[1502]珠洲原発があったら悲惨だった

 珠洲原発の建設計画は現地反対運動によって2003年に凍結されました。私は1日の地震があった時に、もしも原発が稼働していたら福島第一原発の事故の被害を超えるような大変なことになっただろうと思いました。地震津波で設備が破損し燃料棒を冷却するための電源が停止し、メルトダウンの可能性がありました。道路が壊れ、原子炉を冷却するための消防車などの車両が通行不能です。住民は家が壊れ、飛散した放射能による被曝を避けることもできず避難することもできません。

 政府も北陸電力福島第一原発事故の対処の難しさを経験的に知っているにもかかわらず何くわぬ顔をしています。変圧器が壊れ一部の電原が失われた志賀原発は復旧に半年かかると言われています。

 昨日の東京新聞珠洲原発建設反対運動を進めた方の声が紹介されています。
 
珠洲原発があったら…もっと悲惨だった」 能登半島地震で孤立した集落、原発反対を訴えた僧侶の実感
2024年1月22日 
 能登半島地震は22日で発生から3週間になる。被災地では道路が寸断され、多くの集落が孤立した。かつて「珠洲原発」の予定地だった石川県珠洲市高屋町も孤立。住民が市外に逃れるのに10日余りを要した。計画は住民の反対を受けて2003年に凍結されたが、「珠洲原発があったら、避難どころじゃなかった」。反対運動の中心的存在だった地元の僧侶・塚本真如(まこと)さん(78)が、避難も屋内退避もできない状況を振り返った。(岸本拓也)
地震で崩れた塚本真如さん宅の居間部分=塚本さん提供

 珠洲原発計画 関西と中部、北陸の電力3社が1976年に構想を発表した。関電が高屋地区に、中部電が寺家(じけ)地区にそれぞれ100万キロワット級の大型原発を建てる計画だったが、住民らが反対運動を展開。電力需要の伸び悩みもあり、2003年に凍結された。

◆仏様は無事だったが、集落につながる道はすべて土砂崩れ
 高屋地区で代々続く円龍寺(真宗大谷派)の20代目住職である塚本さんは1日午後4時すぎ、自宅の居間で最初の揺れを感じた。本尊の様子が気になり、居間とつながる本堂へ向かった。「仏様は無事やな」。ホッとした直後に本震が起きた。すぐ戻ると、居間が崩れていた。下敷きになった妻の詠子さんを助け出せたが、足には大けがを負っていた。
 車庫もつぶれて車が出せない。本堂も傾いていた。「ここにおったら危ない」。2人で家を出た。
 100人ほどが暮らす高屋地区は平地が少なく、住宅は海岸線と急斜面の山との間に並ぶ。集落に通じる道は3方向あるが、すべて土砂崩れで断絶。海岸線は数メートル隆起し、船も出入りできない状況になった。
 大半の家屋は倒壊。無事な家や、避難所となるはずの集会所は土砂崩れに巻き込まれる恐れがあり、住民の多くは車中泊を選び、約20台の車列ができた。塚本さんも知人の小型車の中で、大人4人で過ごした。
◆電気もガスも、電話もネットもダメ
 住民で食料を分け合った。水は地下水を確保したが、「電気やガスはダメ、ガソリンは足りない。電話もネットもほぼ使えない。情報が何もなかった」。割れた瓦で港に「SOS」を作る住民もいた。
 3日になってドクターヘリが到着。詠子さんと、妊婦が病院へと運ばれたが、塚本さんらの車中泊は続く。7日に山側の道が復旧し、高屋地区は石川県の孤立集落リストから外れた。しかし、実際に通れたのは、車高の高い自衛隊車両のみ。10日に自衛隊が一般車も通れるよう道を整備し、11日には大半の住民が避難を決意。塚本さんも知人の車で金沢市内に向かい、2次避難先に指定された同県加賀市のホテルに着いた時には12日になっていた。
高屋地区での孤立生活を振り返る塚本真如さん=石川県加賀市

 もし高屋に原発が造られていたらー。塚本さんは揺るぎない口調で語った。「もっと悲惨な状況になっていたやろうな、としか言いようがない。止めて本当に良かった」
◆地盤隆起で配管損傷→原発冷却不能の可能性も
 原発の避難計画に詳しい環境経済研究所の上岡直見代表は「今回の地震珠洲原発予定地は地盤が数メートル隆起した。原発があったら、配管などが壊れて冷却が全くできず大事故となり、逃げられない住民は福島原発事故以上に被ばくした可能性は否定はできない」との見方を示す。
 孤立集落が相次いだ能登のように国内には半島に位置する原発も多く「四国の伊方原発が象徴的だが、住民避難の観点でもリスクが大きい」と強調。「屋内退避など指針の前提も崩れた。真剣に避難を考えるほど、原発は動かせないという結論になる」

以上東京新聞