ペンギンドクターより
その2
さて、転送するのはある歯科医からの主張です。彼の主張の是非はともかく、このような考え方もあることを知っておくことは多少役に立つでしょう。(編集者註:明日紹介します。)
「認知症(痴呆)」というのは数十年前から現在に至るまで、極めて注目されてきた「疾患」あるいは「状態」でした。したがって、様々な医療関係者が、自分の考え方を「認知症予防」と銘打って世間の注目を浴びさせ、名誉と金銭を得ようとする傾向がありました。今もそうです。製薬会社のエーザイは認知症治療、特にアルツハイマー病の薬剤開発に注力していますが、治療薬が認可されたという報道が出ると株価が一気に上昇するという現実は皆様もよくご存じと思います。
しかし、問題はそう簡単ではないと私は思っています。
ちょっと歴史を振り返ってみましょう。少し古い新書から引用します。
2004年12月、「痴呆」という用語が「認知症」に変更されることになった、という書き出しで始まる小沢勲『認知症とは何か』(岩波新書、2005年3月18日第1刷発行)という本があります。小沢勲氏は、1938年神奈川県に生まれる。1963年京都大学医学部卒業。京都府立洛南病院勤務。同病院副院長。老人保健施設「桃源の郷」施設長、種智院大学教授を経て現在種智院大学客員教授。数多くの認知症患者さんに直接対応されてきた医師のようです。
上記の本では、「認知症の定義」は次のようなものです。
①認知症の中核は知的機能の障害である。情・意の領域に障害が及ばないというわけではない。しかし、それはあくまで二次的に、あるいは随伴してみられるに過ぎない。
②後天的な障害、つまりいったん発達した知能が低下した病態を指す。
③脳の器質的障害、つまり脳のかたちに現れる損傷が基盤にあることを求めている。そのことは、CTやMRIなどの画像診断で生前から明らかにすることができる。
④障害が、ある期間持続していることを求めている。その期間を、ICD10(国際疾病分類10版)では「少なくとも6ヶ月以上」としている。
⑤暮らしに不都合がでるようになって、はじめて認知症と呼ぶ。
私のこの文章の目的は現在の第一線の認知症研究を紹介することではありません。最新研究の一部は知っていますが、自分の判断が可能な知識量ではありません。
私の母は、2002年に82歳でグループホームにて「くも膜下出血」にて死亡しました。75歳ぐらいから認知症の兆候が見られました。そして母のなくなる9か月前の2002年のA県医師会機関紙新年号に、私は母の「痴呆」について一文を載せました。すると、その後の1月末の医師会の新年会において二人の医師から「先生の文章を読みました。先生は勇気がありますね」という言葉を貰いました。つまり、自分の身内が「老人性痴呆」であることは恥ずべきことで隠しておくべきことだと思われていたのです。母を私は自分の病院併設の老人保健施設に入所させ、その後は痴呆老人のグループホームで面倒をみてもらったわけですが、「痴呆」が恥ずかしいことではなく、誰もがいずれはそうなり得る「疾患」あるいは「状態」であることは当然だと思っていましたので、医師会新聞に文章を載せることを躊躇はしませんでした。しかし、医師ですら「痴呆」は隠すべきことだという時代だったのですね。母が私の老人保健施設に入所した時、私は親戚や母の友人たちに連絡しました。母の友人たちは、「Sちゃんがこんなになるとは思わなかった。人一倍優秀でよく気がつく人だったのに」と言っていました。ボケるのはもともとボーとしている人だと思っている人が多かった時代ですから、治療する医師の方が、身内がボケることを人一倍恥だと思っていたのかもしれませんね。
ところが今はどうでしょうか。「痴呆」を「認知症」と言い換えてよかったと思います。みんな自分が認知症になり得ることを了解していますから。ただし政治家などの一部には自分だけは大丈夫だと思っている人もいるようですが……。しかし、一方で我々を中心とする老人大国日本ですから、「認知症予防……」と言っておけば、人を惹きつけ得るわけで、いかにも簡単に認知症予防が可能なような言説が登場しています。何が信用できるか迷ってしまいます。
そんなことを頭に入れて、以下の文章を読んでいただければと思います。