[1806](寄稿)医療あれこれ(その115)ー1 料理の話、医療の話

ペンギンドクターより
その1

 皆様
 今朝は寒かったですね。6時過ぎ、我が家のエアコンが「外気温3℃」と語っていました。昨日の冬型の気圧配置で北西風が強かったのが、一転して風が止み、放射冷却が進んだせいでしょう。今日は橋の上から西を見ると白くなった富士山が見えました。例年より相当遅れています。富士山はいいですね。富士山が見えると秋も終わりに近づいたという気になります。
 さて本日は添付ファイルに「本の話その3」として磯田道史感染症の日本史』を送ります。私の個人的な文章も交えてちょっと気恥ずかしいところもありますが、ご勘弁ください。
 また転送するのは、中村祐輔氏の定期的に配信されている主張のひとつです。トランプ復活で温暖化対策の停滞・逆行を心配しています。さてどうでしょうか。 
 
 その前に、私の日常の一部となった料理の話をします。掃除は掃除機を動かすのがメインですから、それほど難しくありませんが、料理は大変です。工夫が要ります。頭を使います。失敗すれば、「命」にかかわります。そんな料理に挑戦を始めたのは、やはり「もしひとり暮らしになったら、一番困るのは料理だ」という認識からです。
 一般に夫婦二人暮らしとなると、先に死ぬのは男性です。半分笑い話ではありますが、「ダンナが死ぬと奥さんはますます元気になる、一方奥さんが先に死ぬとダンナはすぐにあとを追う」というのは真理です。一般外来をやっていると、それが真理であることを実感できました。ひとり暮らしの女性は外来に来て、私とおしゃべりして元気に帰っていきましたし、待合室で楽しそうに世間話を病人仲間としていました。一方、私の患者さんに男性の一人暮らしはほとんどいませんでした。その貴重な男性は、「食事がなかなか大変ですな。コンビニ弁当が多いかな」とボヤくのが常でしたが、いつの間にか来なくなってしまいました。多分入院したか施設に入ったか、亡くなったかしたのでしょう。この男女の差の原因は、地域とのつながりにおいて男性の方が疎遠で友人がいない……など様々あると思いますが、食生活も大きな比重を占めているはずです。もちろん、男性の平均寿命と女性のそれが6歳ほど違うのですから、当然ではあります。
 さて、私は1947年10月生まれ、女房は1950年1月生まれ、常識的には私が先にあの世へ行きますが、女房にいろいろ病気が見つかってくると、そうも言ってはいられなくなったのが、私の料理人人生の大きなきっかけでした。
 わが料理日誌によれば、2018年4月3日(火)が私の初めての料理作成日です。まずは、米の炊飯から始まっています。
 そういう形で、始まったのですが、その詳細は省略します。当初は女房の指示をノートに記録していくのが殆どでしたが、電子レンジでの料理や、圧力なべでの料理などのヴァリエーションが増えてくると、それに付属したレシピ本を見つつ、最初は夫婦二人で、その後私一人でというパターンが増えてきました。また女房も糖尿病予備軍の診断となって以降は、糖尿病対策のレシピ本を買ってきたので、レシピが明確になってきました。
 あれから6年余りが経過して、それなりにパターン化できるようになると、私の料理も「苦痛」ではなくなってきました。とにかく仕事というのはパターン化できるようになればしめたものです。マンネリという言葉はいい意味で捉えられませんが、マンネリと言えるぐらいになると、習熟したということでもあります。 
 
 話が飛びますが、医師の日常において、一般外来にマンネリはありません。すなわち、何年やってもいや何十年やっても、一般外来には、思いがけない珍しい疾患が舞い込みます。教科書でしか見たことのない患者が登場して、私のような小心者は、ビクビクしながら外来を担当していました。同じ疾患でもその表現型が異なるというわけです。外科医としても一般内科・総合内科と比べて、頻度は多くないものの、思いがけない手術となることはしばしばあります。何しろ、人間相手・生物相手ですからパターン化は極めて困難です。一方、健診業務は病人相手ではないので、「いろいろな人がいて、いろいろ病気があるな」と感じても、それに対する対応は「今度、こういうお医者さんに行きなさい」とアドバイスすればいいのですから、気楽なものです。むしろ受診者のお陰で私の知識が増えて嬉しくなるぐらいです。私は既往歴にいろいろな病気を経験している受診者を見つけると、あとでチェックするために番号をメモしておきます。一日一日と私の医療知識は増えていきます。・・・・・・そしてすぐに忘れるのは老人の「特権」です。・・・・・・。 

 さて話は料理です。10月29日(火)朝早くから30日(水)夜まで女房は、新潟の温泉に友人仲間6人で出かけて行きました。その留守中の私の食事については、大枠は指示してくれましたが、私なりに考えました。その経過を時系列にて述べます。
 29日(火)朝、私は家を出ると、駅まで20分歩いて、駅前からバスに乗って病院に到着、いつもの3日分の上部消化管のバリウム造影の写真の読影を開始、また前日の内視鏡写真の結果入力をして、健診受診者の診察を施行しました。本日分のレントゲン読影もすませて昼食は病院が有料で取り寄せた弁当を食べ、12:25のバスで駅へ。駅ビルの惣菜店で「肉じゃが」「コロッケ」を購入、またパンを二食分、明日の朝と昼の予定です。帰宅すると、すぐにパトロール、15分昼寝して裸になって身体を拭いて着替えをすませましたそして料理開始です。
 料理は、いつも週二回作っている、「キンピラ」と「小松菜の煮びたし」それぞれ二人分を電子レンジで作り、本日のメインディッシュとしては、電子レンジ料理の「酢豚」を二人分予定していたので、その準備をしました。合間にメールチェックし、「医療クイズ」「医療ネットワーク」のポイント稼ぎをして、夕食でした。ご飯は毎日炊くご飯の余ったのを冷凍してあるのでそれを使用。また25度の焼酎を80㏄ほど、録画していたお馴染みの番組を見て、午後8時前には就寝でした。自作の「酢豚」は大変うまかった。
 翌日は、水曜日で仕事はなく、朝から掃除の日です。食事についてまとめます。自作のキンピラ・小松菜煮びたしはそれぞれいい酒の肴でもありました。購入した「肉じゃが」は塩分が多すぎて失格でした。二人分でしたが、三回に分けて食べたものの、私がよく作る圧力なべ使用の「塩肉じゃが」の方がはるかに美味い、以後は買わないで自分で作ることにします。パンとコロッケは翌朝と昼に食べましたが、まあ普通です。翌日の夜も女房は意外に早く帰宅しましたが、彼女は大宮駅で買った弁当を食べ、私は自作の残りを食べました。この経験で、料理は一人で食べると確かに味気ないものの、料理そのものは、レシピ通りに作った自作の方が美味いうえに栄養学的にもいいという結論になりました。 
 以上より、もし私が永続する一人暮らしになったら、最近市販されているバランスの取れた日替わりの食事のお届けをメインにすえて、付加的に自作の料理を作るのもいいかなと思っています。というのは、私は今、週二回メインディッシュをいろいろ作っているのですが、いつも悩むのは、「さて次は何を作るかな」ということです。週二回で悩むのですから、毎日何を作るか悩む「主婦業」は大変だとつくづく思います。その主婦業に加えて、病院の検査業務の責任者をして、娘二人を育てていた我が家の「ママさん」の超人的な業務には頭が下がります。私の医師としての仕事も普通の2倍は働いたと言えますが、「ママさん」の仕事には敵わないと思う日々です。

つづく