[283](投稿)不安なマイナンバーカード

f:id:new-corona-kiki:20201208035541j:plain
菅首相の肝いりで、政府が行政機関のデジタル化を急いでいる。先週には、司令塔として来年9月に設立予定の「デジタル庁」に、マイナンバー制度全般の企画立案など七つの分野を所管させる案を公表した。
政府がデジタル化の要に位置づけるのが、マイナンバーカードの普及である。いまは2割にとどまる普及率を、2022年度末にほぼ100%に引き上げる目標に向け、利便性の向上策を続々と打ち出している。
来年3月からマイナンバーカードを健康保険証代わりに使えるようにするのに続き、運転免許証との一体化も進める方針だ。免許更新時の手続きや講習を、オンライン化できるという。22年度には、カードの機能をスマホに搭載できるようにすることも検討している。
コロナ禍では、一律10万円の現金給付で自治体の現場が混乱するなど、デジタル化の遅れが鮮明になった。オンラインでの手続きに不可欠な本人確認の手段として、マイナンバーカードは有力な選択肢である。政府が普及を急ぐのもそのためだ。
ただ、国民には、気軽にカードを持ち歩いたり使ったりすることに、抵抗感が強いことも忘れてはならない。
カードの裏面には一生使う12けたの番号が記載されている。この番号を「むやみに人に教えてはならない」と説明してきたのは、政府自身である。カードを人に見せる機会を増やすのであれば、番号の記載をやめるといった不安を和らげる措置セットで考えるべきだ。
自民党は、保険証を将来的に廃止することも提案しているが、デジタルの知識が乏しい高齢者や、様々な機能が集約されたカードを紛失するリスクを気にする人もいる。マイナンバーへの銀行口座のひもづけについて、政府は検討していた義務化を見送り、本人の任意で行う方針にした。カード取得も個人の選択に委ねるべきだ。強要してはならない。
カードを保険証や免許証と一体化すれば、病気や交通違反歴などの情報が行政機関で共有される懸念も生じる。実施するならば、情報が共有できない仕組みにしたうえで、国民にわかりやすく説明する必要がある。
個人情報を一つの番号でひもづけるマイナンバーのシステムについて、政府は万全のセキュリティー対策を強調してきた。だが、会計検査院の1月の検査報告では、一部の自治体が、国の求める対策を怠っていたことが判明した。万が一にも対策に遺漏があってはならない。
マイナンバー制度は、政府への国民の信頼が大前提だ。そのことを、常に胸に刻むべきだ。
                   
                       2020年11月30日 朝日新聞 デジタル版より引用しました。

※※※ 桂野歌麿のコメント 

 上記の記事を読み、最近,「アマゾン」等の「警告」が頻回に送られてきて困っています。パソコンの初心者なので「警告」の内容が正しいのかどうかが分かりません。「引っかける?」ことを狙っているのか「ハッカー」というものなのかと懸念を持ってしまい、無視したり、消去したりしてしまいます。これで良いのかどうかも分かりませんが。
 だから、政府がデジタル庁を作って、「健康保険や免許証などとマイナンバー…」などがひとまとめにされるという記事を読んで、怖くなりました。
 「ハッカー」が世界中に掃いて捨てるほどいて、暇に任せて荒稼ぎする魂胆ではないかと疑ってしまいます。
 また政府が「国民・人民労働者の管理・操作をしやすくするためのものではないか」と疑いたくなります。
 春に給付金が出ましたが、郵便などで十二分にできました。できることをこれからも続行すればよいと思います。郵便局の葉書や切手の売り上げが下がり、郵便局に勤務している知人の息子は給与が低くて生活に困ると言っています。
 昔ながらに、葉書を書いたり、手紙で「恋文」などをかくのも「おつなもの」ではないでしょうか?葉書や、便せんに向かって書くにも準備が必要です。お手本や、読書も必要です。これもよい文化だと思います。
 日本の文化も背負って、英語も使う国に行って、日本の歴史や文化や書物・短歌・絵画なども知らない方が「ばかにされる」と聞きました。英語ができても感心されるのは束の間のことです。
 マイナンバーを使うと、「国民を支配するのに便利だ」と思っているのは、菅官邸と配下の従順な官僚だけではないのでしょうか?
 かつて、漱石や鴎外は漢文の素養が大いに役立って、漱石は英文学を、鴎外は医学校に入るためにドイツ語を勉強したそうですが、漱石は小説や俳句の創作をし、鴎外は小説を書き和歌を詠みました。その素養は、漢文が土台となっていたようです。江戸から明治の初めの移行期の文化をどん欲に吸収したのでしょう。漱石は、落語にも興味を持ち、後の口語体に近い小説に生かされているのではないかと思います。(漱石の文体には、親友の正岡子規の影響もあったようですが)。

「デジタル」とはなんぞやも分からない小生などは困惑するとともに、不気味な警告や電脳用語が分からず、戸惑いと、「ハッカー」等が怖くなるだけです。デジタル庁など、2~3百年あとに、自在に操れる人々が、ハッカーにも打ち勝てるほどの時代になってからでも遅くないと思います。
 マイナンバーなどという背番号は、コロナの最中の時代には、不要不急のものではないでしょうか?保険証やその他のカードも見当たらなくなるのは、「いつものこと」ですし、探すのも大儀なことで「困惑しています」が、根気よく探しています。すると、ふいに「こんなところに…いつ置いたのだろうと思うような」結末を迎えます。
 隣のおじさんも、「最近、鍵をなくしたり、病院に行こうとして保険証を探しても見当たらないんだよね。思いつくところは全部探したんだが…ボケたかな…いつも同じところに置いているんだけどね~~」と言ってました。「眼鏡がない、帽子がない…と思っていたら、眼鏡はもうかけていたし、帽子も被っていながら探すんだよね~~」とも言っていましたね~~。私も似たようなもので、そういう私たちに「新しい負担」を、かけて欲しくないと思います。

 「いろいろなことに使える」・「便利そうに見える」たった1枚の「マイナンバーカード」を落としたり、無くしたりすると、多くの情報が集積されているので、一時に、多くの情報が盗まれる危険性を感じるのは、小生だけの「杞憂(きゆう)」でしょうか?

 読者の皆様はどのように思われますか?