[1591]哲学や思想は、このどうしようもない現実を変えることができるのか――。斎藤幸平×高橋哲哉でおくる「危機の時代と人文学」−2

 対談で、なんのために哲学するのか、ということを二人は問いかけています。

高橋 三年前に國分さんと対話したときに聞かれたんです。自分も高橋さんもフランス現代思想を読んできましたが、原発についてフランス現代思想は何と語ったでしょう。何もないじゃないですか、と。フランスという原発大国にあって、フーコーデリダドゥルーズ、その他綺羅星のごときフランス現代思想家たちが批判をしていたか。斎藤さんはご存知ですか?

斎藤 していないんじゃないでしょうか。

高橋 そうですね。そうすると、哲学思想って何なんだろうと。だから、我々が学ぶような哲学者、思想家といった重要な存在は、いろんなヒントを与えてはくれるんだけれども、それを絶対化することはできないし、そこに必ず答えがあるとも限らない。現代はグローバルな世界なわけですから、本当の意味でのダイバーシティアーレント的に言うと多様性複数性ですが、市民社会の中からいろんな動きが出てきて、それが思想化されていく形ももっと重視する必要がある。大学で学ぶ古典、現代の古典も含めた代表的な哲学者、思想家の議論だけにとらわれる必要はないと思うんよ。そこに欠けているものも当然ある。

斎藤 それで言うと、最近ちくま新書から出た『現代フランス哲学』という本があって、その中で私がいいなと思ったのが、カストリアディスという哲学者にスペースが割かれていたんですね。実はカストリアディスという人は、まさに原発のような問題についても盛んに議論をしていて、脱成長というようなことも書いている。フランスの伝統をさかのぼると、今の日本ではほとんど読まれませんが、例えばアンドレ・ゴルツやフランソワーズ・ドボンヌといった思想家たちもいます。しかし彼らは90年代になると忘れられていった。でも彼らを今こそ読み返すべきだと思います。私も「どうして今更マルクスを読んでるんだ」とよく言われるんですが、マルクスの思想も1つではないわけです。マルクス自身も考えが変わっていくし、マルクスが言っている内容をどう広げていくか、どこに着目するかというのは、読み手によって全然違う。 

 それこそ廣松渉さんの時代なんかは、スターリン主義批判として出てきた科学主義、社会的科学主義、科学的社会主義があって、それに対してヒューマニストの人たちが批判していた。しかし、廣松さんたちはそれでも駄目だ、疎外論では駄目で物象化論なんだという論を展開していた。

 そんなふうに、人によって時代によって、政治的な関心によって読み方はどんどん変わっていくわけです。私がやったように、資本主義が唯一となった時代にもう一回そうではない社会を描こうとしたときに、気候変動が一つの軸になるのではないか思ってマルクスの今まで読まれてこなかったノートに焦点を当てると、また違う思想が蘇ってくる。                  

 私自身も、思想を勉強すれば何か社会が自動的に変わっていくのかと言えば、現実を見たらそうは言えないと思います。戦争やジェノサイドというべきものが現在進行形で起きていて、人を殺すなとか、地球環境を守ろうとか当たり前の話すら成り立たない世界で、哲学者たちがどれだけ有意義なことを言えるのかを考えると、私たちは単に論文を書いてさえいればいいとは到底思えない。どういう発言をするのか、どういう思想を使ってどういう未来を描いていくのか、どういう現実を批判していくのかというのが本当に大事だと思います。

 それは容易ではないと感じる一方で、環境保護の問題や高橋さんが取り組んでこられた戦後責任の問題などに対して、それらは単に個人の問題ではなくて社会的な問題なんだ、政治的な問題なんだと展開していくには、私はやはり思想や哲学なしにそういったことはできないんじゃないかと思いますし、そこに責務も感じています。

高橋 じつに頼もしいですね。

以上

 私も斎藤は頼もしいと思います。しかし次のような意見に斎藤の越えなければならない壁が露顕していると思います。

「人によって時代によって、政治的な関心によって読み方はどんどん変わっていくわけです。私がやったように、資本主義が唯一となった時代にもう一回そうではない社会を描こうとしたときに、気候変動が一つの軸になるのではないか思ってマルクスの今まで読まれてこなかったノートに焦点を当てると、また違う思想が蘇ってくる。」

 マルクス思想にたいして哲学的に、経済学的に、あるいは革命論的になどアプローチの視角を変えて読むことは必要です。しかしマルクスの既成の「読み方」を批判的に吟味する必要がありはしないか。

 マルクス思想の本質を、読み方の違いによって歪めてはいけないと思います。

 マルクス主義の把握の仕方は確かに人によって時代によって、政治的な関心によって変わっていきました。スターリン主義の破綻はロシア革命が世界的に孤立したという時代背景の中で、スターリン的読み方によってマルクス世界革命論を一国革命主義的に歪めたことに淵源しているのです。スターリンは政策的にではなくマルクスの理論•哲学の本質を壊しました。