[1590]哲学や思想は、このどうしようもない現実を変えることができるのか――。斎藤幸平×高橋哲哉

斎藤幸平と高橋哲哉の対談を「現代ビジネス」が紹介しています。

 この二人は2024年現代世界の戦乱と混沌の中で、今日の文化理論の頽落をのりこえていくために苦闘しています。二人の思想家の対談を読ませてもらいました。

 1991年のソ連邦の自己崩壊がマルクス主義の破綻として喧伝されるなかで、ロシア革命が目指した社会変革の試みの蹉跌を理論的にも実践的にも越えることが問われています。

 歴史の瓦礫の中から変革の萌芽が出はじめたのかもしれません。その萌芽の仔細を見極め学び発展させることが必要です。

以下現代ビジネスが対談の紹介しています。

 昨年、これまでの自身の研究の集大成として『マルクス解体』を上梓した斎藤幸平さん。今年一月、斎藤さんが多大な影響を受けたという哲学者・高橋哲哉さんとの対談イベントが、代官山蔦屋書店にて開催されました。前編に引き続き、この豪華対談の中身を大ボリュームでご紹介いたします。

 

まず「出来事」がなくては――

斎藤 現実の問題に対して哲学や思想をどうすれば実践的に使えるのか。そのような意識を高橋さんの本から私は感じとっていたのですが、高橋さんもやはりそのようなことを意識されていたのでしょうか。

高橋  はい、そうですね。

斎藤  そうすると、高橋さんは学生時代、思想としてはノンポリだったのでしょうか? 当時、活動家になろうと思ったりはされなかったのでしょうか?

高橋 ノンポリでしたね。私はかなり早くから人文系の研究者を目指していました。それは今で言う「紙の」本が好きだったからで、哲学だけじゃなく、文学や歴史など全般的に好きでした。なので、本を読んで暮らせればいいなと思ったのが、大学に入るときの最初の目的でした。私が入ったときにはもう学生運動は終息しかけていたので、近づく必要もなかった。でも、政治的な関心は、当然ありました。私の世代は生まれてしばらく、まだ戦後のにおいを嗅いでいた世代なんです。戦後のにおいというか、敗戦国としての日本のにおいみたいなものが、私は福島出身ですが、福島のような地方でも感じられたんですよ。

 だから90年代になって植民地支配や戦争の記憶の問題が出てきたときに、これは避けられないと思いましたし、今でもそう思っているのは、そういう世代であることが大きいと思います。戦後日本とは何なのか、戦前から戦後へ日本はどう変わったのかというような問題意識から、政治的な関心は常にあったんですが、それを自分の仕事にするとか、実践的な活動に入っていくつもりはなかったですね。だから大学院でも、特にやっていたのはフッサールでした。ばりばりの超越論的観念論。

斎藤  たしかにフッサールは政治的なことは一番出てこないですね。

高橋  ほとんど出てこない。それをうまく使ったのはサルトルやメルロポンティですが、それらもやはり哲学的に読んでいた。ただ、政治的な関心はあったので、いわゆる哲学研究にだんだん物足りなさを感じ始めました。大学院が終わるくらいの時期ですね。デリダなどに軸足を移していく中で、フランス現代思想が持っている政治的な性格などを受け止めていくようになりました。今でこそ社会問題や政治問題に対して発言する哲学者はいたるところにいますよね。いても全然おかしくない。

 でも当時は、ほとんどいませんでした。私が学生の頃、哲学の世界で社会問題や政治問題について発言するといったら、それこそ党派的な意味でのマルクス主義の人たちだけでした。彼らを除けば、政治的なものに対して一種馬鹿にしているところがありましたね。哲学の世界の閉鎖性、私はそれにだんだん耐えられなくなってきたんです。そして90年代に入って、哲学の非政治性、哲学が排除しているものに少しずつ照準を当てるようになって、最初にまとめたのが『記憶のエチカ』という本でした。 

 そこで最初に私が宣言しているのは、「出来事」に晒されることなしに哲学するのはむなしいということ。これは私の気持ちであり、当時からの私の基本的なスタンスです。斎藤さんから先ほど尋ねられた意識の問題はここに関係してくると思います。私の場合、少なくとも今はっきりと言えるのは、残りの人生を形而上学に捧げようとは思わないわけです。デカルト形而上学、コギト・エルゴ・スムから始めた。形而上学を哲学の根っことすれば、幹に自然学があって、そこから枝が出て機械学や医学などいろんなものが実を結ぶわけです。

 だから形而上学が一番大事だと言っているんですが、形而上学にそんなに時間を使う必要はない。彼は数学者なので、数学を自然に適用するという現実的な関心がやはり強かったんじゃないかと思います。

 私も同じで、哲学を研究する以上、形而上学存在論的な議論に関心はあるけれど、そればっかりをやるつもりはないし、そこから始めるつもりもなくて、やっぱりまず「出来事」なんですよ。自分にとって、これは見逃せない、回避できないと思う「出来事」があったときに、そこから始まるというのが私の思考で、基本的なスタンスなんです。

