ペンギンドクターより
その1
皆様
季節外れの温かさと思ったら、今日は西高東低の強い冬型となり、北西風が吹き荒れています。朝のうちに防犯パトロールをすませて帰宅しました。年をとると寒がりになります。最近は、耳が遠くなりました。特に雑音が混じった場合、聴き取れなくなります。検診の仕事では、とくに不自由は感じませんが、テレビの録画を見る場合や台所仕事をしつつ女房に話しかけられるとダメです。聴き取れなくても聴き直すのが面倒で頓珍漢な返事を返すと、「認知症?」かと疑われることになります。仕方ないですね。
11月に大学のクラス会があったのですが、私は参加しませんでした。
今回は16人参加の予定だったようですが、結局13人になってしまいました。私は腰痛とアルコール控えめという状態なので不参加としましたが、運営の仕方などで幹事から質問を受けていたので、終了後、会の報告が来ました。それによると、急遽欠席となった3人の理由は、①コロナ感染後に不整脈が頻発してきたので、欠席(彼は心房細動でカテーテルアブレーションをした既往あり)。②10月に手術して回復途上(何の手術かは不明)。③転倒して頭をぶつけたので欠席(大事には至らなかったが、彼は50代でパーキンソン病の既往あり。ただし医療の進歩のおかげで種々の治療にて小康状態である)。
その他、参加した連中の近況が記録された報告でしたが、その中に25年前の腎臓癌の再発で闘病生活を送っている同級生の話があったので、気になってはいたものの、「まだ元気なんだな!」と嬉しくなって、彼単独ではなく、幹事および皆様へと、私の近況をメールしました。すると、その腎臓癌再発のS君から私個人にメールが舞い込んできました。
それによれば、以下のような状況でした。彼自身は喘息などアレルギーが専門で臨床的には呼吸器内科の患者さんを中心に診療しています。私との関係は、学生時代ですが、親密な麻雀友達でした。卒業後しばらく離れていましたが、いつだったか彼がA大学健診センター教授だったころに友人関係が復活し、B市のC病院ではパートで呼吸器外来を頼んでいました……。
さて、腎臓癌ですが、50歳の頃に、偶然発見され片方の腎臓を摘出していました。10年が過ぎ、治癒と考えられていたのですが、珍しいことに手術後20年で再発したのです。
ただし、20年後再発というのは乳がん・腎がんには時々あります。私は外科医ですから、腎臓癌の経験は実際にはありません。一方、乳癌ではあります。その女性は私の医師会役員の頃の事務の女性の母上でした。原発巣不明の腹腔内の癌で手術されたのですが、大学病院でも当初はどこから来たガンか分からず、開腹手術して、がんの一部を検査して20年前のガンだとわかったという経緯でした。手術前に私に聞いてもらえれば、「20年前の乳がんの再発!」と教えてあげられたと思いました。私の患者さんでも10年以上たって再発は結構ありますし、文献上も、乳癌では忘れた頃に再発というのがそれほど稀ではないからです。ただし、この事務員の母上はすぐに亡くなりました。分子標的薬や免疫チェックポイント阻害薬などはまだ一般的に使われていなかった時代でした。
S君の腎臓癌ですが、再発が分かったのは、もう5年ほど前になります。私がB市のC病院の院長をやめたのはもう16年前になりますが、その後もS君とは家族ぐるみで断続的に付き合いがありました。だから、再発の件も聞いていました。4年ほど前のコロナ直前の私が幹事のクラス会に彼も来て、みんなの前で再発で抗がん剤治療していると述べていました。ただ、残された腎臓は片方だけであり、抗がん剤治療には副作用がありますから、「なかなか大変だな」と私は危惧していました……。
先日の彼のメールですが、現在免疫チェックポイント阻害薬(オプジーボ)(発見者の本庶博士はノーベル賞受賞)を月に一回投与している。ただし、腎機能の障害があり、クレアチニンが4前後で、人工透析一歩手前の状態である。全身倦怠感が強く、運動などは出来ないので、家の中でごろごろしている状況。しかし週に一度、以前常勤で勤務していた民間病院(同級生が外科医で元院長)で元院長とともに、呼吸器疾患の患者さんのアドバイスなどをして仕事中とのことでした。あと5年もてばいいなと思っているとのことでした。
女房にS君のメールのことを話すと物凄く喜んでいました。彼の奥さんは悪性リンパ腫の経験者であり、二人には娘が一人いて、医師になり、結婚して子どももいます。S君夫婦は私の那須の家にも来ましたし、昔、私たち夫婦を根岸だったか料亭「笹乃雪」にてご馳走してくれたことがあります。何とかあと5年生きて、男の平均寿命まで頑張ってほしいと思っています。
つづく