[1569]斎藤幸平『ゼロからの資本論』について

 斎藤幸平の『ゼロからの資本論』の感想文を書いています。少しずつ書いているので逐次このブログに投稿していきます。読者の皆さんから疑問や批判があればコメントしていただけるとありがたいです。

(松本)

『ゼロからの『資本論』』の意義と限界

ーーその1            

 斎藤幸平氏(以下斎藤とする)が2023年1月に『ゼロからの『資本論』』を出版しました。1991年にスターリン主義ソ連邦が自己崩壊して32年、たとえ限界がはらまれているのだとしても、1987年生まれの経済思想家・斎藤がマルクス主義復権を目指したという意義をこの本はもっています。
 ソ連邦の自己崩壊によって破産したといわれるマルクス主義の今日的再生を私も微力ながら試みています。破産したのはスターリン主義的にゆがめられた「マルクス主義」に他なりません。斎藤も歪められたマルクス主義をただし普及させるために「ゼロからの『資本論』」を『資本論』の入門書としてだれが読んでもわかるように平易に書くことを目指しています。斎藤は身近に起きていることを例にして解説しています。
 私はマルクスの思想は彼が書いたものを追体験的に読まないと本当にはわからないと思っています。斎藤の思想も彼の思索過程を追思惟しなければならないと思います。斎藤の本の思索過程をたどりつつ、文章に沿って対話しながら考えていきたい。斎藤は難しいことをわかりやすく書こうとしたためにかえってわかりにくいところもあります。わからないところや疑問や批判点は気づいたところでメモしていくというスタイルで感想を記します。

 なぜ斎藤はこの本を書いたのか。「はじめに」で次のようにいう。

「あなたが、この入門書を手に取った理由は何でしょうか。
 毎日が楽しくてしょうがない人が、この本を積極的に手に取る確率は低いはず。少なくとも漠然と、いまの仕事や社会のあり方に生きづらさや虚無感を覚えたり、気候変動や円安のニュースを前にして、未来に不安を感じたりしている方が多いのではないでしょうか。」(1頁)
 
 新型コロナ感染症のひろがりによって社会的経済的格差がうきぼりになりました。また資本主義文明は地球環境を破壊し、それに起因すると思われる気候変動は日本だけではなく世界のあちこちで大洪水や火事、干ばつをひきおこし多く人が犠牲になっています。
 斎藤はこのような状況の中で、不安や、生きづらさには根拠があり、「さまざまなところで、資本主義を『改革』する必要が唱えられ、場合によっては、その『危機』や『限界』さえも指摘されるようになっている」といいます。
 確かに資本主義の限界はリーマンショック以降世界的に語られはじめています。たとえば『資本主義の終焉と歴史の危機』(水野和夫)という題の本が書かれ、2014年にはそれがベストセラーになってさえいるのです。

「『だからこそマルクスだ』といわれると半信半疑かもしれません。今更、マルクス。ましてや、コミュニズムなんて・・・・・・。資本主義の自由と豊かさを捨てるなんて正気か?——私自身も大学生の頃からずっとそう言われ続けてきたし、今でもそうです。」(4~5頁)

 マルクス主義にたいする社会的評価が低くなっているのはなぜか、斎藤は次のようにいう。

マルクスに対する疑念、私もよくわかります。『資本論』第1巻の初版が刊行されたのは1867年。・・・・・・『150年も前に資本主義を論じた本を、今さら苦労して読んでも役に立つのか・・・・・・』と躊躇してしまうでしょう。
 それに、仮に理解したところで無意味だ、ソ連崩壊がマルクス主義の失敗を歴史的に証明しているではないか、という反応も多い。実際、マルクス主義社会主義を謳ったソ連が崩壊して以降、世界中で左派は弱体化していきました。
 労働者階級のための社会主義革命という、かつては多くの人を魅了したマルクス主義の『大きな物語』は失効したのです。」(5~6頁)

 斎藤は「マルクスに対する疑念」を上のようにまとめています。彼はこのような疑念にいかにこたえているのでしょうか。

「代わりに、資本主義のさらなる発展によって、AIやロボティクスが人間を労働から解放し、宇宙旅行が可能になり、遺伝子工学の発展によって私たちは200歳まで生きられるようになると豪語されたのです。もちろん、地球環境も持続可能なものになるはずでした。     
 けれども、その結果、世界はどうなったでしょうか?資本主義を批判する者がいなくなり、新自由主義という名の市場原理主義が世界を席巻して、格差が急拡大したのみならず、グローバル資本主義はこの惑星の姿をぼろぼろにしたのです。その一方で、約束された“夢の技術〟が完成する見込みは全然ありません。
 にもかかわらず、資本主義を真正面から批判し、資本主義を乗り越えようと主張する人は、日本には相変わらずほとんどいません。なぜでしょうか?」(6頁)

 ここで斎藤は、失効したマルクス主義の「大きな物語」の代わりに、資本主義のさらなる発展によって資本主義のいわば「ユートピア物語」が語られたにもかかわらず、反対に格差が拡大し、地球環境は壊されたと言います。その通りだと思います。
しかし先の「マルクス主義に対する疑念」との関係でいえば、「疑念」そのものにたいする彼の意見はここでは述べられてはいません。

つづく