[1506]レーニン「神話」 進む破壊

 

 日経新聞レーニン没後100年を記事にしています。「レーニン神話、進む破壊」「プーチン氏とロシア正教会 新たな権威へ思惑一致」という見出しです。

 「100年前の1924年1月21日、ロシア革命を率い、世界初の社会主義国家を樹立したウラジーミル・レーニンがこの世を去った。そのソ連は1991年に崩壊し、レーニンの記憶も風化した。帝政への回帰を見せ、ウクライナ軍事侵攻を続けるプーチン政権の下、希代の革命家も再評価が避けられない。

 21日、モスクワの赤の広場を野党・ロシア共産党のジュガノフ党首ら左派勢力の幹部が花束を持って訪れた。レーニンの遺体が安置されるレーニン廟に献花し、偉大な革命家に敬意を表した。同党の支持率はいま、10%に届かない。」

 1917年のロシア革命は世界史の転回点となりました。けれども、レーニン亡き後のソ連邦マルクスレーニンが思い描いた・共産主義にむかう過渡期社会を建設することに失敗しました。

 日経新聞はこの点について次のようにいいます。

 「1870年生まれのレーニンはドイツ哲学者マルクスの思想を受け継いだ。1917年10月の武力革命で、帝国主義国家に代わる労働者階級による平等な国の建設を夢見た。だが、ソ連の実情は国民や周辺国を抑圧する権威主義国家だった。」

  日経の筆者はソ連ははじめから権威主義国家だったといいたいようです。レーニン死後ソ連を官僚専制国家に変質させたスターリンについては述べていません。筆者はソ連の過渡期社会建設の教訓を学ぶ姿勢はなく、後のスターリン主義国家の強権的統治をレーニン時代に投影しているに過ぎません。筆者はつづけて言います。         

 「そのソ連で崇拝されたのがレーニンだ。政府機関紙ロシスカヤ・ガゼダに19日掲載されたレーニンの特集記事で、政権に近い政治家ウラジーミル・ルキン氏は『神が消えれば、偶像が来る』と評した。神を否定したレーニンが偶像になった。」

 レーニン廟について言うのであればスターリンのことにふれなければなりません。日経新聞は「神を否定したレーニンが偶像になった」と書いていますが、レーニン亡き後、トロツキーレーニン夫人・クルプスカヤの反対を押しきって遺体を保存し廟にまつったのはスターリンでした。スターリンレーニン崇拝を党員と労働者民衆に強制し、もって、レーニンの後継者を自称する自分の権威づけに利用したのです。

 レーニン死後、共産党ボリシェヴィキ)の内部闘争の中で、スターリントロツキーの永続革命論を批判し一国社会主義論を打ちだしました。党内闘争に勝利したスターリンの一国社会主義論は党の公式見解になりました。以後1930年代に多くの反対派を粛清し、スターリン主義専制支配体制を確立しました。トロツキーを党から排除したうえで1940年に暗殺したスターリンは官僚専制体制の「不安」を消しスターリンの統治体制を固めました。

 第二次世界大戦ヒットラーのドイツと大祖国戦争を戦い勝利したスターリンは1945年2月、ヤルタ会談アメリカ、イギリスとの間で戦後の世界分割支配レジュームを確認しました。以後スターリンソ連圏の拡大を追求していき東西冷戦時代に入っていきました。

 スターリン以下のスターリン主義者による「スターリン批判」

 1953年にスターリンが没して3年後、1956年ソ連共産党第20回大会でフルシチョフ、ミコヤンら指導部によってスターリンが批判されました。当時の共産党指導者は、反対派と見なされた何百万人もの活動家、労働者にたいするスターリンの大粛清と国内経済建設の歪みを批判しましたが、すべてをスターリンのせいにしてスターリン個人崇拝を「反省」したに過ぎなかったのです。そしてスターリンからレーニンに崇拝の対象を゙替えました。クレムリン官僚はスターリン以下のスターリン主義者でしかないことを自己暴露しました。

 スターリンの個人崇拝は批判されましたがスターリン主義は温存されました。

 ハンガリア革命

  しかし「スターリン批判」の余波は東欧のソ連圏で非スターリン化の運動をよびおこし、1956年の秋、ハンガリアで第2革命として意義をもつ闘いが勃発しました。ハンガリア革命はソ連の弾圧で破壊されましたが、日本のマルクス主義哲学者やフランスの実存主義哲学者がハンガリアの労働者の闘いを主体的に受けとめソ連の弾圧に抗議の声を上げました。

 その時に日本では反スターリン主義運動が勃興しました。それから35年にわたってスターリン主義をのりこえる運動が国際的にも展開されましたが、1991年にソ連邦は下からの闘いによってではなく自己崩壊しました。

 今日のロシア

 今日のロシアは国家資本主義となり、アメリカをはじめとする西側諸国家政府とウクライナNATO加盟をめぐって対立しています。対立は解消されることなく2022年2月24日ロシア軍は越境侵攻し、ウクライナ戦争をつづけています。ウクライナゼレンスキー政権はロシア封じ込めを狙うアメリカ(NATO)の全面的支援を受けて戦争をつづけています。

 プーチンレーニンの没後100年にあたって記念行事はやりません。レーニンを否定しているからです。

 元スターリン主義者でしたが転向し、ロシア正教徒となったプーチンは、(日経新聞によれば)ウクライナ侵攻前にレーニンを「(ウクライナ国家形成の)設計者だ」と呼び、領土という「贈り物」を与えたと批判しました。「ソ連創設時に本来はロシアのものである領土を加えてウクライナという共和国を創設した」(日経新聞)と主張したとのことです。要するにプーチンは、ウクライナと戦争をしなければならなくなったのはレーニンソ連創設時にウクライナ共和国創設を認めたからだと批判していると日経新聞は言いたいのです。

 1917年ロシアとウクライナの革命後、1919年第3回全ウクライナ・ソヴィエト大会でウクライナ社会主義共和国が成立,1922年12月,ソ連邦の構成共和国となリました。レーニンは革命後の過渡期社会をつくっていくために苦労しました。ソ連社会主義共和国連邦の構成国となった国々は民族的意識が強く独立を認めなければソ連邦は成立させることが困難だったからだと思います。

 プーチンは西側資本主義諸国家との対立抗争の白熱点がウクライナNATO加盟問題になったことをレーニンのせいにしています。これを日経新聞は「レーニン神話、進む破壊」と見出しをつけて囃しているのです。

 レーニンに背を向けたプーチンはこれからもレーニン非難をくり返すでしょう。

 プーチンソ連自己崩壊後スターリン社会主義も投げ捨て帝國主義者としての旗幟を鮮明にしています。

 日経新聞は、ロシア正教徒でもあるプーチン大統領権威主義という概念でソ連のそれと一括りにする形で、新たな権威主義国家をつくろうとしていると言っているわけです。

 しかしソ連とロシアとはイデオロギー的本質は違います。前者がスターリン主義、後者は帝国主義です。

私はいずれにも反対します。