[992]言葉以前の感情表現


 俳優·山崎努の「私の履歴書」(知床旅情)のつづきです。その18回目で彼が芝居『建築家とアッシリア皇帝』(作アラバール)にとりくんだ時のお話です。原始人「建築家」が1人で棲んでいる孤島に飛行機が墜落、生存者は文明人『アッシリア皇帝』のみで島での2人きりの生活が描かれているものです。
 それは山崎によれば「聖と俗、愛と憎悪。猥雑でユーモラス。人間とその関係、そして演劇演技の原形を追求したパワフルな作品」。この作品を演じるにあたって山崎は言います。「僕のやりたかったのはただ一つ、整頓され練り上げられた演技以前にある『もやもや』した気持を表現したいということ。」そして「言葉にする以前のもやもやした感情、あるいは突然わきあがってくる情動というものが人にはある。」
 その「もやもや」は「できたてほやほやだから、まだ頭脳の検閲が済んでいない」といいます。
 なるほど、このとき作品で描かれたシナリオを認識した瞬間の演者の頭の中は主客未分の星雲状態です。湧き上がる感情が交錯する「混沌たる表象」です。演者が作品で描写されたものを反映した瞬間はこの状態です。演者がこのときの感情の動きを言葉と体で表現できれば観る人は説明以前のなにかを感じることができると思います。
 確かにシナリオで描かれた現実を概念的に把握して再構成するとそれは言葉として整理され止まった世界となります。そうなる前の演者の中のもやもやした混沌を声と体で表出するということか。
 山崎努の映画は何十年もまえに「天国と地獄」を観ただけです。犯人役の山崎さんのリアルな演技がモノクロ映像で迫ったことが想い起こされます。
 俳優の山崎は、こういう演劇論にたどり着く過程のどこかであの映画を演じたのでしょう。記憶に残るわけだ。