[1194]「今日からマスクしなくていい」と言うおかしさ

 

 13日からマスクをするもしないも個人の判断でいいことになりました。 

 16日の天声人語は、現代歌人協会のコロナ禍歌集でこの3年をふりかえっています。一部を抜粋して紹介します。

▼〈マスクしてレジを待ちをり足型のところに立てと言われて立ちて〉小橋芙沙世。ソーシャルディスタンスに神経をとがらせ、咳するする人に険しい視線を飛ばす。〈悪人は誅殺せよと激しゆく覆面(マスク)の人はわが内にいる〉谷岡亜紀▼

 

 3年間「マスク」、「ソーシャルディスタンス」、といった概念自体が威力を持ち、人びとはいつも監視されている気分に慣らされて行動を自主規制しました。そうしない人には無言の非難のオーラが投げかけられました。

 しかし「個人の判断」に任せるという政治的お達しが出された後でも、マスクをするということがまともな社会人としての証左であるかのような風潮が人びとの意識に根をはったように残っています。私はすいている電車に乗ったときにマスクをとっています。そういうとき周りからからなんとなく威圧感を感じます。マスクをした方が後ろめたさを感じることもなく安心、無難ということです。

 新型コロナ感染症にたいする政府の医療対策の不備の裏側で、メディアを動員して民衆を「自粛」させるための意識操作がさまざまに行われました。マスクは社会人としての証票になったといえます。

 コロナウィルスは変異して存在しつづけヒトに感染し高齢者に生命の危機をもたらしています。これからの新手の感染症を想定して、たとえば検査治療を十分に行える・儲けを度外視した感染症専門施設の開設などしっかりした対策を打つことなく、(経済のために)上から「もういいよ」と言われてもはい、わかりましたとは言えません。