[1375](寄稿)医療あれこれ(その93)ー2

 ペンギンドクターより
 その2
 
本の話を少し。
 新刊書や書庫にある硬い本のあいまに、休憩の意味も込めて、以前購入していた池波正太郎藤沢周平松本清張などの短篇集やエッセイを読みます。読書冊数のノルマをカバーするためでもあります。昔読んだので読書記録は作っていませんから。そういうエッセイのひとつですが、最近、須賀敦子コレクション『ミラノ霧の風景』などを再読しました。須賀敦子(1929-1998)。作家、聖心女子大学卒業。元々英文科を卒業していますが、パリに留学した後、イタリアに魅力を感じて、ついにはイタリア人と結婚しています。夫は41歳で急死したのですが、彼と一緒に勤務したミラノの書店の仲間(中心はカトリック左派の人びと)のことを書いた『コルシア書店の仲間たち』『トリエステの坂道』という本もあります。どれもその時代を彷彿とさせる見事なエッセイです。
 彼女は1998年に亡くなっていますが、病名は「卵巣がん」です。国立国際医療センターでなくなっています。
 この卵巣がんは今もなお根治がなかなか難しいがんの一つです。私が医者になった頃には、卵巣がんとなると全て5年以内に全滅という感じでした。その後、シスプラチン(副作用で強い吐き気あり)という抗がん剤の出現とともに、5年生存が増えてきました。私自身も偶然この卵巣がんを診断したことがあります。今は別の抗がん剤の登場に加えて、副作用の軽減なども可能になっており、根治あるいは十分な延命も望まれるようです。
 
 「卵巣がん」と言えば、もう一人、米原万里(1950-2006)がいます。ロシア語会議通訳、エッセイスト。60-64年を在プラハソビエト学校で学ぶ。東京外国語大学ロシア語科卒業。東京大学大学院露語露文学修士課程修了。彼女のエッセイも秀逸です。彼女は日本共産党米原昶幹部会員の娘でそれでプラハに在住していたわけです。エッセイの内容は省略します。もう少し長生きしてほしかった女性です。日本政府とソ連政府との会議でも余人に代えがたい見事な通訳をした人のようです。エッセイは極めて痛快で、時に大笑いさせてくれます。
 
米原万里さんは、卵巣がんになって、例の「がんもどき理論」「がん放置論」とやらを声高に述べた近藤誠医師を受診しています。その状況をエッセイで述べていますが、「何の参考にもならなかった」と否定的に述べています。その後、彼女は辛いがん治療を戦って、結局は亡くなりました。
 
 私は医者ですので、いろいろな職業の人びとが亡くなると、どんな病気で亡くなったかが、凄く気になります。昔の人の場合でも死因を知ると、今ならどうするか、どうなっているだろうかと自問します。まして、愛読した作家の場合は、余計に「勿体ない、なぜ早く見つけなかったのだろうか」などと憤慨してしまいます。がん検診していればいいのに……などと思うこともあります。ただし、「がん検診」が本当に有効かどうかは、議論のあるところです。早く見つければ治癒するというガンばかりではないからです。しかし、原因が分かってきているガンもあるので、統計上はともかく個人個人は遺伝子検査まで含めて、罹患しそうなガンに目星をつけてチェックすることは有効なのではないだろうか、と考えています。特に一度ガンになって治癒した人は次のガンになる可能性が高いので、ありふれたガンならチェックする意味はあると思うのですが……。 
 
 先日、私は90日分貰っていた高血圧の薬が無くなったので、クリニックを受診しました。その時、3か月ぶりの採血で糖尿病の指標であるHbA1cを採血してもらいました。正常値は6.2%未満ですが、3カ月前は6.5%でした。その後女房と一緒に食事療法に努力して、二人とも体重を2キログラム以上減らしました。野菜を増やし糖分を減らしたのです。そのおかげで、今回のHbA1cは6.0%でした。十分食事療法の効果はあったと言えます。
 検診の仕事では、直接診断・治療することはありませんが、受診者が過去にどういう病気になったかをナースが問診してくれますので、私はその番号をチェックしておき、後日余裕のある時に、電子カルテでその経過を見ます。診察時に異常所見のある人は少ないのですが、異常があった場合は、簡単に状況を聞きます。そのようにして、私の知識と経験を増やしていくように努めています。医師のはしくれである限り、一生勉強ですし、知らないことを知るというのは、いつになっても嬉しいものです。
 雑談になってしまうので、この辺でやめますが、私はまもなく76歳の老人の医者として、今の検診業務に大変満足しています。60歳で常勤医をやめたのも正解でしたし、開業医さんのお手伝いに一般外来をして、それから検診業務に移ったのも大正解でした。年と共に知力・体力が衰えるという自分の限界を意識していて、予測していたように衰え、それに合わせて仕事を変化していったのが良かったのです。肩書などは無意味です。そして、医療に従事するという意味では、大変小さな末端の業務ですが、多少の役には立っているようですから。しかも新たな電子カルテの導入で、業務が楽しくなっていることも事実です。有難いことです。では。
つづく