[1180]ドストエフスキーと今のロシア

 毎日新聞に「土記」というコラムがあります。2023•2•25の「土記」、『小林秀雄の開眼』(専門編集委員 伊藤智永)の結びで次のように言われています。

ウクライナ侵攻2年目。何故始めたのか理解しなければ、戦争は終わらない。」

 筆者•伊藤氏は小林秀雄の「ドストエフスキイの生活」(1939年)とE・H・カーの最初の著作「ドストエフスキー伝」(31年)を評論したあとで終わりの一文を書いています。含蓄のあるいいコラムです。

「土記」を引用します。

 

小林秀雄の開眼

伊藤智永  2023/2/25 

「1人の作家の全集を読め」

 文芸批評家の小林秀雄が「読むのにも技術がいる」として勧めた工夫である。発表作以外に草稿、日記、手紙、メモまでくまなく読むと「代表作が、どんなにたくさんの思想を犠牲にして生まれたものかが納得できる」からだ。

 小林は19世紀ロシア文学によって「文学に開眼した」。最初の長編評論は「ドストエフスキイの生活」(1939年)。実は英国の歴史家、E・H・カーの最初の著作「ドストエフスキー伝」(31年)を下敷きにしている。 中身は別物だ。歴史家は、帝政末期の天才作家を、ロシアの異文化衝突の歴史と革命の時代を象徴する典型として分析した。          

 一方批評家は、膨大な著作の傍ら、賭博や恋愛や政治に熱中した生活無能力者の混乱ぶりに、戦争へ向かう時代の知識人の運命を読み込んだフシがある。             

 月刊誌『文学界』に連載されたのは35〜37年の日中戦争前夜。治安維持法で共産・社会主義者が大量検挙され、思想転向者が続出。右も左も真ん中も戦争協力へ雪崩打つ世相である。連載後、小林は従軍記者に志願し、中国大陸各地と植民地朝鮮で戦争を見た。

 連載を本にする時、小林は『歴史について』という序文で『歴史は人類の巨大な恨みに似ている』と書く。カーも戦後『歴史とは何か』を論じる。戦争で歴史を見る目が作られる前に、2人がロシア文学に沈潜したのはなぜか。

 ドストエフスキーには矛盾と無邪気、慈愛と残忍、信仰と悪魔が同居する。2人が魔の作家を見いだすのは、第一次大戦で帝国が次々崩壊した『西洋の没落』の時代。自分の壊し方に失敗した西欧は、じきに次の大戦を始めた。                        

 西欧に憧れ西欧になれないロシアに、カーは『西欧から失われた振幅の大きい深甚な生の様式』を見たという。日本が昭和維新から世界最終戦争へ向かう時、小林は帝政打倒をめざす『人民の中へ』運動がテロへ傾斜していった19世紀のロシアの作家を読んだ。

 小林は63年、ドストエフスキーの墓参りがしたくてソ連を旅する。帰国後の講演で、日本に万葉集があるような地盤がロシアにはない、『19世紀ロシア文学はその苦悩の爆発。その激しさに世界が驚いた』と回想した。そして、破壊こそ創造の情熱という革命理論を『狂気ではない。知識人の現実的怒り、嘆きであり、これを最も早く、深く見抜いたのがドストエフスキーでした』と語った。

 ウクライナ侵攻2年目。なぜ始めたのか理解しなければ、戦争は終わらない。」                            

 以上。

 伊藤氏は小林秀雄が描く「ドストエフスキー」の中にロシア革命の歴史的精神的土壌を感じとっているようです。

 ロシア的創造の情熱をバネとしマルクス主義を適用して実現された1917年のロシアプロレタリア革命は、人類の歴史に結節点を刻みました。だが、1991年のスターリン主義ソ連邦の自己崩壊。この事件は人間の歴史にのりこえるべき問題を残しました。

 社会の危機を資本主義に戻ることによってのりきろうとしたロシアの支配者プーチンは西側帝国主義国家(NATO)との対立抗争をウクライナで繰り返し、2023年2月24日越境侵攻によって暴力的に打開することを試みました。プーチンと彼を支えるロシア労働者民衆の意識には欧米国家にたいする怒りがあります。戦争に反対する私はウクライナの労働者階級の怒りを受けとめ、他方でたとえ民族主義的に疎外されプーチンプロパガンダによって増幅されたものだとしても「ロシアの民衆の西側への怒り」を認識し考えることが必要ではないかと思います。

 ロシアのウクライナ侵攻後1年のいま、戦争を止めるためにはなぜロシアが戦争を始めたのかつかみとらなければならないと思います。

 欧米日政府のプロパガンダに流されてはならない。戦争への道を止めるのは私たち民衆一人ひとりの批判の眼だと思います。