[1229](寄稿)医療あれこれ(その81)ー1「医療の安全」神話」

ペンギンドクターより
その1
皆様
 しばらく夏日が続いていましたが、今日は日ざしが陰ると肌寒さを感じます。いかがお暮しでしょうか。
 5月25日(木)に私は6回目の新型コロナウイルスワクチンを受けます。重症化予防における効果は明らかですので、接種券が来てすぐ予約しました。さらに7回目が年内に接種となるはずです。前回は水曜日に接種し、翌日の仕事が副反応で辛かったので、今回は木曜日の午前の仕事の後に接種としました。翌日の散歩が可能かどうか気になるところです。
 また連休明けにはCOVID‐19が5類になります。いくつかは移行措置がありますので、一気に大きな変化はありません。
 私の勤務する検診センターでも、二週間前から受診者および医療従事者の体温測定が中止となりました。ただしマスクは続けています。個人的にはマスクで無精ひげが隠せるので助かっています。
 
 本日は、「医療事故」あるいは「医療ミス」を話題にしたいと思います。
 まず最初に「添付ファイル」をお読みください。2004年の古い話になりますが……。 

 

「医療の安全」神話

 

 医師になって30年余り、私は多くの「医療事故」を犯してきた。

 大学を卒業し、ただちにT病院に就職して、私の外科医としての修練が始まった。

 一年目の私が犯した「医療事故」は、小児のソケイヘルニアであった。ヘルニア囊と思ってあけた袋が、膀胱の一部であった。それに気づいた私の目の前は本当に真っ暗になり、足元が深く沈んでいった。先輩は外科部長を呼び、続いて泌尿器科の部長がゆったりと現われて、「大丈夫、カットグットで縫っとけば、じきに治るよ。膀胱の大きさだって、じきに戻るから」

 私は、その患者さんの名前を今も覚えている。あの経験は、手術のポイントがどこにあるのかという意味で、以後のヘルニア手術に大きな影響を与え、その後、かかわった数千の他の手術にも有形無形の示唆を与えた。勿論、その後も、縫合不全などにより、失った人々は少なくはないが、どこに問題点があったのか、追求する姿勢は、今も続けている。

 内科的診断についても、多くの「医療事故」を経験している。

 ある民間病院で、22歳の女性が入院していた。夜、当直に訪れた私に、引継ぎの当直医は、「アッペを入院させといたから、見といて」と帰っていった。私は、女性の腹部を触診し、経過観察とした。そしてそのままベッドに入った。翌朝、すっきり目覚めた私は、その女性を診察した。患者さんの意識は朦朧として身体はかなり冷たくなっていた。明らかに重症であった。私の頭の中をものすごい勢いで医学知識が駆け回り出した。結論は、糖尿病性昏睡、腹部初見は、糖尿病による消化器症状であった。ブドウ糖入りの輸液をしていたせいもあり、血糖値は1000をこえていた。その女性は今まで糖尿病といわれたことはなかった。患者さんは、際どいところで回復したが、付き添っていた母親には、もうダメだと思ったと、後で言われた。

 さらに、病理組織診断がある。西ドイツ留学から帰って、私はある民間病院の検査室立ち上げに関わった。そして無謀にも病理検査室を自前で立ち上げた。病理学は数年たずさわっていたが、自分ひとりで診断したことはなかった。

 初めて病理診断レポートを書いた時、胃の生検組織をみると、印環細胞癌が認められたが、私にはそう記載する自信がなかった。そこで、内視鏡検査をした私の信頼する同級生(院長と私とで彼をその病院に引っ張ってきていた)に電話し、「胃潰瘍瘢痕という診断だけど、癌細胞があるんだ。いいよね」と聞いて、同意を得たので、私は胃癌の診断をつけた。

 そうして始まった病理組織診断のレポートは3万件をこえ、数年前、某大学教授に引き継いだが、そのなかで、迷う診断については、数多くのプロの病理医にみてもらった。しかし、プロの間でも意見はしばしば分かれた。

 3万件のレポートのなかに、いくつの誤診があったかは判らない。明らかになったのは、一つ。結果的に、6年間、経過をみてしまった胃癌であった。診断を確定させ手術した時も、smの早期がんであったのは、幸運以外の何ものでもなかった。

 医療事故には、患者取り違えのような明らかなミスと、前述したように、私が自ら経験した医療技術の未熟さ(人は最初からプロではない)や、救急医療に伴うもの、さらには形態診断の本来もつ不確実性に伴う「医療事故」がある。

 前者もそうだが、後者の、医療が本来持つ不確実性に伴う「医療事故」や、全ての医師が必ず経験する“経験の不足”に起因する「医療事故」は、その現実を国民の目の前に示すしかない。

 私は、後者のような「医療事故」がなぜ、業務上過失致死、致傷として刑事事件の対象にされるのか、理解できない。また、取り違えのような明らかなミスも、犯人をあげてそれに責任をとらせて終わろうとしていることに納得がいかない。

 どうして、日本医師会や日本医学会は総力をあげて“不可抗力”である「医療事故」の現状――具体的には、全ての医療機関での縫合不全や術中術後の出血などの合併症の実態など――を集積し、国民の前に明らかにしないのかと思う。個々の病院や個人が、個別に、ミスを認めてマスコミに謝罪したり、あるいはミスを否定すればいいような問題ではない。

 我々医療者側の公的機関、日本医師会や日本医学会が、医療の現実を、国民の前に明らかにするべきである。マスコミも国民も必ず判ってくれるはずである。

 今の日本の医療において、最も重要な課題は、「医療の安全」であり、それを保障する「卒前、卒後臨床研修」である。そのためにまず立ち上がるのは、医療者自身であろう。厚生労働省ではない。

 「医療の安全」は、現状では「神話」に過ぎないことを、国民の前に明らかにして、医療者は、国民とともにその実現に近づく為に、永遠に努力していくべきである。

平成16(2004)年1月5日 A医新聞新年号

 

 これは、私が県医師会の機関紙である週刊新聞の新年号に載せた主張です。6年間一貫して担当した「医事紛争」の経験からたどり着いた已むに已まれぬ主張ですが、実際の読者である県内の開業医の先生方からの反響は特にありませんでした。私の耳に入ってこなかっただけかもしれません。大学の勤務医の先生からは、噂ですが、「一般紙」に投稿すればいいのにという話がありました。

つづく