[1540](寄稿)医療あれこれ(その103)−1

ペンギンドクターより

その1

皆様寒いですね。

 先日20℃を超えて異常な暖かさでしたが、今日は日差しもなく寒い日となりました。相変らず、一日4000歩以上をノルマとしています。異常気象といえば、宮城県で白鳥が早くも北に帰ったというニュースがあったので、10日ほど前、白鳥飛来地の城沼に朝早く行ってみましたが、たった2羽の白鳥が首をすくめているだけでした。その前には40羽ほどいたので、北へ戻って行ったというのは確かのようです。まあ、2羽だけでもお目にかかれて良かったと思いました。例年は3月初旬までいたのですが、やはり温暖化の影響でしょうか。雑草ではありますが、ホトケノザ(シソ科オドリコソウ属)が空き地に元気に拡がってきています。もうすぐ3月、さすがに植物も季節を感じさせる時期になりました。我が家の庭では、ジンチョウゲも花芽が膨らんできました。もうすぐ外に出るのも楽しい季節です。

  2月16日(金)は確定申告の初日でした。「混むはずだからやめた方がいい」という女房のアドバイスもものともせず、税務署に出かけました。もう40年以上、この時期になると確定申告に出かけます。勤務医ですが、常勤だった時も、別に非常勤医としての収入があって、確定申告は毎年の恒例行事です。今はスマホで可能なのですが、ミスが心配で、税務署でアドバイスを受けつつ申告しています。待たされるのは覚悟の上でしたが、結局2時間近くかかってしまいました。でも待つのは苦ではありません。新書や文庫本を持参しているからです。この日は、文庫の古典落語「艶笑・廓ばなし」を持っていって、読みながら待っていました。

 偶然ですが、その夜NHKチコちゃんに叱られる」で「冷やかし」の語源の問題が出て、その郭ばなしを思い出しました。「冷やかし」というのは、江戸時代、吉原のそばの「紙屋」(浅草紙という再生紙を作る工場があって、貴重な古紙を煮てそれが冷めるのを待つ間、職人がぐるっと吉原の店を登楼せずにただのぞくだけで(冷やかして)帰って来る)の職人から出てきた言葉だったのです。私としてちょっと哀れなのは、この「冷やかし」問題にはすぐ反応できず、回答を聞いたうえで、「この答えはどこかで聞いたぞ、ああそうだ、今朝読んだ文庫だ!」という体たらくです。思い出すだけ、いいとするべきかもしれません。混雑する初日に行ったのは、こういう事務仕事は気になってしょうがない年齢になったからです。つまり、嫌なことは早く済ませようということです。逆に言えば、自分の能力が衰えてきているので、「やらなければいけないこと」が日常のストレスになり、「早く片づけなくては……」という気持ちになるわけです。終わってホッとしました。

  前回、近所の神社に毎日お参りして「80歳まで仕事をしたい」とお願いしていると言いましたが、これは原則的に健常人相手の健診業務だからです。つまり、対象が病人ではないから、続けられるわけです。言い換えますと、開業医の方々、あるいは小さな病院などで70歳を過ぎても臨床の現場に携わっている方々には「よくやれるな、大したものだ」と頭が下がります。一方、さらに本音を言えば、「よく勉強されている」という評価とともに、「鈍感でなければ務まらないのでは……」という辛辣な気持ちにもなります。というのは、医療情勢は大きく変化しているからです。NHKのみならず、民放でも「健康番組」が目白押しです。私が聞いていても知らないことが出てきます。これらの情報を十分理解している一般人が受診された場合、勉強不足の一般医の対応では極めて困難だろうと医師に同情したくなります。
 これは医療知識に留まりません。医療そのものではなく、日本人の人生観や生命観にも微妙な変化が生まれているように思います。私自身は、50代で外科医から転身して管理職あるいは内科医になってから、痛切に時代の変化を感じてきました。私の専門であった、がんの治療も大きな変化をしました。逆に言えば、昔の外科医は極めて保守的だったように思います。今思えば有効とは言えない外科治療、患者さんの気持ちを考慮しない治療法に固執して来たとも言えるでしょう。元外科医は、20年ほど前に内科医に転身したわけですが、転身当時は気力・体力もあり、自信もあったので、「何でも来い」という自負もありました。しかし、民間病院の管理職すなわち経営と同時に何でも診る内科医師である必要が出てくると、「内科医」の難しさが日々迫って来ることになりました。院長で当直もして寝不足から不整脈も頻発するようになりました。そこで60歳で常勤医におさらばしたわけです。ある意味で、それが私の寿命を延ばしたかもしれません。要するに「潮時」を感じることができたわけです。

つづく