントを高める必要がある。」

 エンゲージメントとは「深いつながりをもった関係性」を示す言葉です。例えば、「社内における従業員エンゲージメントの向上」は、「従業員が会社に対しての愛着や貢献の意志をより深めること」という意味にもなります。会社への帰属意識を高めると言ってもいいと思います。

 また「企業が離職•転職者を経験やスキルを有する者と評価して採用•処遇することも重要である。」エンプロイアビリティを向上できず、こぼれた労働者を雇用する労働移動型のセーフネットをつくれと言っています。

 合理化と終身雇用制の破棄

 十倉会長は序文で、終身雇用制を破棄すべきことを明らかにしました。労働生産性を高めるために生産過程をデジタル化し、技術性を基準とした労働者の選別•解雇を容易にするために雇用制度の抜本的改変にのりだすことを宣言しました。生産過程の技術化=デジタル化に対応できない労働者は雇用され得る能力(エンプロイアビリティ)を持たないものとして解雇できるような「労働移動型」雇用システムを確立せよという号令を出しました。

 たとえば政府、経団連は解雇無効の判決がでた場合に金銭解決を可能にする制度をつくろうとしています。この制度ができると、解雇されれば実質的に職場復帰の道はなくなってしまいます。経営者からすると解雇のハードルが低くなります。

 横道にそれますが『経労委報告』本文54頁につぎのように書かれています。

 「労働者保護の観点から解雇無効時の金銭救済制度の創設を検討することも一案である。」

 恩着せがましい言い方です。解雇無効の司法判断が出たら解雇はなかったことになるのです。経営者は解雇を通告した労働者を救済するのではなく、労働者に謝罪しなければなりなりません。

 それはともかく、経団連として全産業に合理化と雇用システム転換の薦めを宣言したと言っていいと思います。

 合理化とは労働生産性を向上するために生産過程において労働力と、労働手段となるものを技術化するということです。

 労働生産性とは最小の労働による最大の生産物を意味します。経済学的に言うと、生産性を向上させることによってより多くの剰余価値を生産させることができます。

 合理化は生産性を向上させるために労働者に労働強化と技術性の高度化を強いるものです。資本家は、労働の生産性を高めることによって生産に必要な労働の量を減らすことができます。つまり合理化は生産に要する人員を削減することをも目的としてなされるのです。

 

(註)エンプロイアビリティ(英語表記)employabilityとは

翻訳|employability

 

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「エンプロイアビリティ」の解説

エンプロイアビリティ

employability

 雇用されうる能力をいう。技術革新や産業構造の転換に伴って,変化する労働市場に対応して雇用機会を確保し,かつ雇用を継続できる能力を,個々の労働者が身につけることが重要であるとする考え方。 1999年2月ロンドンで開催された「成長と雇用に関するサミット」で注目を集め,同年4月には日経連が企業の人材育成目標として強化項目に掲げた。労働者に能力開発のための教育・訓練の機会が与えられることにより,労働者みずから将来の職業生活に積極的,自立的な展望をもつことができ,企業の側では明確な労働意欲をもった従業員を確保できる。ひいてはそれが失業者を減少させ,失業保険など社会保障コストの低減にもつながるとする。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 

 

人材マネジメント用語集「エンプロイアビリティ」の解説

エンプロイアビリティ

employee ability

 従業員の雇用される能力。長期雇用を前提とした能力開発ではなく、労働移動(転職)が発生することが当たり前になることを前提に、従業員が現在雇用されている企業の中で継続的に雇用されるような(解雇されない)魅力的な能力を有する、あるいは企業の外でも通用する能力を有するよう能力を保持することを指す