斎藤  いいですね。この「出来事」というのは、現代思想においてどのように説明すると良いのかちょっと難しいのですが、まさに今までの枠組みを偶然的に変えてしまうような転機としての「出来事」という意味で、福島の原発事故は、私にとっての「出来事」なんです。自分の前提としてきた生活があって、もちろん原発には色んな危険があることは知ってはいたけれど、その問題に向き合わずに来てしまった。

 実は、私がそもそもマルクスに向き合うようになったきっかけは、大学に入って感じたある気づきにあります。それまでは東京の私立の中高一貫に通っていて、そうすると周りも同じようなバックグラウンドを持っている人が多い。それが大学に入ると、もちろん地方から来る人もいるし、都内から来ていても全然違う家庭環境で育った人もいる。35歳ぐらいで理科三類に入り直した同級生もいたりして、そういう人たちに会って話を聞いたりすると、自分が前提としてきた枠組みからは見えなくなっているものがある。それはしょうがないことでもありますが、見なくていいっていうのは一つの特権性でもあるし、気にしなくても生きていける。でもそれによって様々な抑圧に自分が加担してしまっていることに気がついたのが、マルクスに向き合うようになった最初の一つの「出来事」だったんですね。これに対して、自分がどう応答するべきなんだろうか。自分はただのうのうと資本主義の中で、恵まれた環境を最大限自分のために使っていくみたいな生き方をするのか、あるいは、そこに向き合っていくのかということを大学に入った頃に迫られて。

 90年代に入って「慰安婦」サバイバーの方々が出てきたことで、戦後責任の問題がより問われるようになったときに、それにどう応答していくのか。人文学の話というのは、実はそうやって身近なところにまで持ってきて考えることができるものだと思うんです。哲学は一見すると抽象的に思えますが、私たちの生活にまで下ろして考えると、極めて身近なものになってくる。福島の問題もそうですが、今日まだ話してないお話として、例えば沖縄の基地の問題もそうです。高橋さんは沖縄の問題について、いわゆる左派的な人やリベラルな人たちでもなかなかしない提案である、基地を本土で引き受けるべきだという議論を展開されています。

 先ほど高橋さんは社会問題に声をあげる哲学者が今はわりとたくさんいるとおっしゃっていましたが、確かに國分功一郎さんや私を含め、駒場にもそういう先生は何人かいらっしゃいますが、全体としてはそうでもないかもしれません。大学の中では、例えば研究者が気候変動の問題に対して発言をしても、それは直接論文にはならないので学術的には評価されません。そういう活動にエネルギーや時間を使うよりも、論文を書いて国際ランキングを上げようとか、研究費を取れるようにしようみたいな圧力が高まっているように感じます。

 また、若手の人たちにとって就職が困難だったりする状況では、とにかく業績を上げよう、業績を上げるためにはまず論文を書こう、そのためには論文を書きやすいテーマを選ぼう、みたいになりがちです。その流れがどんどん自分たちの内面的な規律になってきてしまっていて、社会問題について声をあげる先生が本当に少なくなっているように感じます。それをちょっとでも何とか食い止めたいなと思って、私は意識的に発言するようにしています。色んなテーマに対して、自分の専門を超えて社会に対して発言をしていく。これはサイードが『知識人とは何か』という本の中で、アマチュアリズム、つまり象牙の塔にこもるのではなく、社会に対してコミットしていくということを言っていて、自分もそうありたいなと思っています。

高橋  昨日だったと思いますが、関東大震災100周年に合わせ、当時の朝鮮人や中国人に対する虐殺について、政府や東京都がそのような事実があたかもなかったかのような、あるいは無視するような態度を続けていることに対して、東京大学の研究員や名誉教授も含めた教職員で署名を出そうというメールが回ってきまして。呼びかけ人に斎藤さんのお名前もありました。

 本当にそうすべきだと思います。政権や行政が、あの事件の公的な記録がないと言うような、歴史修正主義なり否定論のようなことを官房長官が言う状況になっている。日本を代表するアカデミアの教職員がこういう声明を出すというのは、私としては「待ってました」という感じです。期待されるところだと思うので、ぜひ頑張っていただきたいと思います。

 先ほど「出来事」と言ったときに現代思想ではという話が出ましたが、それだけで斎藤さんがフランスのものもよく読んでいることがわかります。応答可能性としての責任というテーマで言うと、『マルクス解体』は学術的な内容ですが、『人新世の「資本論」』を読むと、脱成長はグローバルサウスからの呼びかけなんだということが後ろの方で繰り返し出てきます。その声に応答しなくていいのかと。ここはもう完全に我が意を得たりでした。

斎藤 もちろん意識しています。

引用以上

 高橋は「『出来事』に晒されることなしに哲学するのはむなしいということ。これは私の気持ちであり、当時からの私の基本的なスタンスです。」と言います。斎藤幸平はこの高橋の立場に魅かれ、現実問題に対決しつつマルクス主義の研究をはじめたと言います。

 

つづく