[1541](寄稿)医療あれこれ(その103)−2

 今の健診業務はパターン化が可能です。診察もありますが、質問があれば、次のように答えます。例えば、60歳の受診者に「最近、のどがいがらっぽくて痰が絡むことが多いのですが……」と聞かれれば、「タバコは吸いますか?吸わない、なるほど、年のせいかもしれません。私もそうでした。しかし、60歳になると様々な病気が出てきます。タバコだけでなく周辺の空気の問題もあるでしょう。咳が出るとして、呼吸器だけでなく心臓が原因の場合もあります。さらに消化器の病気、逆流性食道炎で咳が出ることもあります……。またのどは原則的に耳鼻科です。ひどくならなければ、今日の健診結果がひと月後には送られてきますから、その結果をもってまずは内科・耳鼻科へ受診してください」などと答えます。しかし、こういう質問が来るのも、せいぜい100人に一人程度です。その場合の私の結論は、「要するにこういうお医者さんに受診するように」という交通整理です。さらに全面電子カルテになったおかげで、クリック一つで画面が進行できますから、いろいろしゃべる必要も減少しました。忙しい仕事時間が2割減ったおかげで、あいまに分厚い本が読めるようになりました。
 検診受診者数は増えています。12月28日、1月4日も仕事でしたが、それぞれ30人以上の受診者がありました。したがって事務員・ナースの仕事は増えている部署もあるようですが、私自身は余裕があります。分厚い本、昔購入した800ページ以上の『サルトルの世紀』という本など、健診のあいまだけを利用して読破しました。電子カルテ様様です。というわけで、本を読むためにも80歳まで仕事したいと神社にお願いしている次第です。
 60歳を過ぎて病院の管理職になって頑張っている人々もいます。それはそれで大したものではありますが、副院長がそれぞれ担当を持って数人いる場合ならいざ知らず、私のような公的病院も民間病院も、中小病院の場合、自らが第一線にたって対応しなければいけなかった場合には、大変でした。医師会役員として医事紛争や救急体制などを具体的に扱ってきた者として、管理職というのは、落ち着いて本も読めない苦労仕事だったと言えます。25歳で医者になって、ずいぶん働きました。私に目をかけてくれた先輩の期待は裏切ることばかりでしたが、やはり、20歳から21歳の大学闘争は今からみても大きかったなと思います。
 教養学部から医学部に進学した時はやはり私もナイーブさを残していたと思います。そこに医学部に行ったらストライキになっていて、どうみてもまともに勉強する気になる状態ではありませんでした。「その場にいない学生を現場で暴力行為をしたという理由で処分する」という不当行為は大学人にあるまじき行動だったと医学部教授会および大学当局に今でも怒りを覚えます。というより、日本の官僚主義の現状を見せつけられた事件でした。今もなお、それは変わらないでしょう。
 76歳になって、正直なところ、私は医学部の同級生にあまり愛着を感じなくなりました。コロナ前の2020年2月のクラス会以後、参加していません。メールのやりとりはもちろんありますが、学生運動の仲間にも昔のような気分がよみがえってきません。あるいはコロナで接触が減少したからかもしれません。 この5月12日には医学部のクラス会と10数年ぶりかの教養学部のクラス会が同日開催で、私は医学部は不参加として、教養学部の方に参加としました。久し振りな方に参加は当然とも言えますが、大学闘争前の時代のほうが懐かしさが強いとも言えます。教養学部では、5分の1が医学部で、他は物理や数学、生物などの人々ですから、面白いとも言えます。幹事には、参加と返事し、軽いけれど、老人に多い「脊柱管狭窄症」で腰痛ありだと返事したら、幹事は「自分は数年来足のしびれで悩んでいたが、昨年末に手術して今リハビリ中」と返事が来ました。彼は静岡県立大学名誉教授です。みな年をとります。
要するに、高齢になるにつれて、医師時代より学生時代、それも純真な教養学部時代、さらに高校時代、遡って小中学校時代、心のふるさとが懐かしく居心地よくなって来るのだと思います。もちろん人さまざまでしょうが。では、きょうはこのへんで。

つづく

 

ブログ管理人より

 高校生時代、小中学時代の「ふるさとの想い出」は、荒んだ社会に心痛を覚える今の私の心にあたたかい風を送りこんでくれます。