[1440]「AIと私たち」についてーその2 概念と現実

承前

――つまり、情報処理の仕方が人間とはまったく違う、と。

大澤真幸氏「ええ。それに加えて『記号接地(シンボルグラウンディング)問題』があります。人間は記号、つまり言葉を身体的な感覚によって実世界と結びつけて理解する。しかし、身体を持たないAIは、こうした外部との接地がない。チャットGPTのような大規模言語モデルは『その単語が世界の何に対応しているのか』を理解しているのではなく、次の単語を確率的に計算しているだけです。それでもコミュニケーションが成り立つのは驚きですが、私たちの理解の仕方とはまるで違います」

 私の意見∶大澤氏は「人間は記号、つまり言葉を身体的な感覚によって実世界と結びつけて理解する。」といいます。これは重要です。人間は意識の中の概念(言葉)を特定の現実に妥当させるという意識の活動を無意識に行います。人間が物質的現実を意識において特定の言葉で概念規定するってもいいでしょう。したがってある言葉は特定の現実と相関関係をもっています。

 AIの言葉はそれに対応する現実にあたるものがありません。単なる記号が確率的に結びつけられて文のようなものをアウトプットするのです。

以上私の意見

 インタビューはつづきます。

「腹の底から納得する」ことができる人間

――人の理解とは何なのか、という疑問が浮かびます。

大澤「私たちには、ああ、そうなんだ、と思う瞬間があります。ピンとくるとか、腹に落ちるといった感覚です。昔、評論家の故・吉本隆明さんが海で遭難しかけた後、『老いるとはどんなことか、初めて分かりました』と語っていたのをおぼえています。老化で体力が衰えるということは誰でも頭で知っているわけですが、吉本さんは腹の底から納得する感覚を抱いたのでしょう。生成AIを利用しても、この理解の仕方はできません」

 私の意見∶AI本体は物質ですが意識のある体ではありません。ですから体調が良い悪いという意識はありません。インプットされたデータを組み合わせ統合する機能が損なわれた場合には機械的電気的に故障のサインを出すだけです。部品が摩耗した場合に壊れる前に警報を出すようにプログラミングされたAIはそれを検知したときに警報を出しますが、老いの感覚を身体で知ることはできません。

――人は身体を通じて理解するということですか。分かるような、分からないような。

 大澤「言い換えれば、世界を外側から見るか、内側から経験するか、という違いです。世界を外から眺めていたとしたら、いろんなことが起きているけど自分には関係ない、と思うでしょう。それに対して、現に中にいる私たちは、広い意味で世界とインタラクション、相互作用をしている。この世界に責任を持って関与しているのです」

――では、AIは人の代わりには決してなれない、と考えていいのでしょうか。

 大澤「そこが難しいところです。これまで、AIが進化しても、人間にしかできない仕事が残されるだろうと言われてきました。創造性が必要な仕事、社交性が求められるやりとり、マニュアル化できない例外的な出来事への対処などです。実は、そんな『人間に残される』とされてきた仕事こそ、生成AIは得意としているのです」

生成AIの普及で、人の仕事がつまらなくなる?

 ――どういうことですか?

 大澤「私たちが創造性が高いと考えているような仕事は、実はさほど独創的ではありません。普通の人の創造的なアイデア程度なら、生成AIの方がはるかに気の利いた答えを返します。たいていの人間の発想は過去に誰かが思いついており、膨大なネット情報を検索して探し出してくるチャットGPTは、その程度のクリエーティブな仕事なら簡単にできてしまう」

 私の意見∶わかります。人が論理的に説明できる仕事は複雑であってもAIにもできるでしょう。けれども身体的感情をAIに求めることはできません。例えばある出来事にたいする人間の腹の底からの怒り、悲しみ、喜びを感覚することはAIにはできません。

 人はある刺激にたいしてこういう感情を持つというデータをインプットしそのデータに対応する音声を仕込めば感情表現に見える行動をとるかもしれません。しかしそれはあくまでもスイッチを入れれば電気がつくというメカニズムと同じです。

つづく