[1622]米核搭載艦の事前協議抜きの寄港を容認、60年安保改定前に

 
 19日の朝日新聞朝刊。一面トップで60年安保改定時に日本政府がアメリカの核搭載艦の日本寄港を事前協議なく認める密約を交わしていたという記事を載せました。日大の教授が2004年以降に入手して精査した文書といわれていますが、それを今新聞で公開することに意味があるのでしょう。
 4月の日米首脳会談で日米共同作戦の双務化を合意し軍事同盟関係は強化されました。次は対中国・ロシアの関係強化に対抗したところの日米同盟の核軍事同盟化を宣言したいのでしょう。

(註∶岸田首相とバイデン大統領が10日の日米首脳会談のあとに出した共同声明で、アメリカの対日防衛義務を示す日米安全保障条約5条に関して、日本の防衛力の抜本強化とアメリカとの連携強化への関与について明記した。第5条の趣旨説明に「日本の防衛力と役割を抜本的に強化し、同条約の下で米国との緊密な連携を強化することへの日本の揺るぎないコミットメントを改めて確認した」の文言を追加しました。

 岸田首相は現情勢ではこれしかないという心境になっていると思われます。自衛隊に敵基地攻撃能力をつくりそれができる武器を輸入、生産し共同訓練に勤しむことを政権の任務と心得ています。台湾危機時には自衛隊が前線で戦うために南西諸島にミサイル基地を急遽配備し戦争に備えています。アメリカの軍事行動の脇固めをすることが最良の道と思っています。

 太平洋戦争の愚かな戦時内閣指導者の「これしかない」という心境と違わないと思います。それを実行するとどうなるか、背後に屍を残すことになるのです。

資料

日米安全保障条約第五条

第五条 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。)

19日朝日新聞より

核搭載米艦、寄港容認の密約経緯 60年安保改定時、米公文書に明記 
編集委員・藤田直央 2024/5/18 21:30

  1960年の日米安全保障条約改定をめぐる交渉で、核兵器を積んだ米軍艦の日本寄港を事前協議なく認める密約を両政府が交わしていたことを示す米公文書が見つかった。
 この密約を日本政府は認めていないが、さらなる検証が必要なことを示す発見だ。 

 文書は1958~60年の条約改定交渉に関する二十数点。信夫(しのぶ)隆司・日本大学名誉教授(日米外交史)が、米国の国立公文書館NPOの国家安全保障公文書館NSA)で2004年以降に入手し、精査した。 
 岸信介首相は1958年2月、領海を含め日本に核兵器を持ち込ませないと国会で答弁したが、米政府は核搭載艦が自由に寄港できる環境を維持しようとした。
  一連の米公文書によると米国務省は58年9月、マッカーサー駐日大使に、条約改定で新たに設ける事前協議制度について訓令を出した。核兵器の日本領土への配置は事前協議の対象とする一方で、「核搭載艦の日本の領海、港への立ち入りは過去同様に続き、事前協議の対象にならないとの確認を求める」よう指示する内容だった。

 翌月、大使は岸首相同席の場で藤山愛一郎外相と交渉を開始。その場で訓令通りに伝えた、と国務省に報告した。

以上

「······という米公文書が見つかった」、「······が明らかになった」という記事には注意しなければなりません。政府があることを既成事実化したいときに、メディアなどにリークした情報が特ダネとして新聞に掲載されます。今回は事前協議なしのアメリカ核搭載艦の日本寄港ですが、私は核兵器の持ち込みが暴露される前ぶれだと感じます。

警戒を!