[1570]斎藤幸平『ゼロからの資本論』ーーその2

「ゼロからの資本論」についてーーその2

 その2のはじめに、斎藤幸平が語る世間の「マルクスに対する疑念」について再確認したいと思います。

マルクスに対する疑念、私もよくわかります。『資本論』第1巻の初版が刊行されたのは1867年。・・・・・・『150年も前に資本主義を論じた本を、今さら苦労して読んでも役に立つのか・・・・・・』と躊躇してしまうでしょう。
 それに、仮に理解したところで無意味だ、ソ連崩壊がマルクス主義の失敗を歴史的に証明しているではないか、という反応も多い。実際、マルクス主義社会主義を謳ったソ連が崩壊して以降、世界中で左派は弱体化していきました。
 労働者階級のための社会主義革命という、かつては多くの人を魅了したマルクス主義の『大きな物語』は失効したのです。」(5~6頁)

 斎藤は「マルクスに対する疑念」を上のようにまとめています。彼はこのような疑念にいかにこたえているのでしょうか。

「代わりに、資本主義のさらなる発展によって、AIやロボティクスが人間を労働から解放し、宇宙旅行が可能になり、遺伝子工学の発展によって私たちは200歳まで生きられるようになると豪語されたのです。もちろん、地球環境も持続可能なものになるはずでした。     
 けれども、その結果、世界はどうなったでしょうか?資本主義を批判する者がいなくなり、新自由主義という名の市場原理主義が世界を席巻して、格差が急拡大したのみならず、グローバル資本主義はこの惑星の姿をぼろぼろにしたのです。その一方で、約束された“夢の技術〟が完成する見込みは全然ありません。
 にもかかわらず、資本主義を真正面から批判し、資本主義を乗り越えようと主張する人は、日本には相変わらずほとんどいません。なぜでしょうか?」(6頁)

 ここで斎藤は、失効したマルクス主義の「大きな物語」の代わりに、資本主義のさらなる発展によって資本主義のいわば「ユートピア物語」が語られたにもかかわらず、反対に格差が拡大し、地球環境は壊されたと言います。その通りだと思います。
しかし先の「マルクス主義に対する疑念」との関係でいえば、「疑念」そのものにたいする彼の意見はここでは述べられてはいません。

 言われている「マルクス主義への疑念」について私なりに考えてみます。
資本論』は約150年前に書かれた本ですが、単に150年前の資本主義をワン・ツー・ワン的に映しとったものではありません。マルクスは当時の資本主義社会の経済学的分析を通じて資本主義の本質を究明したのです。したがって、『資本論』は現代にも妥当する資本主義本質論として学ぶ価値があるのです。
 困難な問題は、ソ連邦が自己崩壊しそれがマルクス主義そのものの破産として流布されていることを打ち破れていないことが大きいのです。1980年代後半、政治経済的な危機に立つソ連邦ゴルバチョフペレストロイカ(再構築)という改革を打ちだしました。しかしそれも行き詰まりソ連邦はついに自己崩壊しました。ここにスターリン主義ソ連邦は破綻しました。この事件は世界の労働運動をはじめ反対運動に大きな負の影響をもたらしました。労働運動の担い手の心の中に希望の灯として息づいていた「社会主義」は、誤りだということがソ連邦崩壊によって喧伝されました。

 マルクスが『共産党宣言』のなかで語った「ブルジョア階級とプロレタリア階級の階級対立」という言葉は使われなくなりました。その後の労働運動はマルクス主義から「自由」になり階級宥和・労資協調主義によって制圧されていきました。
 ソ連邦ソ連の労働者階層によって打倒されたのではありません。スターリンの末裔であるゴルバチョフソ連邦共産党の解体を自ら行いました。私は末期ソ連邦ゴルバチョフ式改革の誤りと、スターリンが1930年代に打ち出した一国社会主義論にもとづくソ連邦建設の誤謬をえぐりだし教訓化しないかぎり「マルクスに対する疑念」を打ち破ることはできないと思います。スターリン主義をのりこえていく実践的・理論的営為と統一することによってマルクスの思想は生きたものとして蘇らせることができるのだと思います。
 1917年ロシアの地において労働者階級・農民の力でロシア革命が実現されました。後進資本主義国ロシアの社会主義への過渡期社会建設は困難を極め、革命の指導者レーニン1924年志半ばにして没しました。レーニン死後、共産党指導部からトロツキーを排除したスターリンが最高指導者となり、20年代後半から30年代にかけて急速な工業化と多くの餓死者を生みだした農業集団化とを進めました。その過程は同時に党内反対派を粛清しスターリン主義官僚支配体制を確立する過程でもありました。スターリン死後の指導者も一国社会主義イデオロギーを打ちだしたスターリン主義の枠内でアメリカとの平和共存と軍拡競争を行いながら生きのびてきましたがついに1991年に自己破産したのです。
 ところでスターリンの死後3年目、1956年2月にソ連共産党第20回大会でミコヤン、フルシチョフらの最高指導者がスターリン批判を行い、スターリンをあがめていた世界の「共産主義者」に衝撃を与えました。その余波は東欧のソ連衛星国に波及し非スターリン化の暴動が同年6月ポーランドで起きました。そして1956年10月ハンガリアの労働者学生がソ連クレムリン官僚のひも付き政府にノルマ制労働の撤廃、秘密警察制度の解体などの要求を突きつけストライキを行いました。この闘いにソ連のタンクが動員され弾圧されましたが労働者は労働者評議会を結成してたたかいました。このハンガリアの闘いは敗北したとはいえスターリ主義によってゆがめられた「社会主義」(過渡期社会)建設を下から覆す第二革命としての意義を持っていました。

 このハンガリア革命を日本の地で主体的にうけとめた•マルクス主義哲学徒が先頭に立ってトロツキー主義者たちとともに反スターリン主義運動を創造しました。その後反スターリン主義運動は、日本の労働運動や学生運動の中に根をはりスターリン主義をのりこえていくことを呼びかけ闘いつづけましたが、なお微力でした。スターリン主義ソ連邦は下からの力で倒されるのではなく自己崩壊してしまいました。私は反スターリン主義の哲学をバックボーンとしてロシア革命スターリン主義的疎外を克服するかたちで世界の変革をなしていかんとする営為は正しいと考えています。
 

 以上、斎藤の問題提起にたいする私の考えを概括的に述べました。

「労働者解放のための社会主義革命という、かつては多くの人を魅了したマルクス主義の『大きな物語』が失効した」のはなぜかを問わなければなりません。革命実践論、経済学、社会主義社会論、哲学など様々な観点からスターリン主義に迫っていかなければなりません。
 斎藤はこの作業を一旦おいて、マルクス主義の原点に帰ろうと言っていると思います。先取り的にいえば、斎藤はどうやら『資本論』に戻ってマルクスを学び既成のコミュニズム(論)ではないもう一つのコミュニズムをこの世界に実現しようと呼びかけているようです。

つづく